1869年8月31年〜1945年12月25日
新潟県上越市 金谷山の山頂でお会いしました。
1869年(明治2年)にウイーンに近いオーストリア=ハンガリー帝国のプレスブルグ(チェコスロバキアのブラチスラバ)で生まれました。
1910年(明治43年)11月、日露戦争後の日本に軍事視察団の一員として派遣され、翌年に高田の歩兵第58連隊に配属されました。
レルヒ少佐は、世界アルペンスキー術の創始者であるマチアス・ツダルスキーの高弟であつたので、軍事および国内事情視察を精力的にこなす一方、スキー術の伝授、普及にも尽くしました。
1912年(明治45年・大正元年)2月北海道の旭川に転任、9月に門司から乗船し日本を去りました。
1918年(大正7年)第一次大戦に参加、大戦の末期に少将になり恩給生活に入りました。
1922年(大正11年)53歳のときに二児を連れたイルマ夫人と結婚しました。
1945年(昭和20年)ウィーンで死去。77歳でした。
ちなみにイルマ夫人は1976年(昭和51年)1月16日に99歳で他界しています。
オーストリア・ハンガリー
オーストリアとハンガリーが合同している二重国家。
王宮や議会はウィーンにもブダペストにもありました。
この二つの国家は外交と国防だけは共同で、行政、立法、司法などは別々の機関によって統治されていました。
参考:豊田穣著「悲運の大使 野村吉三郎」
(平成15年12月23日記)
「日本スキー発祥記念館」の館内でもお会いしました。 |
日本スキー発祥記念館
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