元米海兵隊上級曹長と再会

(ペリリュー島)


平成22年(2010年)9月15日

昨日、アメリカから「ミリタリー・ヒストリカル・ツアー」の一行がペリリューに到着したという情報が入った。
引率は元米海兵隊の“ジョン上級曹長”・・・・
この方には昨年の「グアム・硫黄島戦跡ツアー」でお世話になった。
いやぁ〜懐かしいなぁ〜
どこかで再会できるのではないかなと思うと嬉しい。

と・・・今朝になって、急遽、合同慰霊祭の話が舞い込む。
彼等が「大山」の海兵隊記念碑の前で慰霊祭をするので、日本側として参加してほしいと申し出があったという。
そういうことであれば、行かねばなりますまい!
食事を済ませて急いで現地に向かう事となる。

朝食

今朝はフレンチトーストでした!

途中、JAICAからペリリュー島の小学校に派遣されている女性教諭の“イチハシさん”の家に立ち寄り彼女をピックアップする。
“団長”“副団長”“ヤナギサワさん”は前回の巡拝慰霊の時にも彼女に会っていて旧知の仲。
そういうわけで、昨晩の夕食時にホテルに来てもらい一緒に食事をしたが・・・
その時に、彼女も戦跡には興味があり、一緒に戦跡の調査に同行したいというので、本日、一緒に行くことになったのである。

海兵隊の記念碑の所で“ジョン上級曹長”と再会!
彼は私を覚えていてくれた!
「いやぁ〜お久し振りです!」
慰霊祭は形式ばったものではない。
日米が並んで、“ジョン上級曹長”が簡単にスピーチして終わり。(笑)
あとは、我々日本側が一列に並んで記念碑に一礼して敬意を表わす。
みんなで記念写真を撮って、ここで解散!
日米合同で記念撮影!

また会いましょうということで別れ、我々は「某所」へ向かう。
ここには日本海軍の「短20センチ砲」と言われている砲があった。
私はこの「短20センチ砲」というのは初耳である・・・
へぇ〜そういう砲があったのか・・・

短20糎砲
大砲を見た後、さらに「某所」に向い・・・
ジャングルの中を歩く・・・
日本軍の陣地跡

「某所」では、日本軍大砲の砲身を見つける。
九四式37ミリ速射砲(対戦車砲)ではなかろうか?
また、洞穴前にドラム缶が並べてある場所もあった。
どうやらドラム缶で防護壁を作っていたらしい。

九四式37ミリ速射砲(推定)の残骸
日本軍の陣地跡
かなり見づらいと思いますが・・・
洞窟陣地の入口に日本軍の手榴弾の山が・・・
少なくとも7個以上はある。
みんな苔むして緑色に染まっていますが・・・

続いて、「某所」に向かう。
ここは先日訪れた場所でもあるが、見切れなかった洞窟陣地もついでに探索・・・

なにせペリリュー島には自然洞窟を利用した日本軍の陣地が600箇所ほどあったという。
しかし、現在、確認されている洞窟陣地は200箇所程度なのだそうだ。
一つ一つ丁寧に探して歩いたら・・・何年かかるか・・(苦笑)
しかし、戦後、今日までの間に、かなりの時間があったはずだが・・・
政府の遺骨収集は何をしていたのだろうか?
すでに昨日までに探索を終えた洞窟内で、ご遺骨をいくつも見つけた。
そこは、すでに政府の遺骨収集団が遺骨を収集し終った場所である。
だから、そこにはご遺骨は残されていないはずなのだが・・・
細かい骨(足か手の指の骨、上腕部か脛の骨らしき細い骨)が残っていたのだ。
頭蓋骨や顎の骨、大腿骨などの大きな骨だけを持ち帰り、細かい骨はそのまま放置したのか?
拾い忘れたのなら、かなり雑な遺骨収集をしていたということになる。
(我々がすぐに見つけられたのだから・・・拾い忘れるような場所ではない)
そういう調子なら、洞窟陣地も丁寧に探し回るということはしないだろうな。
まだまだ人知れず、ご遺骨が眠ったままになっている可能性がある場所が400箇所くらいあるということになるか・・・(大汗)

早速、洞窟陣地に入って探索というところで、問題が発生!
“イチハシ先生”がヘルメットを持ってくるのを忘れたという。(笑)
う〜ん・・・洞穴に入るには、ちょっとマズイ・・・・
というわけで、私のヘルメットとヘッドライト、LEDの懐中電灯を渡す。
で・・・私は??
当然、洞穴には入らない。(大笑)

「某所」の洞窟陣地跡

ちょっとだけ入口から覗くくらいにして、頭をぶつけそうな場所には入らないことにした。
どうせ、内部に入ってもゆっくり写真を撮る時間は与えてもらえませんから・・・(笑)
それより、洞穴の入り口でタバコでも吸いながら周囲の景色を見ていたほうがいい。

洞窟の入口から周囲を見る

当時は、このジャングルの草木も焼き尽くされ、岩山が露出していたはずだ・・・
どういう景色だったのだろうか・・・
洞穴の入り口に歩哨が立ったのなら、その歩哨はこの景色を見ていたんだろうなぁ〜
草木が1本もない景色を想像しながら、一人ポツンとジャングルに佇む・・・・
う〜ん・・・こういう時間が私は好きなのだ。
バタバタとした“見学”は好きではない。
“イチハシ先生”のおかげで、逆にいい時間を得ることが出来た。
感謝である。
う〜ん・・・・満足!

