日米合同で調査

(ペリリュー島)


平成22年(2010年)9月16日
今日の朝食はパンケーキでした。
ん?ホットケーキ?(笑)

今日は、午前中、“ジョンさん”たちのツアーと合同で現地調査に入るという。
以前、彼が調査に入った時に日本兵の遺骨を見つけたというので、その現場を教えてもらうということだそうだ。

“アメリカ組”の宿泊しているホテルに向かう。
ホテルの前で彼らを待っている時に「レインジャー」に声をかけられた。
ゴッツイ体格の男で真黒いサングラスをかけている。
プロレスラーかマフィアの用心棒のような男である。(笑)
「レインジャー」とは、戦跡などの遺跡を監視している連中で、勝手に触ったり持ちかえったりしないよう監視しているらしいが制服は着ていない。
普段着なので、誰が「レインジャー」なのか、わからないという。
我々は車をジャングルの中に隠して行動しているのであるが、車上狙い防止と、我々の行動をあまり詮索されたくないというのが理由。
で・・・この男・・・
私に「お前がリーダーか?」と声をかけてきた。
「いや、あの人がリーダーだ」と“団長”を指す。
「政府の人間か?」
「いや、俺たちは民間人だ」
ちなみに“団長”は英語が全くできないので“副団長”が通訳をする。
で・・彼が言うには・・・
「お前らが酋長の車を乗り回して島のあちこちに行っていることは知っている。ここの島には法律があり、戦跡の見学をするのはいいが、触ったり持ちかえったりしてはいけない。わかっているか?」という忠告である。
“団長”も“副団長”もこの島には何十回と来て調査をしているので先刻承知である。
ん?何をいまさら・・・そんなことを偉そうに言っているのか?
ニコリともせず、やたらと凄んでいるのである。
この男とは、既に何度も会っていて、私は挨拶してるんだけどなぁ〜(笑)
基本的に、私は誰にでも挨拶することにしている。
何かあれば挨拶した時に声をかけてくるだろうと思ってやっているのだが・・・
こいつには何回挨拶しただろうか?
ここに到着して何日経つ?今頃何を言っているのやら・・・・
もしかしたら、誰かに「ちゃんと忠告しておいたのか?」とかと責められて、形だけ、とにかく忠告しておこうということなのか?
それとも現地のガイドを同行させずに動き回っているので、怪しいと見たか。
日本政府の職員が遺骨収集の事前調査に勝手に入ったとでも思ったか?
とにかく我々はトラブルを避けるためかなり神経を使って調査をしているので落ち度はないはず。
現地の戦跡を調査するには各自、許可証の取得が義務付けられているが、我々はそれも取得済みである。
仮に無許可でジャングル内に立ち入ったら忠告では済まない。
許可証を持っているから問題はないはずである。
彼も、言うだけ言って立ち去った。

“アメリカ組”と一緒に「某所」へ向かう。
昨日お会いした元衛生兵のおじいちゃん”は高齢ということで“お留守番”。(笑)
アメリカ人5名、日本人4名の合計9名でジャングルの奥地に入る。

“日本軍”と“米軍”がお互いに道を譲ったり気遣ったりしながら和気あいあいとして歩く。
英霊は不思議な光景だと思っているだろうなぁ〜
途中、途中で“ジョン上級曹長”からここで戦った海兵隊の戦史の説明を聞く。
勿論、英語だから完璧にはわからなかったけど・・・(笑)
途中で、興味津々のアメリカ人参加者が勝手に列から離れ崖を登って近くの洞穴を覗きに行ったりする。
が・・・行ったはいいが、崖を降りるのにひと苦労している。
他人事とは言え(笑)、最後尾を歩く私はハラハラものである。
転落事故でも起こされたら私が助けねばならんのだろうから・・・・(汗)
こんな体の大きなアメリカ人は担げない!(大笑)

あるアメリカ人が「これ、何だ?」と手に持った“物”を私に見せて言う。
「ん?それ・・・手榴弾だよ」
「手榴弾?」
「そう、日本軍のグレネ―ド」
「オオ!グレネード!!」
手榴弾と言ったらびっくりして他の人を呼んで見せていた。
へ?そんなに珍しいかな?
米軍のものとは形が違うので、まさかこれが日本軍の手榴弾とは思わなかったのだろう。
しかし・・・・それ、不発弾なんですけど!(大汗)
「投げるなよ!衝撃を与えないで!そっと置いてよ!」・・・・と言い聞かせる。
ここで爆発でもされたらと思うと冷や汗ものである。
勝手に触っちゃ駄目だって言われているはずなのに・・・どうしてそういうことをするかなぁ〜(大汗)

ようやく“現場”に到着。
遺骨は野ざらし状態だった。
教えてもらわないと見落としてしまうような場所にあった。
サンゴで出来た岩と人間の骨が同色なのでわかりづらい。
崖の上に足か腕の骨、その崖の下に頭蓋骨と大腿骨・・・・
地形を見ると、自然の崖を利用したよく出来た陣地である。

