単独行動!

(コロール島)


平成22年(2010年)9月18日

今日は橋を渡って、パラオで一番大きい島・・・「バベルダオブ島」の北端までドライブするという。
ゲゲッ・・・・
あの昨日の運転では、とてもじゃないが、申し訳ないが二度と車に乗る気は起らない。(笑)
とてもじゃないが、命を預けたくはない・・・(大笑)
団長たちは何度もここに来ているが、私は初めてである。
コロール島を少し歩き廻りたい。
ということで・・・今日は我儘を言って皆さんとは別行動をさせて頂くことにする。

ドライブに出発する皆さんを見送った後、ホテルを出発!
一人でテクテクと徒歩で散策・・・
ホテルの目の前がコロール島のメイン道路なので、この道路沿いをまずは延々と歩いてみようか・・・と歩きだす。
球場の近くに日本軍の特二式内火艇が置いてあるとのことなので、まずは、そこを目標とする。
球場は消防署の近くにあるとのこと。

消防署と警察署が同じ場所にあった。

消防車は「いすず」製である。
パトカーは「日産」製である。

で・・・この奥の方に戦車があるらしい・・・・
ポツンと“放置”された感じで特二式内火艇が置かれてあった。
その近くを散策したら、どうも地下壕らしきコンクリート製の半地下建造物がいくつかあった。

特二式内火艇

日本軍の水陸両用戦車である。
前部のフロートは失われているが、後部のフロートは付いたまま。
背中に乗せている対空機銃は、元々あったものではない。
多分、現地で応急的に載せたのであろう。

すぐ近くには貯水槽らしきコンクリートの円柱の建造物もある。
民家の目の前なので、念のため住民に許可を得ようと家を訪ねたら、小学生の少年が一人しかいない。
彼に敷地内に立ち入っていいか、写真を撮っていいかを尋ねてOKをもらう。
小学生に許可をもらうというのもおかしな話だが、無断で立ち入るよりはいいだろう。(笑)

写真を撮った後、近くの東屋で休憩。
先ほどの少年と、近所の青年がやって来て私の横に座るが・・・・何も言わない。
なにが面白くて私の隣りに座っているのだろう?(笑)
黙ったまま、隣に座って遠くを見ている・・・
「歳はいくつだ?」と話しかけたら、流暢な英語でペラペラしゃべりだした!
あら・・・話しかけたこちらがシドロモドロである。(涙)
この少年、学校で習ったパラオの歴史について話をしてくれるのだが・・・わからねぇ〜
しまったぁ〜
昨日訪れた博物館で、ちゃんと見学していれば少しはパラオの歴史について知識を得ていただろうに・・・
ろくに見学もせず、さっさと出てきてしまったツケをここで払わねばならなくなった。(汗)
で・・・さらに少年の話しは続く・・・・

「学校をサボって友達と2人で昼寝をした場所がある。涼しくて気持ちのいい場所なんだ。日本軍のもので、コンクリートでできている。案内しようか?」
「あそこにある奴だろ?見たよ」
「中に入って見たのか?」
「中には入ってない」
「案内しようか?涼しくて気持ちいいよ」
う〜ん・・・服が汚れそうなのでやめよう・・・「いや、案内してくれなくていいよ」
「案内したいんだけど・・・」
「いや、結構だ、案内しなくていい」(笑)

「僕の部屋は夜になると時々ガタガタって揺れるんだ」
「揺れるのか?ガタガタって?」
「そう、突然、揺れるんだ!」
へぇ〜何だろ・・・それ・・・
「仕方がないんだよね。僕の家は昔日本軍の病院があった場所なんだ」
「へぇ?日本軍の病院?君の家が?」
「そう、だから夜に揺れても仕方がないんだよね〜日本の兵隊がたくさん来て揺らすんだと思う」
オイ、オイ・・・・
いやにあっさりと言うじゃねぇかぁ〜(笑)
それ・・・怖いだろ〜
え?幽霊が出るってこと????
本人はケロッとして言うんだから驚く。(苦笑)

もうひとり、後から来た青年は、私への質問攻めである。
「いつ来たのか?」「何しに来たのか?」「ペリリュー島には行ったのか?」「今度、日本軍のいた場所に車で案内してやる」等々・・・・
で・・・「お前は軍人か?」である。(大笑)
どこへ行っても、この質問はよくされる。
どうも私は軍人に見えるらしい。
軍人だった祖父の血を引いているからかなぁ〜?

