大分県護国神社

大分県大分市大字牧松栄山1371番地


大分県護国神社 平成20年11月18日

ご祭神

明治維新以来幾多の困難に際して生命を捧げられた大分県縁故の殉国の御英霊44,452柱(平成19年7月1日現在)

由緒

明治8(1875)年10月18日、大分県初代県令森下景端大人により、この松栄山の地に佐賀の乱の戦没者を慰霊鎮魂するため「招魂社」が創建されました。
招魂社は現在の展望台、招魂斎庭の位置にありましたが、昭和18年10月18日に多くの皆様方の勤労奉仕もいただき、社殿の大造営が完成して現在の場所に遷座されました。
「招魂社」は昭和14年に「大分縣護國神社」と改称され戦後は一時期「豊霊宮」と呼ばれましたが、独立を回復した昭和27年再び「大分縣護國神社」と元の社号にもどされました。
昭和41年10月22日、大分国民体育大会にご臨席された、昭和天皇、香淳皇后両陛下がご親拝遊ばされ、また52年9月16日には、天皇、皇后両陛下が皇太子同妃両殿下の御時にご参拝になられました。

(リーフレットより)

招魂斎庭




招魂斎庭






(平成20年11月18日)
大分県慰霊塔




大分県慰霊塔






(平成20年11月18日)

大分県殉国者合同慰霊碑

祖国の安泰と郷土の繁栄を願い最愛の肉親のうえに想いをはせ幾度かの国難に殉じた愛国の至誠は永く青史とどめられ涙なくしては語ることができません
今や我が国は「21世紀は日本の世紀」といわれるまでに発展し平和で自由な国となりましたが郷土の姿も亦農工併進の途がすすめられ躍進の一途をたどる豊の国となりました
1968年ブーゲンビル島生存者会が同島で散華した遺骨の収集を行ったさい県民から寄せられた募金の一部を基金として寄贈されこれが契機となり関係各位の御協力をえてこの碑が建設されることになりました
時恰も明治百年を記念する年にあたり極めて意義深いものがあります
ここに碑を建立して明治維新以来本県出身の軍人軍属旧満洲国日系軍官開拓団員従軍従軍看護婦動員学徒一般邦人等すべての殉国者が祖国に捧げた殉国の至情と偉業を讃え時代の変遷にかかわらず永久に敬仰しもって人類希求の平和の礎として後世にのこさんとするものであります
謹んで追悼の誠を捧げ御霊の御冥福と世界の平和を祈念いたします

1968年11月
大分県殉国者合同慰霊碑建設委員会
会長 大分県議会議長 小林政治

(碑文より)

碑




南太平洋ソロモン群島ブーゲンビル島
遺骨収集記念
昭和43年9月1日
大分縣ブーゲンビル島生存者会


(平成20年11月18日)
行幸啓記念碑




天皇陛下皇后陛下 行幸啓記念碑






(平成20年11月18日)

満蒙開拓青少年義勇軍 武田中隊慰霊碑
歩兵第47連隊 軍旗之碑
海軍甲種飛行予科練習生 鎮魂之碑

西南の役戦死者墓地




西南の役戦死者墓地






(平成20年11月18日)
言霊記念館




言霊記念館






(平成20年11月18日)
言霊記念館内部

第12海軍航空廠の鉄扉
九六式陸上攻撃機のプロペラ




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