ペリリュー島の戦跡巡り(2)

(ペリリュー島)


平成22年(2010年)9月13日

今日は本格的にジャングルの中を調査するが・・・
副団長との打合せで、戦跡等に関してあまり詳細には公表しないということになる。
場所の特定などが出来るような記述は極力避けて欲しいとの事・・・・
つまり、関係者としては戦跡が“荒らされる”のを避けたいというのである。

どうもネットなどで戦跡の情報を集めて、単独でジャングルの中に入る日本人がいるとのこと。
そういう日本人が“問題”を起こすらしい。
現地旅行社の「戦跡ツアー」で回っている分ならいいが・・・単独でやって来て問題を起こされたのでは困る。
我々は酋長との長年の交流で、戦跡の調査に関しては内諾を受けているから問題はないが・・・

ホームページでの掲載には神経を使ってくれとのこと。
そうなると・・・・情報発信が出来なくなる。(大汗)
まさか、今日一日の行動は“白紙”というわけにもいかないし・・・
公表を避けるという処置は十分納得がいくので、取り決めに抵触しない範囲で公開することとする。

午前7時過ぎ・・・朝食!

ホテルから歩いてすぐのところに「洗濯屋さん」があるという。
一袋いくらという料金で洗濯してくれるそうだ。
種類や枚数などは関係ないらしい。
コンビニのレジ袋の大きい奴・・・その大きさの袋で一袋いくら・・・なのだそうだ。
昨日の下着や作業服をそこへ頼むことにする。
朝出せば、夕方には出来あがっているとのこと。
洗濯を副団長に持って行ってもらい・・・その後、出発!

まず最初に向かったのは・・・・「某所」(笑)
ここの洞窟は入口は狭いが、内部は恐ろしいほど広い。
天井までの高さは3mくらいあるんじゃないか?
内部はコンクリートで固められていてガッチリしたもの。

入口・・・・(汗)

丸い輪に見えるのは、車輪の残骸・・・
鉄の輪だけが残り、木製の部分は朽ちてしまったようである。
これらの残骸は、「輜重車」か「弾薬車」か?

さらにジャングルを進む・・・・

次に向かったのも「某所」(笑)
ここは自然に出来た鍾乳洞の洞窟。
入口もかなり大きく、更に奥に入るところは狭いが、その先は立って歩ける広さ。
右へ左へと入り組んでいる。

一番奥はコウモリの棲み家。
私以外の4人は普段からメガネをかけているのだが、私だけは視力ががいいので(笑)・・・メガネをしていない。
「メガネがあったらメガネをしておいたほうがいい」と団長に言われたが・・・そういうものは持っていない。
やむを得ずサングラスをすることにしたが・・・
真っ暗な洞窟内でサングラスをしたのでは、ライトを点けても見づらいではないか?(大笑)
ゴーグルを買って持ってくれば良かったと後悔。
で・・・一番奥・・・・

スズメほどの大きさのコウモリが無数にいる。
これが人の気配に驚いたのだろう・・・・一斉に飛び回る。
コウモリというのはレーダーがあって、そのレーダーで障害物を避けると思っていたのだが・・・
何万匹か知らないけど、一斉に飛び回りパニックを起こしているのだろうか・・・
私の体に次々とぶつかってくるのである!!
ギョェ〜!ギャァ〜!ゲゲゲッ!
私一人が大騒ぎ。(汗)
お前らのレーダーはどうなっているんだ?
もう顔も上げられない。
顔にもぶつかってくるので、道理で「メガネをした方がいい」と言うわけだ・・・
生温かいコウモリの感触!
ウェ〜!気持ち悪い!!
・・・・と声を上げると、口の中に入ってきそうな感じ・・・・
この何万羽というコウモリのうちの1匹(1羽?)が、私の唇を掠めて飛んでいった・・・・(大涙)
この時の感触!・・・・ゲゲゲッ・・・である。(大涙)
タオルかマスクで自分の口を塞いでおけば良かったと思っても時すでに遅し・・・・
ヒッチコックの「鳥」という映画以上の悲惨な状態である。(笑)
地面はコウモリの糞でドロドロ状態・・・・しかも、臭い・・・・
これには参ったぁ〜!
ちなみに、コウモリの糞は服に付いたら洗っても落ちないそうである・・・ゲゲッ・・・(涙)