話は30分以上も続いた・・・・
いやはや英会話はもうたくさんである。(大涙)
そろそろ立ち去ろうとしたら・・・・
「あれは、お前の仲間か?」と青年が指さした。
・・・と、その方向を見たら・・・ワゴン車からアメリカ人たちが降りてきた。
ありゃ!ペリリュー島で会ったジョン上級曹長のグループではないか!(驚)
「おお!友達だ!アメリカの元海兵隊の連中だよ」
今度はいつ来るんだと聞くので、多分来年・・・と適当に答える。(苦笑)
来年来たら、またここに来るから、ここで会おう・・・ということで別れを告げる。

で・・・今度はジョン上級曹長へご挨拶。
「お〜い!ジョンさん!」
「あれ〜何でここにいるの?一人?」
「そう、一人で散歩!」(笑)
他の参加者達からも、「又会ったねぇ〜!」と声をかけられる。
英会話から逃げようと思ったのに・・・また英語を話さねばならんのか・・・(トホホ・・・である)

早く逃げ出さねば・・・・日本軍の戦車について説明してくれなんて言われたら最悪である。(大汗)
・・・・ということで、挨拶だけして、みんなに別れを告げて、サッサと退散・・・(大笑)

この町のメインストリートと思われる道に沿って歩く・・・・
この道路の脇に「日の丸」が描かれた記念碑のようなものが建っていた。
この道路が日本の援助で整備された道路であることを示しているらしい。

THE PROJECT FOR
THE REHABILITATION OF ARTERIAL ROADS
IN THE METROPOLITAN AREA

GRANT AID FROM THE PEOPLEOF JAPAN
AS A TOKEN OF FRIENDSHIP AND COOPERATION
BETWEEN JAPAN AND THE REPUBLIC OF PALAU
2009

(銘板より)

教育省(文部省)の建物の前には、台湾がこの建物の太陽光発電システムの援助をしたという大きな看板が建っていた。
パラオに対して台湾はかなり経済援助をしているらしい。
話によると、パラオは台湾を一つの国として認めているからだとか・・・
その御礼で・・・ということなのだろう。
翻って日本は、台湾を「国家」としては認めていない。
中国に、中国共産党に媚びているということになるか?
その昔、日本の委任統治領だったパラオのほうが、一本筋が通っているように思えますが・・・(笑)
統治した側の日本の体たらく・・・・情けない・・・・(汗)

教育省の建物
道路の向こう側に「パラオ高等学校」・・・・
門柱に特徴がある。
あの門柱は・・・日本統治時代のものではなかろうか?

更に歩く・・・・
ちょっと目立つ白い建物が見えてきた。
この建物は、日本が統治していた時の「南洋庁」の庁舎。
現在は裁判所として使われている。
残念ながら、今日はお休みのようでドアが閉まっていた。
内部が見られるものなら見てみたかったなぁ〜
こういうデザインの建物ってなぜだか好きなんだよなぁ〜(笑)

更に歩くと・・・かなりの豪邸の敷地内に大砲の砲身が置いてあった。
日本軍の八八式7.5センチ野戦高射砲の砲身のような気もするが・・・
勝手に敷地内に入ったのではマズイので、道路から・・・パチリ!

更に歩いていると・・・近所の家から犬が吠えながら飛び出してきた!
ギョェ〜!!
危うく足を噛まれそうになる。
キョロキョロしながら歩いていたので“不審者”と思ったのだろうか?
それともパラオ人と日本人は匂いが違うから・・・ということだろうか?(笑)
ワンワン吼える犬を睨みつけ・・・なんとか無事に猛犬の攻撃をかわし先に進む。

時刻はまもなく12時・・・・
しかし、周囲には食事が出来そうな場所がない!
う〜ん・・・戻るかぁ〜

このあたりまでが限界だな・・・(笑)
道路を渡り、反対側に出てUターン。
今度は反対車線側の歩道を元来た方向へ戻ることにする。

先ほど歩いた道の反対車線を戦争遺跡がないかとキョロキョロしながら歩く・・・
と・・・ある民家の基礎部分が目に入った。
コンクリートでできているが・・・これは戦時中の遺物だろうか?
結構、当時のものの上に家を建ててしまうということはよくあることである。
コンクリートのトーチカの上に家を建てれば家の基礎は完璧であろう。
これも、それと同類か?
それとも、戦後にコンクリートで造られた物か?

