ウィリアム・ジョン・オルト

1840年〜1905年


ウィリアム・ジョン・オルト



ウィリアム・ジョン・オルト
(旧オルト住宅・説明板より)





(平成19年3月26日)

ウィリアム・ジョン・オルト

ウィリアム・ジョン・オルトは、英国アイルランド出身のダニエル・オルトの子として生まれ、第63連隊の将校であった父が若くして亡くなったため、貧しい少年時代をおくった。
12歳の時 自分の生きる道を決め 母親を助けるため貿易商の商船のオフィサー(高級船員)となった。
航海中は船内の図書室で科学等を勉強し、1859年(安政6年)からは中国の英国税関に勤務した。
日本が開国すると、いち早く長崎に来てオルト商会を設立、長崎の大浦慶おおうらけいと提携して、九州一円から生茶を買い求め、すぐに大浦海岸の倉庫で製茶、箱詰めを行い、アメリカなどに輸出して巨額の利益を得た。
さらには、わが国に最初の蒸気船を売却して新政府の設立を助けるなど勤王派でもあった。

エリザベス・オルト



エリザベス・オルト
(旧オルト住宅・展示パネルより)





(平成19年3月26日)

1861年(文久元年)大浦の第一居留地委員会が組織されると、21歳の若さで居留地外商の中心として活躍した。
1863年(文久3年)23歳の時、英国に帰る船上でエリザベス・アールと出会い、1864年(元治元年)結婚し、1865年(慶応元年)に最初の子供 メイベルが誕生した。
1868年(明治元年)家族と共に大阪に移住したが、オルトは単身で長崎に帰り、オルト商会の経営にあたった。
しかし、オルトの健康がすぐれない為、1870年(明治3年)12月オルト商会は解散、一家は英国に帰国した。
その後、気管支炎を患いイタリアのラパロの別荘で静養していたが65歳で死去した。

大浦 慶



大浦 慶
(旧オルト住宅・展示パネルより)





(平成19年3月26日)

大浦 慶おおうら・けい
1828年(文政11年)〜1884年(明治17年)

江戸時代の長崎における有力商人、大浦家は代々油問屋を営み、慶の代にウィリアム・ジョン・オルトと共に茶貿易を始め利益をあげる。
又、坂本龍馬陸奥宗光ら 勤王の志士達にも資金援助をおこなっていた。

(解説文:『旧オルト住宅』展示パネルより)

旧オルト住宅



旧オルト住宅

(長崎県長崎市・長崎グラバー園)





(平成19年3月26日)


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