零式艦上戦闘機32型


零戦32型 平成20年11月19日

零式艦上戦闘機32型

昭和16年(’41年)三菱重工で製造された零戦32型です。
343機製造された中で唯一現存する1機で、ストレートな翼端が特徴です。
昭和19年2月、マーシャル群島タロア島の飛行場で米軍の空襲を受け、プロペラやエンジンに被弾・放棄され、30数年ジャングルに眠っていました。
昭和53年(’78年)爆発物処理でジャングルに入ったアメリカ人により発見され、ジャングルより引き出され補修されました。
その後、福岡航空宇宙協会の折衝により日本に引き取られ、2年ほど大宰府園に展示、その後完全復元され、名古屋航空博物館に20年展示されていました。
現在、新しい「大刀洗平和記念館」ができるまで、一時翼を休めています。

*福岡航空宇宙協会所有

(説明板より)

零戦32型



零戦32型
(福岡県朝倉市黒川・音楽館)





(平成20年11月19日)

零式艦上戦闘機32型

性能諸元

寸法  翼幅11.00m、全長9.06m、全高3.509m
エンジン  栄21型(第1速1,100馬力、第2速980馬力)
重量  自重1,807kg、全備重量2,644kg
最大速度  542km/h
航続距離  2,378km
上昇限度  9,000m
兵装  7.7mm機銃×2、20mm機銃×2

(説明板より)

 (説明板より)

展示機 零式艦上戦闘機について

当館に展示中の零式艦上戦闘機32型は昭和17年三菱航空機大江工場にて製造されその後幾多の試練をくぐり抜け再び生まれ故郷の名古屋へその雄姿を現わしました。

1 零戦の発見
昭和54年 アメリカの軍人スティーブン・アイケン氏はマーシャル群島タロア島のジャングルにひっそりと眠っていた零戦を発見。
島の酋長に頼んでこれを譲り受け、サイパン島の自宅へ運び込み独力で修復作業を行う。

2 引上げ折衝
昭和57年10月福岡航空宇宙協会(委員長 松本成一)は、「完全な姿の零戦がサイパン島にある」という情報をえて、早速現地におもむき、アイケン氏と接渉を行い買取り契約を締結。

3 サイパンから日本へ
船便にて約40年ぶりに日本へ帰還。
福岡航空宇宙協会では会員の手で応急修理を施し、天満宮の大宰府園に展示。

4 零戦ふるさとに帰還
「名古屋で生れ、世界に誇った航空技術の結晶である名機を完全な姿に復元し、展示したい」という弊社の要請に対し、福岡航空宇宙協会から快諾の返事をいただき、ここにふるさとへの帰還が実現。
中日本航空株式会社の協力により修復作業を行い、再びその雄姿を今ここによみがえらせたのです。

音楽館



音楽館
(福岡県朝倉市黒川1494)





(平成20年11月19日)

【32型(A6M3)】

かねてより高々度性能の向上が望まれ、二速過給器付の栄21型エンジンが海軍の公試運転をパスしたので、零戦21型にこれを換装することになった。
そのA6M3の第1号機が、昭和16年6月、社内飛行試験を開始した。
本型では、今まで航空母艦で使用してきた結果、翼端を500ミリずつ切断することによって、翼端の折り畳みを廃止して艦上での取り扱いを簡便にし、かつ少しでも生産工数を減らし、その上、フラッター対策として、タブバランスを廃止して重くなった補助翼を軽くしようということになった。

21型から31型への設計変更箇所
@翼端平面形を角型に左右500ミリ切断、補助翼タブバランスを廃止。
Aエンジンが重くなったので、発動機取り付け点、すなわち胴体前端フレームを185ミリ後退しかつ補強。
Bそれに伴い、胴体燃料タンク(操縦席前方)容量を140リットルから60リットルに縮小。
Cこれを補強するために、左右翼内タンクを各190リットルから210リットルに増量。
D急降下制限速度を360ノット(計器指示)に増す。
E気化器空気取り入れ口をエンジンの配置に従って上方に移し、かつ発動機覆前縁に開口するようにした。

32型の飛行試験中に、ガダルカナル島の攻防戦が始まり、32型ではラバウルからの航続力不足となった。
この航続力を回復せよという現地の要望に応えて、燃料タンクを増設し、翼端を旧に戻した22型が開発された。

(参考:堀越二郎著 『零戦の遺産』 1995年発行 光人社NF文庫)

(平成23年5月24日)




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