裁判所の近くまで戻ってきたら、更にコンクリートの建造物を発見!
こういうのは車に乗っていたのでは見つけられない。
やはり自分の足で歩かねば・・・・
これは、どうも地下壕の出入り口のようである。
出入り口は閉鎖されているが、位置からいって道路の下を通って裁判所(旧南洋庁庁舎)の地下に繋がっている感じである。
防空壕の出入口なのかな?
それとも南洋庁庁舎からの秘密の脱出口?(笑)

「パラオ高校」のところまで戻ってきた。
ちょうど“用務員のおばさん”みたいな人がいたので、この近くに戦時中の日本軍の遺物がないかどうか尋ねてみたのだが・・・
「何もない」と言う。
校門は昔の日本統治時代のものらしいとのこと。
それ以外は無いという。
で・・・敷地内の立ち入りの許可を得て敷地内を歩いてみたら・・・あった!
一見、日本人のお墓のように見えたが、学校の敷地に「お墓」というのもおかしい・・・(汗)
もしかしたら、銅像の台座かもしれない・・・

文字はほとんど欠けていて読めないのだが・・・・
多分・・・「従三位勲三等 横田郷助○○」と読める。
戦前か、戦中か、昔、ここに住んでいた人なんだろうなぁ〜
従三位勲三等・・・って書いてあるんだから偉い人だったんだろうなぁ〜
何をした人なんだろう?
統治時代の日本人学校の校長先生とかかな?
一礼してお参りとする。

校舎の隣りの敷地・・・
ここも学校の敷地だと思うが・・・
変わった門柱と塀の一部が残っている。
確かに“おばちゃん”の言うように、門柱(?)は日本風な気がする。
途中で綺麗な花を見かけたので・・・パチリ!(笑)

ここからすぐ近く・・・道路の反対車線を見たら、街路樹の下に、なにやら石柱が・・・
デジカメのズーム機能を使って見てみたら、「パラオ公園」と刻まれている。
(こういう時は、デジカメは望遠鏡代わりになるから便利である)(笑)
どうみても「公園」には見えないが・・・(汗)
公園を潰してマーケットを建ててしまったのか、それとも他の場所から「パラオ公園」の石柱を持ってきて置いたのか・・・

更に歩くと・・・「パラオ・コミュニティ・カレッジ」(パラオ短期大学)のところに銅像を発見!
パラオには「ユニバーシティ」(大学)はない。
短大までしかないので、酋長の親戚の娘は日本の大学に留学したいと言っていた。
この銅像は・・・誰だろう?
「プリンス」って書いてあるから・・・王子様?(笑)

“OSIIK A LLOMES”
A Memorial
of
Prince LeeBoo of Belau
1763 to 1784
With the consent of his father, King Ibedul of Koror, Prince LeeBoo deperted Palau
With Captain Henry Wilson and the Crew of Antelope to London, England on
November 12, the year of our lord 1783.
While in London, Prince LeeBoo became Palau's de facto ambassador of goodwill
to England and Palau's first true scholar.
However, LeeBoo's planof returning to Palau to spread universal knowledge and
scientific discoveries to his people came to an abrupt end when the young prince
succumbed to small pox in the winter to 17■■ .
The remains of Prince LeeBoo and his grand plans for Palau lay buried today in
the courtyard of St. Mary's church in Rotherhithe, London, England.

This memorial is erected here, so despite the dilapidation of time, the spirit of
Prince LeeBoo shall continue to live in the hearts of the People of Palau.
For a grateful nation whose spiritthe invigorated and for the new generation of
prolific scholars whom he inspired, the memory of Prince LeeBoo and his profound
dreams, is enshrined here, now and forever.

This memorial is dedicated to PARAMOUNTCHIEF IBEDUL YUTAKA GIBBONS,
BELUNG GLORIA GIBBONS-SALII, to the yourth and the aspirating scholars of
Palau.
This memorial was made possible

by

JACKSON M. HENRY
Donor, Founder (PLGS)
Angaur State, ROP.

MASAICHI ETITERNGEL
Consultant
Ngiwal State, ROP.