さらに、「某所」の洞窟内・・・・

大砲の残骸・・・・

時刻は午前11時半を過ぎた・・・・ということで・・・
午前の調査はここまで。
ホテルに戻り昼食をとる。

昼食

昼食後、再び午後の行動開始!
今度は海岸の方へ行く。
そこは米軍が上陸した『オレンジ・ビーチ』と呼ばれた場所で、米第81師団の記念碑が建っている。

【碑文】

81ST INFANTRY DIVISION
UNITED STATES ARMY
THIS MONUMENT IS DEDICATED
TO THE LASTING MEMORY
OF THOSE MEMBERS OF
THE WILDCAT DIVISION AND
ATTACHED TROOPS WHO
FOUGHT AND DIED ON PELELIU
ISLAND BETWEEN 23 SEPT
AND 27 NOV 1944
米軍上陸海岸
(オレンジビーチ)

次が「某所」にある零戦の残骸を見に行く。
道路からすぐのジャングルの中にある。
この場所は湿地帯なんだろうなぁ〜
水溜りの中にあるという感じ。
問題は写真・・・・
草に覆われていて良く見えない。
肉眼では、わかるのだが、写真に撮ると何が写っているのかがわからない。
草を取り払ってしまえば良く見えるのだが、沼のようなところなので近づけない。
取りあえず撮影してみたが・・・

零戦の残骸

続いてジャングルの中で米軍の水陸両用戦車などを見る。

米軍の水陸両用戦車の残骸

この後、ペリリュー島の最南端にある「ペリリュー平和記念公園」に行く。
日本政府が作った、例によって例の如くの公園・・・慰霊場である。
碑文もパプアニューギニアにあったものと大して変りない面白くないもの。
「西太平洋戦没者の碑」・・・・・
どこの部隊がどこで戦い、何人戦死傷したのかが書かれていないという慰霊のモニュメントである。
日本政府はこの公園の維持に毎年お金を支払っているのだとか・・・・
もう少し日本らしいモニュメントに出来なかったのだろうか?
英霊が集いたがるような・・・そういう形に出来なかったのだろうか?
こういうモニュメントは、私は好きじゃない・・・
設計者はパプアニューギニアのラバウルにあるモニュメントと同じ人物である。

ペリリュー平和記念公園

「祈念」ではなく「記念」なのか?(唖然)
「西太平洋戦没者の碑」

竣工 昭和60年3月8日
    日本国政府

協力 パラオ共和国政府

【碑文】


さきの大戦において
西太平洋の諸島及び海域で
戦没した人々をしのび
平和への思いをこめて
この碑を建立する
ARCHITECT SUPERVISOR
KIYONORI KIKUTAKE
設計・菊竹清訓
MEMORIAL PLATE DESIGNER
HIROSHI OGAWA
銘板・尾川 宏
CONSTRUCTOR
ASANUMA GUMI CO.LTD.
施工・株式会社 浅沼組

設計者名や施工者名はわざわざ英文も併記しておきながら、本文のほうは日本語だけ・・・・
一体、何を現地の人にアピールしたいのだろうか?
何の為の碑なのだろう?(唖然)

碑の上部

このモニュメントの上部に銀色の“目玉”がある。
“団長”の話によると・・・・雨が降ると、ここから雨水が垂れるのだそうだ。
目から涙が流れるように・・・・
「まるで英霊が泣いているように見える」のだとか・・・

なにそれ?・・・・アホらしい・・・・開いた口が塞がらないとはこのことぞ。(怒)
どうしてこんなものを作るかなぁ〜

向こうに見える平たい島は「アンガウル島」・・・・
この島も激戦地である。
栃木県宇都宮の歩兵第59連隊が戦った島・・・・
そのことについても何も書かないのか・・・この碑は・・・・

