東京都府中市宮町3−1
平成18年2月19日
武蔵総社 大國魂神社
当神社は、大國魂神を武蔵の國魂と仰いで、鎮祭し祀った神社である。
第12代景行天皇41年(111年)5月5日大神の託宣によって創立せられ、武蔵国造が代々奉仕して祭務を司った。
其の後孝徳天皇の御代に至り、大化の改新(645年)により武蔵の国府がこの地に置かれて、当社を国衙の斎場として、国司が祭祀を奉仕して国内の祭政を司った。
国司が国内諸社の奉幣巡拝等の便により側に国内の諸神を配祀したので「武蔵総社」と称し、又両側に国内著明の神社六社を奉祀したので「六社明神」「六所宮」とも称された。
鎌倉幕府以後徳川幕府に至るまで代々幕府の崇敬厚く、再三社殿を造営し、徳川幕府より社領500石を寄進せられた。
明治18年より昭和21年迄官幣小社に列せられ、其の後宗教法人と成る。
(例大祭5月5日)
大國魂神社・府中市観光協会
(説明板より)
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大國魂神社 (平成18年2月19日) |
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本殿 (平成18年2月19日) |
東京都指定有形文化財 大国魂神社本殿
所在 府中市宮町3丁目1番
指定 昭和37年3月31日
律令時代国司が国内の大社六社を国府に勧請祭祀し、武蔵総社または六所社と称したのがこの大国魂神社である。
本殿のうち中殿は大国魂大神、御霊大神、国内諸神、東殿は小野大神、小河大神、氷川大神、西殿は秩父大神、金佐奈大神、杉山大神を祀る。
この本殿は4代将軍家綱の命によって寛文7年(1667)3月完成したもので、その後数回修理を行っているが、部分的に室町時代末期の様式をとどめ、江戸時代初期の神社建築として保存の価値がある。
また特異な構造形式は遺例少く珍しい。
構造は九間社流造、向拝五間、銅板葺、三間社流造の社殿三棟を横に連絡した相殿造。
東京都文化財保護条例(昭和51年3月31日改正)により、文化財の指定種別を都重宝から東京都指定有形文化財に変更しましたので、石造標識については、このように読み替えて下さい。
昭和52年11月3日 建設
東京都教育委員会
(説明板より)
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鼓楼 (平成18年2月19日) |
府中市指定文化財 市重宝 大国魂神社鼓楼
昭和56年10月16日指定
鼓楼は太鼓を懸け時刻を報ずるための建物で、元来中国で発達し、わが国へは鎌倉時代に移入され、主として寺院に設けられた。
そして江戸時代になると鐘楼と相対して造られることが多く、宇治の万福寺や日光東照宮のものがよく知られている。
大国魂神社では慶長年間の造営の際に、三重塔と相対して建てられたが、正保3年(1646)の大火で焼失、200年余たった嘉永7年(1854)に再建されたのがこの鼓楼である。
この鼓楼は、現存するその再建連社板によると、府中はじめ日野・多摩・町田の各市域の17名の人々によって寄進されたことがわかる。
その後、3回程修理が加えられているが、よく当初の原形を保っており、神社では数少ない貴重な建築物である。
昭和58年12月
府中市教育委員会
(説明板より)
近くの史跡 |
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府中高札場 (平成18年2月19日) |
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府中高札場 (東京都府中市宮西町5−1−1) (平成18年2月19日) |
東京都指定史跡 府中高札場
所在地 府中市宮西町5−1−1
指定 昭和4年10月
法度はっと、掟書おきてがき、犯罪人の罪状などをしるし、交通の多い市場、辻などに掲げた板札を高札といい、庶民の間に徹底させるためこれら高札を掲げる場所を高札場といった。
これらは中世末期からあったが、江戸時代が最も盛んとなり明治3年(1870)廃止された。
高札場は無年貢地で街道の宿場や村の名主宅前など目立つ場所に普通設置され、江戸には日本橋など6箇所の大高札場をはじめ35箇所に高札場があったという。
府中の高札場は、府中市において甲州街道と鎌倉街道の交叉する所、大国魂神社御旅所の柵内にあり、屋根を有する札懸けで、これに6枚ぐらいの高札が掛けられていた。
昭和62年3月20日建設
東京都教育委員会
(説明板より)
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