THE SUPPORT OF THE PEOPLE OF PALAU WHO SUBSCRIBE TO THE
PHILOSOPHY
“OSIIK A LLOMES”
September 22, 1999

(プレートの碑文より)

さすがに暑い!
腕が焼けてヒリヒリ痛むので、木陰に入り、ミネラルウォーターを飲みながら休憩。
こんなに痛くなるのなら半袖じゃなくて、暑くても長袖を着ておくべきだったと後悔。

この辺りが町の中心になるのだろうか?
なんとなく賑やかな雰囲気・・・・

時刻は午後1時を過ぎた・・・・
腹は減ったが・・・何を食べたいという気もない。
メインストリートから1本奥に入ってみたら「ドーナッツ屋」さんを見つけたので、入ることにした。
で・・・ドーナッツとコーヒーを頼む。
お店の“おばちゃん”が何か説明してくれたのだが、よくわからない。
どうも「セット」のことを話しているようで・・・何度か聞いてようやく解った。
ドーナッツ2個とコーヒーのセットが得だということらしい。
しかし、私はドーナッツは1個だけ食べれば十分である。(笑)
「セットの方がお得ですけど・・・」
「ドーナッツは1個でいいんだ」
「じゃぁ、1個食べて、1個はホテルに持って帰ったら?」
う〜ん・・・まだまだ歩き続けるので、ドーナッツを持って歩きたくはない・・・(笑)
「セットじゃなくていいから、ドーナッツ1個とコーヒーください」
「ドーナッツ1個とコーヒーじゃ高いんだけどねぇ〜」
“おばちゃん”から怪訝な顔で言われてしまった。(大笑)

ドーナッツ屋さんの店内・・・
お客さんは、私一人・・・(笑)
コーヒーとドーナッツ!
これが今日の昼食!(笑)

ドーナッツを食べた後、お店の目の前にある建物について“おばちゃん”に尋ねてみた。
昨晩、食事の帰りにこのあたりを歩いた時、団長が、この建物は日本統治時代の料亭の跡だと言っていたからだ。
しかし、“おばちゃん”は日本には関係のない建物だという。
昔、映画館だった建物だと言う。
そう言われれば、料亭というより映画館という感じである。

昔、日本の料亭があった跡に、戦後、映画館を建てたということなのだろう。
他に日本軍に関するものが何か残っていないか尋ねたら、「ペリリュー島には行ったか?」と言われた。
日本軍といえばペリリュー島・・・ということで有名なのだろう。
このあたりには何も残っていないという。
私が戦跡を調査して歩いていると話したら、やたらと感心されてしまった。(笑)
ついつい調子に乗って世間話・・・・(笑)
最初は怪訝そうな顔をしていた“おばちゃん”は店を出るときはニコニコして送り出してくれた。

さて・・・ここから今度は海の方へ向かってみるか・・・

「ドーナッツ屋」さんの脇の道の坂を真っすぐ下りて行ってみる。
多分・・・この方向に海があると思うのだ。
地図なんかないから勘だけに頼る。

まもなく、海に出たようである。
船着き場のような場所があり、その先は行き止まり・・・
先の方を見ると・・・おや?
海の向こうに見えるのは・・・どこかで見たことのある景色・・・・
昨日訪れた「Tドック」ではなかろうか?
違うか?

近くの民家の軒下に座っていた人のよさそうな“おばさん”に挨拶。
「この“はしけ”は昔、日本軍が使っていたものではないですか?戦時中のものかどうか知りませんか?」
「これは、最近、コンクリートで整備されたんだよ〜昔は石だけで酷かったけど綺麗になったんですよ〜日本軍のじゃないですよ〜」
「え〜と・・・そうじゃなくて、このコンクリートは最近のでしょ?その下!この下の部分は昔のですよね?」
「そう、昔のものの上にコンクリートが乗ったの」
「その昔の部分は戦時中のものではないですか?」
「そう、このコンクリートの下の部分は戦争の時だから・・・あ、日本軍のかな?」
おお、やっぱりそうか・・・勘が当ったぞ。(笑)
「戦時中の歴史を調べているんだ」と話したら、この“おばちゃん”にも感心された。(笑)

振り返ると・・・こんな感じ・・・

この“入り江”の周囲はマングローブの林である。
戦時中も今と同じようにマングローブがあったのなら・・・
舟艇の秘匿基地として使ったかも?(笑)

この“おばちゃん“の隣りに目つきの悪い腕にイレズミをいれた、どこから見てもヤクザにしか見えない“おっさん”が座っていた。(笑)
この人のよさそうな“おばさん”の御主人なのだろうか?
ハッキリ言って・・・不釣り合いである。(笑)
この“おっさん”が何か言い始めたのだが・・・全く聞きとれない!
それ・・・英語?(汗)
麻薬か何かでラリってる?(大汗)
何度も聞き直して、ようやくわかったのは・・・「ワニ」!(笑)
ワニがどうとかこうとか言っているのだが・・・何だろ?
身振り手振りで写真を撮れと言う。
仕方がない・・・逆らうと怖そうなので、ワニのいる場所まで連れて行ってもらい、撮りたくもないワニの写真を撮る。(大笑)

ワニ!