 アンガウル島

時刻は午後3時・・・
次は「大山」と呼ばれた地区へ向かう。
ここにペリリュー島守備隊の「顕彰碑」がある。

顕彰碑
歩兵第2聯隊長中川州男大佐の指揮する下記のペリリュー守備部隊は、昭和19年(1944)4月下旬
この島に転進、先着の海軍部隊とともに鋭意作戦を準備した。
同年9月15日米軍部隊が上陸するや絶対優勢の戦力に対し勇戦敢闘2ヶ月余の長期にわたり、
よく持久の任務を遂行したが11月24日ついに戦力尽き、中川大佐は自決、残る将兵も遊撃戦に転じ
祖国のため壮烈な最期をとげた。
この地は平和を念じて雄々しく散華した英霊に感謝し、その武勲を顕彰するにふさわしい戦跡である。
ペリリュー守備部隊
陸軍部隊 海軍部隊
歩兵第2聯隊
歩兵第15連隊第2大隊 第3大隊 
  及配属部隊
独立歩兵第346大隊
第14師団戦車隊
特設第33 第35 第38機関砲隊 
海上機動第1旅団輸送隊ノ一部
第14師団通信隊ノ一部
同経理勤務部ノ一部 
同野戦病院ノ一部
第23野戦防疫給水部ノ一部
第3船舶輸送部ノ一部
西カロリン方面航空部隊
第45警備隊ペリリュー派遣隊
第3通信隊ノ一部
第214設営隊
第30建設隊ノ一部
第3南西方面航空廠ノ一部
第30工作部ノ一部
第3隧道隊
昭和64年2月(FEBRUARY)
歩2会ペリリュー島慰霊推進会

碑文の銘板に「昭和64年2月」と日付が入っているが・・・
有り得ない日付である。
建立する時期に合わせて早めに「平成64年2月」と刻んだが、これが出来あがった時に昭和天皇がお亡くなりになられてしまったのである。
で・・・年号は昭和から平成になる。
天皇陛下がお亡くなりになられた昭和64年1月7日の翌日、1月8日に改元となり、この日は平成元年1月8日となったのである。
だから「昭和64年2月」は幻になってしまったのだが、そのまま嵌めこんだそうである。
考えようによっては、そのほうが昭和天皇を思い出すからいいんじゃないかなぁ〜と説明を聞きながら思った。

「大山」の頂上に登る。
ここには小さな展望台と、大きな米軍の第323歩兵連隊の記念碑が建っている。

LEST WE FORGET
THOSE WHO DIED

323 INFANTRY
U.S ARMY
頂上から見た景色

山を降りて「某所」に向かう。

ジャングルの中

とにかくジャングルの中は薄暗く写真が撮りづらい。
しかも案内役の“団長”はドンドン先に行ってしまうのである。
こちらとしては立ち止って写真を撮る暇もない。
写真を撮って、ふと前を見ると・・・・・どこに行ってしまったのか姿を見失ってしまうのである。
こんなジャングルの中で迷子にはなりとうない!(笑)
後ろを追いかけるので精一杯。
足元は隆起珊瑚と、木の根・・・湿度が高いので木の根はつるつるに滑る・・・これに乗ったら滑って転びそうになる。
写真の撮影などして遅れた分を取り戻すのは大変なのである。
走るに走れず、早歩きも無理・・・足元を見ながら歩くと、またまた皆を見失う・・・(涙)
ということで、否応なしに写真の撮影が出来なくなる。
ベストポジションを探して、撮影のモードをいくつか設定して、何枚か撮ってみる・・・なんていうことは不可能。
ストロボを使うと手前の葉っぱや木の幹、蔓などが光ってしまうので、ストロボは使いたくない。
そうなると、「手ぶれ防止機能」付きであっても手ぶれが起る。
慌てて撮影するからなおさら失敗作が積み重なる。(笑)
撮り直す時間的余裕は当然・・・ない。
最悪である。(大泣)

水も自由に飲めない。
“団長”から「小休止!」の声が出ないとリュックを降ろしてペットボトルを取り出すことが出来ないのである。
そういう時間的余裕がないのである。
これにはさすがに参った。
相手のペースに合わせて歩くというのは本当にキツイ。
湿度が高く、暑いため、喉が渇くが、自由に飲めない。(笑)
もちろん、タバコなんか絶対吸えない!(大笑)
そのくらい不自由だったが、それでもリュックに入れて持ってきたミネラルウォーター4本は半日で消費してしまう。
自由に飲めたら、何本消費したことか・・・(汗)
しかし、当時の日本兵は、もっと水に不自由しただろうに・・・よく戦ったものだと、現地に来てみて、痛切に感じた。

どんどん奥地に入り、仕舞いにはサンゴで出来た崖をよじ登るはめになる。
複雑に凸凹になっている岩にしがみつき、登ったり降りたりしながら「某所」の洞窟へ行く。
なんとか合間を見ながら写真を撮ったが・・・ブレた・・・
中川連隊長最期の地

この洞窟で歩兵第2連隊長の中川大佐が自決したという
連隊長が自決した連隊本部跡にあるもう一つの洞窟跡
ここには、副官とか衛兵とかが待機していたのだろうか?