某所の洞窟陣地内でご遺骨を発見 
いくつかの洞穴を巡って、午前の戦跡調査は終了。
時刻は午前11時・・・

“イチハシ先生“の発案で、島で唯一の養豚場を見学に行く。(笑)

島で唯一の養豚場
豚の餌は、バナナの木の幹を煮込んだものだという。
へぇ〜そんなものを食うのかと驚いた。
ここの作業員はフィリピン人。
フィリピンでもそうやって豚を飼っているのだろう。
オーナーはパラオ人らしい。

豚さんは、暑さのせいか、お昼寝中・・・・
餌のバナナの幹を煮込むための大鍋

いつものように、お昼になったのでホテルに戻る。

昼食

さて、午後からの予定であるが・・・
JICAの職員が戦跡を見にペリリュー島に来るという。
これに“イチハシ先生”も同行するそうで、案内役として“団長”が引率するという。
はぁ〜・・・・いきなりの予定変更?
で・・・みんなで一緒に廻ろうということらしいのだが、どうも既に行った場所にもう一度行くことになるらしい。
正直言って・・・同じ場所にまた行くの?・・・それって時間がもったいないと思いますが・・・

私としては昨日行けなかった「某所」に行きたい。
そこには日本軍の戦車の残骸があるそうなのだが、昨日、ダウンしてしまい行けなかった・・・(涙)
私は戦車師団の戦友会の事務局長・・・・戦車とは縁があるということで今回この調査旅行に同行したのである。
しかも、我が戦車師団に一時期配属となった方々が、そのまま第14師団戦車隊に転属となり、ここペリリュー島に派遣されているのである。
ということは、益々縁があるということになる。
その戦車の残骸の中にはご遺骨が眠っているかもしれない。
慰霊をしてやらねば・・・ということで参加したのである。

できることなら、行ってみたいのである。
“副団長”“ヨコハマさん”も昨日の調査で見つけられなかった某戦車の残骸を見つけたいとのことなので、我々3人は別行動を取ることにした。
“ヤナギサワさん”が“団長“に同行してくれるとのことなので助かった。

昼食後、JICAのグループと一緒に2台の車で移動。
途中で我々3人を降ろしてもらい、徒歩で「某所」に向かう。

ジャングルの中に日本軍の九五式軽戦車の残骸があった。
横転している状態のようで、ほとんどが土の中に埋もれてしまっている。
多分、掘りだせば、丸々一台分の戦車がその姿を現すに違いない。
戦闘中に横転したというよりも、戦後、ブルドーザーか何かで押されてここに捨てられたという可能性が高い気がする。
なぜならば、終戦直後に米軍が撮った写真の中で横転している日本軍の戦車の写真を見たことがないからである。
ということは、車内に遺体を残したまま、ここに“捨てられた”可能性もある。
是非とも掘り出して内部を確認したいのだが、手を触れてはならないのでそれは出来ない。
なんとも残念である。

この周辺にはこの戦車の他、多分他の戦車のものであろう車輪が土の中からあちこちに顔を出していた。
同一車両のものか、別の車輛のものか区別がつかないが・・・
複数の戦車の残骸があるようだ。

“ヨコハマさん”が数えてみたところ、7両ぐらいの戦車が埋っているのではないかという。

その戦車の残骸の数の確認が昨日の目的だったが、昔、“副団長”が見つけた戦車の残骸が見当たらないとのこと。
今日はその再調査も兼ねての調査である。
横転ではなく、そのまま水平に保った状態で、砲塔部分だけがなくなっている車体部分を見たという。

が・・・ジャングルの中の捜索は難しい。
数メートルずれると見つからないのである。
僅か数メートルなのに見落としてしまう。
で・・・真っすぐ歩いて、右に折れ、また右に折れて真っすぐ歩き・・・とジグザグに歩いてみたのだが・・・
生来の方向音痴・・・・
そのうち、わけがわからなくなり・・・
おお!見つけた!・・・と思ったら、いつのまにか元の場所・・・(大笑)
あれぇ〜????
ん?私はどっちに向かってどう歩いていたのやら・・・・