人のよさそうな“おばさん”と、怖い“おっさん”に挨拶して立ち去る。
“おっさん”は何か延々とワニの自慢話らしいことを言っているのだが・・・何を言っているのかサッパリわからなかった。(苦笑)

近くの集落の中を通りながら戦跡らしきものを捜したが・・・・何もなし。

しばらく歩くと・・・日本の神社にあるような「灯篭」を見つけた。
何でこんなところにポツンと1基だけ建っているのだろう?

更に歩くとメインストリートに出て・・・
昨日訪れた博物館に辿り着いた。
あら・・・(苦笑)
午前中歩いた道の反対方向に向かって歩いていた事になる。
いつの間に・・・?
どうも方向音痴というのは困ったものだ。
しかし、ここからホテルは近いというのだけはわかった。(笑)
博物館の近くでバス停を見っけ!
ちゃんと時刻表も表示されている。
へぇ〜たいしたものだ・・・・
なかなか時刻表が表示されているバス停を他国で見かけることがない。
フィリピンなどは、バス停すらなかったりするのだ。(大笑)
さすがにバテ気味なのでバスに乗ってホテルに帰りたくもなったが・・・
考えてみたら、バスの乗り方を知らない・・・(大汗)
歩いて帰るか・・・
いやぁ〜暑くて溜まらん!!
途中のお店でミネラルウォーターを買って、教会の前にある東屋で休憩!
こうやって、一人でボケェ〜とするのもいいものである。

もう少し頑張って歩いてみるか・・・
ということで、再び歩き始める。
まもなく洒落た建物が見えてきた。
何だろうと思ったら高校だった。(笑)

Mindszenty High School

この高校の名前・・・「Mindszenty」高校というらしいが・・・この名前、どう発音するんだろう?(笑)
「マインズゼンティー・ハイスクール」でいいのかなぁ?

後で調べてみたら「ミンドセンティ」と発音するらしい・・・
ミンドセンティは人名で、ハンガリーのローマカトリック教会の聖職者・枢機卿・・・
1949年に共産党政権により逮捕され、反逆罪で終身刑を宣告されたが、1956年の動乱で釈放された。
50年間にわたり、全体主義と共産主義に抵抗した人だそうで、1975年にお亡くなりになっている。
もしかして、この方の名前を付けたのかな?

緩やかな坂道を登るというのは、結構疲れるものである。(苦笑)
この先は、これといって何もないかも・・・・
時刻は午後2時半・・・・
ここでUターンしてホテルに戻ることにする。

振り返ってみると・・・
あ〜・・・ため息しか出ない・・・(苦笑)
この道をまたテクテク歩いて戻るのか・・・(涙)
ちょっと、遠くまで歩き過ぎたかも・・・

帰る途中で見つけた・・・
あのコンクリート製の柱は日本統治時代の門柱ではなかろうか?
ついつい、見るもの全てが日本統治時代の遺物に思えてきてしまう。
これは、病気か?(笑)

途中で見つけた「ゴミ箱」・・・・(笑)
「JICA」の看板が付いているが・・・
「JICA」は日本の国際協力機構のことかな?
JICAが、このドラム缶のゴミ箱を作ったのか?(笑)

更に、途中で面白い看板を見つけた!
「面白い」と言ったら失礼になるかもしれないが・・・

何が面白いのかというと・・・
「YASUI RETAIL STORE」という看板・・・
「リーテイル・ストアー」とは「小売店」という意味・・・
これに「YASUI(安い)」(大笑)が付くので・・・「安い小売店」という看板・・・(大笑)
本当に安いかどうかは知らない・・・(笑)
パラオでは、日本統治時代に日本から渡って来た日本人移民の末裔である日系人も多いが、日系人ではないが日本人の名前を付けている人もいるらしい。
ということで・・・「YASUI」も日本の「安井」という苗字だと思う。

午後3時、ようやくホテルに戻る。

ホテルの名は「PALASIA HOTEL PALAU」
漢字で書くと「帛琉大飯店」・・・台湾資本のホテルである。
この「帛琉」って何のことかと思ったら・・・
「パラオ」を漢字では「帛琉」と書くのだそうだ。