帰りにいくつかの洞窟を確認しながら、この地を離れる。

九二式歩兵砲の残骸と思われる
鎮魂の碑 

ここは歩兵第2連隊本部の壕があった場所である。
「鎮魂」の碑には「終焉の地」という銘板が嵌められ、ここが中川連隊長が自刃した壕と紹介されているが、実際はここではない。
ここは当初の本部壕であり、最後の本部壕は、先ほど我々が訪れた「某所」のあの壕である。

残念ながら碑文は半分程度が判読不可能な状態だった。

終焉の地

この大山周辺は、日米両軍によるペリリュー島攻防戦の最後の激戦地である。
歩兵第2聯隊の本部はこの地に位置し聯隊長中川州男大佐は、攻撃を反復する米軍に対し、
守備隊の持久戦闘を指揮し、独創の肉攻斬込戦法により■大な戦果をあげ頑強な抵抗を続けた。
しかし昭和19年(1944年)11月下旬にはついに守備隊の戦力は尽き果て戦況急迫するに至った。
11月24日中川大佐はこの場所■■いて軍旗を奉焼し「サクラ・サクラ」の訣別電報を発したのち
作戦指導の (〜以下判読不可能〜)

碑文が半分近く判読不可能なのが残念。
何て書いてあるのかがわからないが・・・
この碑の建っている場所が「終焉の地」では、地形的に半日とはもつまい。
どう見ても徹底抗戦の指揮がとれるような場所ではない。
たぶん「終焉の地」というのはこの「大山」一帯ということだろうと思う。

「某所」の壕の中に埋もれている野砲があった。
車輪の鉄輪の部分と、砲身を支える駐退器が見える。
型式は不明・・・九〇式野砲か?

「大山」の麓にある、「ペリリュー神社」に立ち寄る。
この神社は日本の右翼団体が造ったという話である。
そういう話を聞いてしまうと正直言ってお参りする気が起らなかった。

ペリリュー神社

(説明碑・碑文)

ペリリュー神社
この神社は青年神職等の組織する清流社が昭和57年(1982)5月建立したもので、先の大戦において祖国日本を護るために此の地で散華された多くの陸海将兵と民間人すべての御霊を祀る鎮魂のところです
祭典は毎年行はれ祖国の安泰と世界の平和を祈念致します

平成13年7月吉日
清流社

この神社のすぐ近くに米海兵隊の記念碑が建っていた。

第1海兵師団の記念碑

この部隊はガダルカナル島で日本軍と戦った部隊である。

本日の「調査活動」はこれまで。
時刻は午後5時になる。
“団長”は、なぜか時刻に正確な方で・・・5時になったら・・・終わり!(笑)
ホテルに戻る。

夕食

毎晩のことだが・・・・
“団長”と“副団長”はよく酒を飲む。
帰ってくるとすぐに・・・酒!
私はタバコはよく吸うが酒はそれほど飲まない。
特に旅先では酒を飲むことはまずない。
体調を崩すのが怖いのと、酔って判断力がにぶるのが怖いからなのだが・・・・
別段、他人がお酒を飲むことには反対しないが・・・
困ったことに、幹部2名が早々と酔っぱらってしまうため、まともな話が出来ないのである。
今日行った場所の確認、明日の予定はどうなのか、何を持って行くべきなのか・・・
尋ねても話は一転二転・・・要領を得ない。
これには参った。
酔っ払い相手じゃ、だめだ・・・こりゃ・・・

夜中、土砂降りが降る。
やはり雨季だからなのだろう。
ちょっとやそっとの土砂降りではない。
恐ろしいほどの集中豪雨である。(苦笑)
幸いにも日中は降らないので助かるが、明日も、この調子で天気がもってくれることを祈る。


  


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