陸軍少年戦車兵学校

(若獅子神社)


 平成25年12月14日

陸軍少年戦車兵学校跡碑

此の地は陸軍少年戦車兵四千有余が志操を練り心技を磨きし不滅の聖域なり

(副碑・碑文より)

陸軍少年戦車兵学校の沿革

昭和14年12月
日本陸軍はノモンハン事変後、戦車隊の拡充強化を図るため、千葉陸軍戦車学校に生徒隊を創設し、同時に第1期生150名が入校した。
生徒の年齢は弱冠15才から17才であった。

昭和16年11月
千葉陸軍戦車学校生徒隊を、陸軍少年戦車兵学校と改め、本格的な戦車隊幹部の教育がはじめられた。

昭和17年7月
山紫水明、古来武人練武の由緒あるこの地に校舎を新設し、文武両道の充実した教育が行われた。

昭和20年8月
戦争の終結に伴い、陸軍少年戦車兵学校はここに6年有余の歴史を閉じたのである。

教職員 1,550名
生徒
第1期生 150名  第2期生 230名
第3期生 500名  第4期生 600名
第5期生 900名  第6期生 700名
第7期生 550名  特別幹部候補生 525名

(説明碑・碑文より)







陸軍少年戦車兵学校・校門
(若獅子神社)





(平成25年12月14日)




若獅子神社
(静岡県富士宮市上井出2317-1)




(平成25年12月14日)

神社の由来

若獅子神社はさきの大東亜戦争において若獅子の名のもとに勇戦奮闘悠久の大義に殉じた陸軍少年戦車兵学校の教官・生徒六百有余の御霊を御祭神として永久祭祀の途を拓くため昭和59年10月神社を創建しました
いま英霊はこの地に還り守護神としてわが国の平和と彌栄を希い氏子・崇敬者の平安と繁栄をひたすらお守りしておられます
とくに御祭神は交通安全・学業成就・産業振興の神様として特別の御神徳をそなえておられます

神社の起源

昭和40年12月学校跡のこの地に戦没同窓生の慰霊・顕彰のため若獅子の塔を建立したのを起源とし以来毎年慰霊祭を執り行い英霊の奉慰奉顕に努め建塔20年を期に富士山本宮浅間神社・靖国神社の御教導により永久平和への祈りをこめ神社造営を発起顕彰会々員729名の奉賛によって若獅子神社が創建されました

神社の名稱

若き情熱に燃え純真一途国難に赴き勇猛果敢な活躍を遂げた少年戦車兵の愛稱であった『若獅子』を神社の稱號といたしました

第3期生 雪堂 小野田稔謹書

(説明板より)





若獅子の塔
(若獅子神社)




(平成25年12月14日)

塔徴

聳ゆる直ぐなる塔は純忠一途に國に殉じた若獅子の魂が天に連なる崇高な姿であり神像は千仭の嶮崖に挑む若獅子の姿でまさに初陣に赴かんとする烈々たる氣魄をあらわしたものである

(銘板より)

若獅子の塔概要
名称   若獅子の塔
御製
  謹書者 
 明治神宮宮司
 従二位勲一等 甘露寺受長氏
若獅子の像
制作者 
 東京芸術大学名誉教授
    日展審査員 内藤春治氏
塔設計者   金沢建築研究所
 東京芸大元教授 金沢庸治氏
塔由来記   元陸軍少年戦車兵学校々長
      陸軍中将  玉田美郎
塔名謹書者   元陸軍少年戦車兵学校々長
      陸軍少将  立古睦吉
建設地   静岡県富士宮市上井出2317-1
    元陸軍戦車兵学校材料廠跡
敷地面積   約1,650坪(約5.445平方米)
塔本体   鉄筋コンクリート造り
高さ   地上16.7米
着工   昭和40年8月10日
竣工   昭和40年11月30日
土地提供者   元陸軍少年戦車兵学校教官
 榊原要之助・山本四郎・諏訪重蔵
 窪田友次・真坂義七・島崎恒喜
富士開拓農業協同組合

(銘板より)

若獅子の塔由来記

美しい我が国土の象徴 千古に仰ぐ霊峰富士の麓 この地こそ 日華事変 大東亜戦争を通じ 若獅子の名のもとに活躍した陸軍少年戦車兵揺籃の地であり 又その魂のふるさとである
日本陸軍はノモンハン事変後 近代戦の中核である戦車隊の拡充強化を図るため 昭和14年12月 千葉陸軍戦車学校に生徒隊を設け少年戦車兵を教育した
爾来戦局の熾烈なるに伴い 昭和17年8月 この地に陸軍少年戦車兵学校を移し本格的な養成が行なわれた
想えば7年の短い歴史のなかに 四千四百余の紅顔の少年が 若き情熱にもえ 朝夕富士を仰ぎ 心身を鍛え 学業を修め 戦車を駆使してひたすら猛訓練に励み 国軍の中堅幹部として勇躍この地を巣立っていった
そして大陸の曠野に 南海の島々に 或は北辺の草原に雄戦奮斗し 赫々たる武勲を誇ったのであるが 六百余の友は祖国の平和と繁栄を念じつつ 莞爾として悠久の大義に殉じたのである
戦火おさまって20年 いま秋風蕭條たるこの地に立ちて 往時を偲び亡き友を追慕するとき 萬感胸に溢るるを禁じ得ないのである
その御霊を慰め 殉国の至誠と輝ける偉勲を永く後世に傳え 併せて真の平和を祈念し われら同窓生相はかり なお数多くの御賛同と御支援により ここに若獅子の塔を建立する

昭和40年12月1日
陸軍少年戦車兵学校同窓生一同

(銘板より)





九七式中戦車
(若獅子神社)




(平成25年12月14日)





若桜わかさ神社
(静岡県富士宮市上井出)




(平成25年12月14日)



慰霊の碑
(若桜神社)


文字が風化しており、判読困難


(平成25年12月14日)

慰霊の碑

この地は今を去る九十四年前の
日清戦争及びその十年後の日露戦
争に散華した当地出身の勇士の墳
墓の地と定められたことに始まり
更にその後の日華事変や太平洋戦
争において戦陣に斃れた勇士の墳
墓を悉く移して合祀すべく上井出
区の発案に基づき遺族会及び村当
局が一体となり専心努力した結果
昭和二十九年に英霊を祀る軍人墓
地として招魂し昭和三十七年に旧
陸軍少年戦車兵学校内に在ってそ
の戦没者を祀った若桜神社をこの
地に奉遷し併せて九十余星霜に亘
って国難に殉じた百三十一柱の勇
士の鎮魂の地として今日に至って
いるのである
 ここに慰霊の碑を建立するにあ
たり祖国を遠く離れた南溟の果て
や北辺の地に炎熱酷寒をものとも
せず ひたすら国家の安泰と民族
の繁栄を願って奮戦し身命を捧げ
た勇士の心情に思いをいたし 今
日の平和と繁栄はこの貴い犠牲の
上に築かれたことを心に深く刻み
御霊よ永遠に安かれと祈るととも
にこの聖地を敬虔な心で後の世ま
で■■いくことを冀うものである

富士宮市上井出遺族会

昭和六十三年四月吉日

(碑文より)




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