頭蓋骨は2つあるようにも見えるが、手を触れるわけにはいかないので確認できない。

更にここから100mほど奥地にもう1体の骨があるという。
話によれば、うつ伏せ状態の完全な形で残っているとか。
100mというと近い感じもするが、崖をよじ登り、下り、またよじ登り・・・で100mというのはかなりの距離である。
時間的に難しいし、私を含めた“ド素人”を連れては転落事故の可能性もあるということだろう、そこへ行くのはやめにしたらしい。
次回、機会があったら、捜すということにして戻ることになった。
今回発見した御遺骨の収集はできない。
触ってはいけないことになっているので、位置の確認のみ。
現在、現地の規制のせいで日本政府の遺骨収集も出来ない状態なので、いつかそれが解除され、遺骨の収集が可能になるまで“封印”ということにする。
ご英霊には申し訳ないけど・・・・帰ります。

崖を登るのはそれほど難しくはないが・・・
降りるのはかなり大変なのである。
“副団長”から「3点保持で降りて下さい!3点保持!」と声をかけられたが・・・・
「え?3点保持って・・・何?」(笑)
「え〜と・・・3点保持は・・・3点保持ですよ!」と崖下から“副団長”
「ん?俺、3点保持していない?しているつもりなんだけど・・・してない?」
「全然してません!危ないですよ!3点保持しながら降りて!」
3点保持って、両手と片足、もしくは両足と片手の“3点”がどこかに触っていればいいんじゃなかったっけ?
ちゃんとやっていたつもりなんだけど・・・
「いいえ!2点保持でした!」(笑)
崖下から見ていてかなり私の動きは危なっかしく見えていたらしい。(大笑)
いやぁ〜すまん!すまん!

“アメリカ組”とは、このジャングルの中で解散。
我々は更に「某所」の洞穴陣地を調査して帰る事にする。

機銃が立てかけてあるというのは不自然である。
以前、ここに来たときは、こういう状態ではなかったと“団長”
誰かが、立てかけたものと思われる。
火炎放射器で焼かれたと思われる洞窟陣地
今でも黒いススが残っている・・・

ビール瓶、食器、軍靴、防毒マスクの吸収缶などガ残る洞窟陣地・・・・
この靴を履いていた人はどういう人だったのだろう?

毎度のことながら、ジャングルの中は湿気が高く汗でビショビショである。
ちょうどこの時期はペリリュー島が玉砕した時期と同じ。
よくもこういう気候の中で日本兵は戦ったものだと感心する。
のような“ひ弱な”日本人では無理だろうなぁ〜(笑)
昔の人は偉かったと思う。
大したものだと思う。

「某所」を出てきたところで、2名の外国人に会う。
なにやらテントらしきものを準備していて立て看板を立てている。
なんだろう?
“団長”が何をしているのか聞いてこいというので、仕方がない(笑)、私が聞きに行く。
彼等はイギリスから来た爆発物処理チームの一員だそうだ。
が・・・この人の英語が早口!(笑)
「英会話の教材テープ」を2倍速で聞いているような感じ。(大笑)
わからねぇ〜!!
何とかかんとか聞きとれた話によると・・・・(笑)
しばらく前からペリリュー島に滞在して処理活動をしているという。
すでに6000発の爆発物を処理済みで、今からこの地区の処理をするのでその準備をしているのだそうだ。
どうもボランティア活動のような民間組織らしいが、物腰や言葉づかいからして退役軍人だろう。
爆発物処理活動の資金は寄付で賄っていて、今回はイギリスとニュージーランドが出してくれているらしい。
日本軍の不発弾を処理するのに、日本政府は資金の援助をしてくれないとかなんとか言っていた。
爆発物が多いから気をつけて歩いてくれとのこと。
ブービートラップ(罠)も仕掛けられているから・・・と言われてビックリ!
「ブービートラップ?」
「イエス!ブービートラップ!」
しかし、時すでに遅しである。
我々は今さっき、そこから出てきたばかりなんだから〜(笑)
「ブービートラップ(罠)」とは、仕掛け爆弾のようなものか?
よく引っかからなかったものだ・・・・(汗)
それじゃね!・・・ということで別れる。

お昼までにはまだ時間があったので・・・
“イチハシ先生”の勤めている「ペリリュー小学校」に寄ってみる。

ちょうどスクールバスに子供を乗せている人がいたので尋ねたら、先生ではなく送迎係の職員なので“イチハシ先生”のことは知らないという。
スクールバス(ワンボックスワゴン車)の中を見たら、どう見ても小学生には見えない。
チャイルドシートに座ってシートベルトを着けてもらい、私を見てキョトンとしている。(笑)
幼稚園児のようだ。
この小学校では小学校へあがる前の年齢の子供も預かっているらしい。
幼稚園も併設ということか?(笑)
それにしても、チャイルドシートにちゃんと乗せるとは大したものである。
大いに感心してしまった。

