零戦の残骸

(トベラ飛行場跡)


平成21年(2009年)3月3日・第4日目
空港内の絵 空港内の「壁画」
パプアニューギニアらしい絵である

空港に到着したところ、ガイドが迎えに来ていた。
ホテルには1人だけ片言の日本語ができる現地人がいるが、ガイドは英語しか話せない人だと聞かされていたが・・・・
このガイド・・・日本語で声をかけてきた。
名前はサミエル君(26才)
彼がその唯一日本語の話せるホテル従業員だった。(笑)
どうもホテルの従業員の彼がガイドを兼任することになったらしい。(笑)

新ラバウル空港 新ラバウル空港・旅客ターミナル

「ピック・アップ・ゾーン」の標識には「2分間だけの駐車のみ」と書かれてある。
う〜ん・・・2分間とは、なかなか厳しいなぁ〜(笑)

“エナリ先生”が銀行に立ち寄って両替したいというので、戦跡を廻る前に銀行に立ち寄る。
が・・・銀行は長蛇の列・・・・(笑)
私は炎天下の駐車場に立ち・・・待つ!
ドライバーが英語でエアコンの効いている建物内に入ったらどうかと声をかけてきたが・・・・
私はエアコンが嫌いなのである。(笑)
このジリジリと焼けつくような炎天下にいたほうが、いかにも南国に来たという感じで気持ちいい。
が・・・・炎天下の駐車場に仁王立ちしているのは私だけ・・・(笑)
現地人も日陰に隠れている。
あいつ・・・アホじゃないか?・・・というような眼で現地人に見られてしまった。(笑)

ようやく両替を済ませられたようで、“先生”とガイドが銀行から出てきた。
“先生”はポートモレスビーで5000円ほど両替したが、足りないと思って改めて両替をした。
しかし・・・さんざん待たされた揚句、パスポートのコピーやら面倒臭い手続きで散々な目にあったと言う。
私はポートモレスビーの空港で1万円を両替しておいたので、特にこれ以上両替する必要なし。
現金を1万円分持っていれば4日間ぐらいなんとかなるだろう。

サミエル君に尋ねたところ、ラバウルには銀行が3軒しかないのだそうだ。
そこへ島民が押し寄せてくるので毎日混雑しているのだそうだ。
じゃぁ、支店を増やせばいいじゃないかと思うのだが、そこまでは頑張らないというのが南国の特徴か?(笑)

時刻はすでに11時・・・・
本来の予定では、午前中にココポ博物館、ブナポペ教会(旧日本軍兵站病院跡)、トベラ旧日本軍飛行場跡に行くことになっていたのだが・・・
ホテルにチェックインすることになる。
到着早々、計画が狂った!
というより・・・どうしてこんな計画なんか立てたんだろ?(笑)

ホテル ホテル

ホテルはココポという町にある。
ラバウルの街は火山の噴火による火山灰に埋もれて全滅。
島民はこのココポというところに新しく町を作って移動したという。
空港も同様に火山灰に埋もれたらしい。
以前の空港は旧日本海軍の飛行場跡だったが、今朝到着した空港は別な場所に新たに造られた空港である。

で・・・ホテル・・・・何故かエントランスは工事中・・・・
ペンキを塗ったり、あっちもこっちも工事業者の連中ばかり・・・・
ん?6年前に出来たホテルって聞いていたんだけど・・・・
まるでオープン前のホテルのような騒ぎとなっている。
なんだろ・・・これ・・・・
大丈夫かい?・・・このホテル・・・・

部屋はコテージ風っていうのかな?
部屋 部屋(ベッドルーム)

しかも、この部屋・・・・
マダンと同様、大きなベッドと小さなベッドの組み合わせ。(笑)
これがパプアニューギニアの「常識」なのか?
またまた神経を使って寝なくてはならなくなってしまった。
こんなことなら多少旅費が高くなっても別々の部屋にしておけばよかったなぁ〜(笑)
どうしてこういうことを日本の旅行社は教えてくれなかったのだろうか?

部屋でくつろいでいたら、サミエル君がメニューを持ってやって来た。
「食事を選んでください」
「ん?何でもいいの?」
「はい、何でもいいです」
「じゃぁ、一番高いの頼んじゃうよ?」
「いいです」
あ〜またこれだ・・・食事込みなんだけど・・・値段に関係なく何を頼んでもいいっておかしいだろ?
「え〜と・・・スープと・・・あっ!ハンバーガー!」
「ハンバーガー・・・最高です!」
「そう?それじゃ・・・ハンバーガー!」

で・・・ちょうどお昼・・・ホテルのレストランで昼食。
で・・・出てきたハンバーガーが・・・・これ・・・・

ハンバーガー ハンバーガー!?

