大久保忠隣 おおくぼ・ただちか

天文22年(1553年)〜寛永5年6月27日(1628年7月28日)


三河国生まれ。
父は大久保忠世。
永禄6年(1563年)から徳川家康に仕え、のちに戦陣ごとに大功を挙げて有名を馳せ、旗本からも絶大な信望を集めた。
天正18年(1590年)武蔵国・羽生はにゅう城主(2万石)となる。
文禄2年(1593年)徳川秀忠の付け家老職に就任。
翌年、父の遺領を継ぎ相模国・小田原城主(6万5千石)となる。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは徳川秀忠に従う。
秀忠の将軍職後継に際しては、秀忠を強く押す忠隣の意見がいれられた。
慶長18年(1613年)謀反の疑いをかけられ、翌年、所領没収、近江国に配流される。
その裏に本多正信との確執があったといわれる。


幽居の跡



『大久保忠隣公幽居之址』碑

(滋賀県彦根市・龍潭寺参道脇)

昭和11年6月建之



(平成18年4月10日)
龍潭寺



龍潭寺りょうたんじ
(滋賀県彦根市古沢町大洞)





(平成18年4月10日)

臨済宗妙心寺派
旧彦根藩主井伊家菩提寺

龍潭寺

当寺は古く天平5年(734)、行基菩薩により遠江国引佐郡井伊谷郷に開基。
元中2年(1385)、後醍醐天皇第3皇子宗良親王によって中興され、寺号を龍潭寺としました。
慶長5年(1600)井伊直政公が佐和山城主となられたのを機に、昊天禅師により佐和山山麓に移建開山した、井伊家と深いゆかりをもつ臨済宗妙心寺派の名刹です。
元和3年(1617)諸堂が完成した後は、近江随一の禅刹となり、近郊に十余りの末寺を有する巨刹となりました。
さらに全国有数の禅宗大学寮として発展し、特に「園頭料」は日本の造園専門学の発祥とされ、当寺で学んだ僧たちが全国の禅寺の庭園を手がけたことは広く知られています。
また元禄年間からは達磨さまにあやかる「だるま寺」として人々の信仰を集め、四季折々に美しい花の寺としても広く親しまれてまいりました。

(リーフレットより)




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