ホテル到着後・・・暇である!(笑)
地下にあるスポーツジムへ行きマッサージを受けることにする。
今日はかなり歩いたからなぁ〜(笑)
マッサージ嬢は中国人の若い女の子だった。
どこから来たのかと訊くので日本だと答えたら驚かれた。
「英語が上手なので日本人ではないと思った」と言う。(笑)

おかしい・・・私は英語が大の苦手なのに・・・・(笑)
やたらと“ヨイショ”されたが・・・悪い気はしないものである。
お世辞だとわかっていても嬉しいものである。(大笑)
私は結構、単純な男である・・・・(笑)
気分よくマッサージをしてもらい・・・・気分爽快!
今日は充実した一日であった。
満足、満足。

夕方、団長たちが戻ってきた。
「どうでしたか?ドライブ・・・」と同行していた“ヤナギサワさん”に尋ねたら苦笑いをしていた。(笑)
相変わらず団長は“危ない運転”をしたのだろう。(笑)
「あなたは一緒に行かなくて正解でしたよ」と言われた。(大笑)
すみません・・・我がまま言って単独行動を取りまして・・・

今晩の夕食は、現地旅行社の社長の案内で、先日昼食を食べたレストランへ行く。

平成22年(2010年)9月19日

今日は帰国する日。
午前1時過ぎの飛行機に乗るので、真夜中にホテルをチェックアウト・・・

荷物を持ってホテルのロビーに行ったら、ある日本人グループの人間が何か大声で騒いでいる。
どうも東北地方の某テレビ局の人間らしい。(・・・という噂で、本人達に確認したわけではない)
どうやらスタッフの一人が仕事上でミスを犯したらしい。
それを上司が怒鳴りつけている。(上司と言っても私より年下に見えるが・・・)
その小言がしつこいのである。
ホテルのロビーで、他にも客がいるというのに・・・大声で・・・ネチネチと・・・・
まぁ〜どう見ても“イジメ“にしか見えない・・・・
聞いているこちらが胸くそが悪くなるくらいである。
いい加減にしろ!・・・と怒鳴りたくなったが・・・・我慢、我慢・・・・
団長以下、仲間達に迷惑をかけられない。
これが一人旅だったら、何とでもなるのだが・・・・

送迎車に乗って空港へ・・・・
他のツアー客と一緒の大型観光バスである。
空港に酋長の親戚の家族が見送りに来てくれていた!
いやぁ〜嬉しいものである。
更に、少し遅れて、“ジョン上級曹長”のグループも到着。
「おお!又会いましたね〜同じ飛行機なのかな?」と言われる。
彼等はグアムで乗り換えてアメリカ本土へ・・・・
我々はグアムで乗り換えて日本へ向かう。
「グアムまで一緒ですね」

搭乗口で待っている間、ジョンさんたちのグループに顔を出し挨拶。
元第1海兵師団の衛生兵だった“おじいちゃん”に、「どうか体に気をつけて長生きして下さい」と片言英語で話しかけたら・・・・反応がない!
あれ?通じない・・・・ん?文法を間違えたか?単語を間違えたか?
ドドッと冷や汗!
すると、隣りに座っていた人が“おじいさん”の耳元で、私が言った言葉を繰り返してくれた。
おお!私の英語は間違っていなかったようである!
どうやら耳が遠くて聞こえなかっただけらしい。(大笑)
「おお!ありがとう!」と元衛生兵は答えてくれた。
わずか、これだけの“ふれあい”だが・・・とてつもなく嬉しい。

帰りの飛行機は、来る時と同じで、途中のヤップ島を経由する。
またもや機内のセキュリティ・チェックである。
今回は我々は機内に残るグループだったので、どんなチェックをするのか見てみた。

機内の保安チェック

たいしたチェックをしているわけではなさそうである。
う〜ん・・・・どうなんだろう・・・・・これ・・・(笑)
時間の無駄なような気がしないでもないが・・・

来た時と同様に、グアム島で乗り換え・・・・午前10時ごろ成田に到着。
スーツケースをガラガラと転がして家に帰るのも面倒だ。(笑)
空港の宅配便を使って、スーツケースだけ送ってみることにする。
海外には何度も行っているが、宅配便を使って自宅にスーツケースを送るというのは初めてである。(笑)
やってみると、結構、便利なものである。
手荷物一つのいうのは身軽でいい!

ならば・・・・ということで・・・・
靖国神社にお参りに行くことにした。
靖国の英霊に旅の報告をしてから帰宅する。

〜終り〜



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