陸軍航空通信学校


陸軍航空通信学校門柱 平成17年2月6日



この校門は昭和15年陸軍航空通信学校が開校された元の所在地(水戸市住吉町)附近の畑に破損したまま放置されていたものをここに運び開校当初の原型通りに復元したもので表題字は同校元副官山口敦氏の揮毫である

昭和56年4月16日
水戸つばさの塔奉賛会

(説明板より)

陸軍航空通信学校門柱



陸軍航空通信学校の門柱
(茨城県ひたちなか市・水戸つばさの塔)




(平成17年2月6日)
水戸つばさの塔 水戸つばさの塔
(茨城県ひたちなか市)

陸軍水戸飛行場跡の一角にあります。

由来記

昭和13年 ここ前渡の地に千二百ヘクタールに及ぶ水戸飛行場を設定し翌年水戸陸軍飛行学校が開校 通信 戦技 武装 高射 化学戦 自動車 特操 佐尉官等の教育と研究を実施し 東部に陸軍航空審査部水戸試験場が設置された
昭和15年 水戸南飛行場に陸軍航空通信学校が開校され 通信教育と研究を移管した
戦局の要請により昭和18年8月 明野陸軍飛行学校分校が開校 水戸校は仙台に移駐した
昭和19年6月に至るや 分校は常陸教導飛行師団に改編 精鋭空中戦士の養成と研究に加え 本土防空の作戦任務を附与された
この地にあってその職に殉ずる者および 昭和20年2月16 17日の艦載機群邀撃等により身命を捧げた者その数百八十余柱
また南飛行場に於いても電鍵を片手に華と散った者数知れず 
更に昭和19年11月以降特別攻撃隊一宇隊 殉義隊 第24振武隊 第53振武隊 第68振武隊 平井隊 誠35飛行隊の勇士七十余人は 相ついで進発レイテ沖に 台湾 沖縄海域に敵艦船を求めて突入し国難に殉じた
昭和20年4月 師団主力は群馬県新田飛行場に移動し終戦に至った
ここに終戦30周年を期し 関係者ならびに有志相計りこの戦跡を後世に伝え 殉国英霊の偉業を顕彰し 祖国永遠の平和を祈念して この塔を建立す

昭和50年5月3日
水戸飛行場記念会

(石碑銘文より)



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