教室の前に生徒がいたので声をかけて“イチハシ先生”のいる場所を尋ねる。
もうこうなったら、勝手に学校の敷地内を歩き回る。(笑)
「図書室にいる!」
「図書室ってどこ?」
「あっち!」
「あっちって・・・どこ?」
「そこ!」
「わからねぇなぁ〜・・・案内してよ〜!」と騒いでいたら・・・他の先生に見つかった!(笑)
用件を話して、“イチハシ先生”のいる場所まで案内してもらう。
子供たちにケラケラ笑われて格好が悪い。(笑)

先生はちょうど授業時間ではなく、給食の時間まで時間が空いているという。
学校の近くにある戦跡を案内してもらうことにした。
そこにはコンクリート製の建物が・・・
どうも海軍の電信所だった建物のようである。

ここは個人の所有地だが、先生の顔が利いて内部まで見学できた。
内部に入ったらいやぁ〜かなり大きな立派な建物である。
何人の日本兵がここで働いていたのだろう?

ちょうど給食の時間になったので学校へ戻り給食を見学する。

教室
小学1年生の給食風景

小学1年生は、我々“外国人”を見て・・・キョトン!!(大笑)
2年生、3年生は声をかけると恥かしがるが、4年生ぐらいになると結構興味津々で話をしてくる。
片言英語で質問すると流暢な英語で逆襲され、英語の出来ないこっちは答えられないという情ないことも起きる。(大笑)
子供はどこの国でも可愛いものである。
パラオでは小学校と中学校が一緒だそうだ。
1年生から8年生までいる。
日本とは違い6・3制ではない。
一貫して8年らしい。
日本も小学校、中学校と校舎を分けず小中一貫でもいいんじゃないかなぁ〜(笑)
で・・その上はハイスクールだが、ペリリュー島には高校はないそうだ。
パラオ本島へ行くことになるらしい。

ちょっとだけ給食風景を見学して、校長先生に挨拶して辞し、ホテルに戻る。

昼食

昼食後、午後の戦跡巡りに出発する。
まず、「某所」へ向かい、ジャングル内のコンクリート製の戦跡を見学・・・・

これが何の建物なのかは・・・・知らない。(苦笑)

さらに島の南部の「某所」へ向かい、ここのトーチカを見学。
これは群馬県高崎の歩兵第15連隊第3大隊の守備陣地。
かなりしっかりしたトーチカで、上手にカモフラージュされている。
この部隊はこの地で玉砕している。

かなりのハイレベルなトーチカには驚いた。
こりゃ、すごい。
優先的に資材の供給を受けて構築したのだろう。
作りもなかなか素晴らしい。
これを作ったのは工兵隊だろうか・・・・すばらしい出来栄えに感激。

このトーチカのすぐ近くに大砲の残骸が・・・
九四式37ミリ速射砲(対戦車砲)ではないかと思う。

このすぐ近くに、同じようにカモフラージュされた半地下式の発電設備らしきものを見つける。

更に移動・・・・
さて、そのうち、どこをどう走っているのかわからなくなった。
わかっているのは“団長”と“副団長”だけ・・・・
地図を持っていないので現在位置すらわからない。
これには参った。
島の南の方であることだけはわかるのだが・・・・
どうも自分の足で歩かないとわからない。

どこかの海岸・・・(苦笑)
ここは一の字半島の「ハネムーン・ビーチ」だったかな?

更に車で移動・・・

ここは「一の字半島」の端のほうだと思うのだが・・・
よくわからない・・・(苦笑)

地形的に言って、この近くにトーチカがあってもよさそうなものである。
というわけで・・・単独で奥の方を探索してみたら・・・
やっぱり勘が当った!
珊瑚礁の岩でカモフラージュされたトーチカを見つけた!

カムフラージュされたトーチカ

午後の戦跡巡りを終えてホテルに戻る。

途中、墓地に立ち寄り、慰霊碑を参拝。
明日はコロール島に戻るので、お別れの挨拶・・・・

これで今日の行動は終了!
今日でペリリュー島の滞在は最後・・・・

振り返ってみると、あっという間だったなぁ〜
なんだかわけがわからないうちに終わってしまった感がある。
1度来たくらいじゃ駄目だな・・・(笑)
何度か来ないと、よくわからないが・・・・何度も来るほどの余裕が取れるかどうか・・・
どうも「消化不良」気味の戦跡巡りだったが・・・
オプショナルツアーの「戦跡巡り1日ツアー」よりは、かなり充実した内容であることは間違いない。(笑)
団長以下、皆さんのおかげである。
感謝、感謝。

夕食

  


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