プティジャン像 平成19年3月26日

プティジャン Bernard .T. Petitjean

1829年6月14日〜1884年10月7日

長崎県長崎市・大浦天主堂でお会いしました。


万延元年(1860年)沖縄の那覇に上陸。
文久3年(1863年)長崎で大浦天主堂の建立に協力するとともに、長崎奉行所語学所で教える。
慶応元年(1865年)天主堂で浦上のキリシタンを発見。
浦上四番崩れのときキリシタンの釈放で奔走する。
神学校の開設、キリシタン版の複製などに貢献し、長崎で没する。


プチジャン司教の像



プチジャン司教之像
(長崎市・大浦天主堂)





(平成19年3月26日)

碑文

B・T・プチジャンはパリ外国宣教会司祭として1863年に渡来。
65年3月17日、大浦天主堂で信徒発見とキリシタンの復活を実現。
近代日本カトリック教会の基礎をつくった。
66年日本代牧司教に選任。
67年、浦上五島外海平戸地方に悲惨な迫害が起り、心労その極に達したが、73(明治6)年、キリシタン弾圧は停止される。
大浦天主堂の創建と改造拡大、長崎神学校の設立と多くの教会の建立など司教の業績は永く日本協会の発展に貢献している。
1884年10月7日帰天
55歳

1975年聖年の3月17日
信徒発見110年記念日に建立

大浦天主堂



大浦天主堂
(長崎県長崎市)





(平成19年3月26日)

国宝大浦天主堂のご案内

当天主堂はジラール・フューレ両神父(パリ外国宣教会)の設計のもとに1864年12月29日に竣工された。
正式な名称は日本26聖殉教者聖堂であり地名をとって通称大浦天主堂といわれる
ゴチック建築式の西洋建築物として昭和8年に文部省より国宝に指定されている。

(説明板より)

旧羅天神学校



旧羅天神学校

(長崎市・大浦天主堂)

一部が『キリシタン資料室』になっています。



(平成19年3月26日)

国指定重要文化財
旧羅天らてん神学校

指定年月日 昭和47年5月15日
所有者 カトリック長崎大司教区

明治6年(1873)キリシタン禁教が停止となり、各地に配流されていた浦上村の信徒が釈放されたのを契機として、大浦天主堂のプチジャン神父は神学校の設立を計画し、明治8年(1875)に完成。
設計と監督に当たったのはドロ神父。
わが国初期の木骨煉瓦造り。
大正15年(1926)までラテン神学校校舎兼宿舎として使用。
以後司祭館や集会所にも使用され、その間若干の一部改造があった。

長崎県教育委員会・長崎市教育委員会(62.3設置)

(説明板より)



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