飛行機の水冷エンジンの残骸
「田」の字が見えたが・・・
もしかして「熱田」エンジンなのだろうか?
こちらは・・・
飛行機の水冷エンジンの残骸のようである。

この他、いくつもの戦車以外の残骸を見つける。
どうも、ここは“戦場清掃“時の廃棄場になっていたようである。
散々3人で探しまわったが、とうとう“幻の戦車”の残骸は見つからなかった。
草に覆われてしまったのか、それとも数年のうちに土に埋もれてしまったのか・・・
それともすぐ目の前にあったのに見逃していたのか・・・
ジャングル内での探索は本当に難しい。

そろそろ合流する時刻だということで調査は中断。
JICA組のいる場所まで徒歩で向かう。
が・・・暑い!
とんでもなく暑い!(笑)
照り返しがキツイのである。
島の内部を何本かの道路が走っているが・・・
サンゴ礁を砕いたもので“舗装”されているせいか、その白さに反射して照り返しがキツイ・・・(涙)
歩く距離は、たいした距離ではないのだが・・・バテ気味になる。

我々が乗ってきた車は道路際には止めず、幹線道路から少し入ったジャングルの奥に置いて(隠して?)あるという。
というわけで、先に“副団長”が確認のため横道に入っていく。
“ヨコハマさん”は今日の夕方、コロール島に一人で向かうと言う。
我々より一足先に帰国の途につく。
ちょうど、日本人観光客のペリリュー戦跡ツアーが来ているので、その帰りのボートに便乗するつもりだという。
で・・・どうやってホテルに帰るかだが・・・(笑)
この島は、滅多に車が走っていない。
しかし、運よく偶然、トラックが通りかかったので、ヒッチハイクでホテルに向かった。
ドライバーが「お前は乗らないのか?」と言うので、「俺は乗らない。行っていいぞ」と言ったら怪訝な顔をされた。
そりゃそうだ・・・
ジャングルの中の道路際にポツンと一人で残ってどうするんだ・・・と思うのは当然だ。
右を見ても左を見ても民家はない・・・ジャングルだけなんだから・・・(笑)

ジャングルから、かなり奥に入ったところに車が2台置いてあった。
ここでしばらく待っていたらJICA組がジャングルから出てきた。
彼らの戦跡の見学もここで終わり。
ご苦労様という事で彼らと別れ、我々は車でホテルに一旦戻る。

かなり早い時間に戻ったので、アメリカから来たグループの宿泊先に遊びに行く。
彼らの宿泊先は「北波止場」の目の前のホテル。
すでにアメリカ組はホテルに戻っていてくつろいでいた。
ホテルのベランダで“ジョン上級曹長”にビールを御馳走になり、みなさんと談笑。
・・・といっても、片言英語なので四苦八苦。(笑)
相変わらず英語は駄目だ・・・・(涙)

“ジョンさん”が、私のことをみんなに紹介して下さった。
「2年前に、この人と一緒に硫黄島に行ったんだよ」
「え?2年前じゃなくて去年ですよ」
「去年?そうかぁ〜去年だったかぁ〜(笑)」

彼等は6人のツアーで、その中にペリリュー戦に参加された方が一人おられた。
オレンジビーチから上陸した海兵第1師団に海軍から配属になっていた衛生兵だという。
当時の写真や、海兵第1師団の戦史の本などを見せてもらう。
この“おじいちゃん”・・・・
17歳で従軍したと言う。
海兵隊には「衛生兵」というのはないのだそうで、「衛生兵」は海軍から派遣されるのだそうだ。
へぇ〜・・・海兵隊に衛生兵という“職種”がないとは驚いた。

「海兵第1師団はニューギニアでも日本軍と戦いましたよね?」
「よく知ってるねぇ〜。でも、私はその後に配属になったから、ここが最初の戦場だったんだ」とおっしゃる。
「オレンジビーチに上陸したんですか?」
「そう」
「横から弾が飛んできたでしょ?」
「ああ・・・あれは怖かったねぇ〜。ビーチに伏せたまま顔が上げられなかったよ。だって私は17歳だったんだからね。怖かったなぁ〜」
「私が住んでる茨城で編成された部隊が、横からあなたを撃ったんですよ」(笑)
「ほぉ〜、そうだったのかい!」(笑)

この従軍経験者との会話は楽しかった。

ちょうど、夕方になり、パラオ本島に戻るボートが港から出ていく。
港の眼の前にあるホテルのベランダでおしゃべりしていたので、よく見える・・・
日本人戦跡訪問ツアーに混じって“ヨコハマさん”も乗船していた。
無事に合流したようだ。
手を振ってお互いに別れの挨拶!
偶然にも見送れてよかった。
が・・・仲間と途中で別れるというのはなんとも寂しいものである。
なぜだかわからないが、特に港での別れというのは寂しさが格別である・・・

夕食

  


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