このハンバーガーのパン・・・・固い!(笑)
あのね・・・パプアニューギニアにはイースト菌とかというものはないのかね?
パンが全然膨らんでいないのである。
これはハンバーガーと呼べるのだろうか?(笑)
何が「最高です!」だよ・・・・サミエルめ・・・(大笑)

スープ スープ

しかし、こっちのスープは美味しい。
コーンとチキンのスープである。
これは美味しい!・・・・誉めてやろう。(笑)

昼食後、早速、戦跡巡りに行くことにする。
が・・・・予定は大きく変更となる。
ここはガイドのサミエル君の言う通りに動くことにしたが・・・・
“先生”としては、どうも納得がいかないご様子。
午前中の戦跡巡りができなかったから、予備日として空けてある最終日に、「当然無料で案内してくれるんだろうな?」と言うのである。
う〜ん・・・ちょっと、それはあり得ないんじゃないでしょうか?
午前10時ごろの到着だから・・・お昼までは2時間しかない。
その2時間で戦跡3か所を巡るという計画自体が無茶である。
こんな計画を立てた日本の旅行社の方に問題があるし、その打合せをしたのは“先生”ご自身。
もし、飛行機が遅れたら尚更午前中の予定はこなせないわけだから、午前の戦跡巡りは中止になるリスクは大きい。
なんだかんだで、2時間なんてあっという間である。
午前中の2時間に予定を入れておく方が問題であると思うのだが・・・
ましてや、予定外の銀行などに立ち寄ったりしたから時間が無くなったわけで・・・
それはご自身に責任があると思うのですけど・・・(笑)
日程表通りにいかなかったと、現地のガイドに責任を転嫁したり、最終日は無料で案内しろと要求することは非常識ではないだろうか?
ガイドのサミエル君の不手際で午前中の予定が潰れたわけじゃないんだから・・・・
「最終日に無料で・・・というのは無理ですよ」と先生に話したが、「どうしてだ?日程表に書いてあったのが実行されなかったんだから当然じゃないか?」とおっしゃる。
“先生”は御納得されていないようである。
「これからどこへ行くんだ?予定が狂ったけど、今後の予定はどうなっているんだ?」と私に尋ねられても私はガイドではない。(笑)
「とにかく、ガイドに任せましょう!」ということで、サミエル君の指示に従い戦跡訪問に出発する。

ココポの街の中 ココポの街の中

途中、ココポのマーケットでちょっと撮影!

まずは、トベラ飛行場跡・・・・
南飛行場とも言ったらしい。
ここは昭和18年3月に第28設営隊が造った日本軍の飛行場である。
が・・・今では滑走路跡もなにもない。
当時の飛行場跡には一面に椰子の木が植えられていた。

トベラ飛行場跡

ここの一角に日本軍の飛行機の残骸が集められていた。
どうもこのトベラ飛行場の周辺で見つけた残骸を持ち寄ったらしい。
あら、あら・・・マニアにとっては垂涎の残骸である!(笑)
ほとんどが零戦のようで、中でも操縦席が結構いい状態で残っている物があったので、集まって来た住民たちに、零戦のことや、操縦法などを説明する。
また、他の残骸が何かという事も教えてあげる。
増槽タンク、着艦フック、燃料タンクなどなど・・・・

零戦の残骸(操縦席と主翼) 爆弾!
エンジン 零戦の機体尾部か?
着艦フック収納の溝が見える
ガイドのサミエル君 ガイドのサミエル君

写真を撮るのに邪魔だ・・・と言ったら、なぜかポーズを取った・・・・
あのね・・・サミエル君・・・・君・・・邪魔なんだけど・・・・(笑)
仕方がないので写真をパチリと撮ってやる。(大笑)

う〜ん・・・零戦の操縦席部分の残骸・・・・欲しいなぁ〜
10万円払っても・・・欲しいなぁ〜
しかし、日本への輸送代がかなりかかるから・・・無理だろうなぁ〜(笑)
とにかくこれ以上状態が悪くならないように気をつけて保管しておくように住民に伝える。
下手すると鉄くずとして売られかねない。(笑)
「日本のマニアが高値で買うかもしれないから大事にしろよ」と言ったら、住民たちからどよめきが・・・(笑)
ちょっと、大げさに言いすぎたか?(笑)
いずれにせよ、勝手に売買は出来ないだろうから、日本のマニアが買う可能性はないと思うが・・・
それにしても、こういう風にガラクタとして集められたのでは・・・ねぇ〜
もともとあった場所に、そのまま置いてあるといいんだけどなぁ〜
どうして集めちゃったんだろ?(笑)
そのままの状態にしておいて、そこを案内して歩く・・・というほうが観光資源となると思うのだが・・・

ここの集落の人達 ここの集落の人達

時刻は2時半。
そろそろ移動しましょうか・・・・
と・・・車に乗って走りだしてすぐ・・・・
ここに来る時には気がつかなかったのだが、この集落の入口に「ローラー」が・・・・
車を停めて写真を撮りに行く。
集落の人に尋ねたら、日本軍のものだと言う。
これまた、お宝ではないか?(笑)
もしかして、ヤシ林の中をくまなく探したら、他にも何か残っているのかもしれないなぁ〜

ローラーの残骸 滑走路の整備に使ったと思われるローラーの残骸

 


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