陸軍戸山学校

東京都新宿区戸山2丁目・都立戸山公園(箱根山地区)


陸軍戸山学校跡 平成18年1月25日

陸軍戸山学校址の碑



「箱根山・陸軍戸山学校址」の碑

(東京都新宿区・都立戸山公園箱根山地区)





(平成18年1月25日)

碑文

この地は和田戸という武士の館の跡で源頼朝が源氏の勢ぞろいをした所と伝えられ後代和田戸山と呼ばれた
寛文年間尾張徳川候の下屋敷となり殿堂宮祠等かずかずの建物と箱根山を中心とし東海道五十三次に擬した風雅な庭園が造成された
明治6年その地に兵学寮戸山出張所が設けられ翌7年陸軍戸山学校と改称されて以来約70年にわたって軍事の研究教育が行なわれ国軍精強の基を培ったばかりでなく国民の体育武道射撃音楽の向上に幾多の寄与をした記念すべき地である
この度東京都がこの地に緑の公園を整備されるにあたってこの記念碑を建てて東京都に贈る。

昭和42年11月
元陸軍戸山学校縁故有志一同

箱根山


箱根山
(都立戸山公園箱根山地区)

標高44.6メートル




(平成18年1月25日)

箱根山地区の歴史

この地区は、その昔 源頼朝の武将 和田左衛門尉さえもんのじょう義盛よしもりの領地で、和田村と戸山村の両村に属していたことから「和田外山」と呼ばれていた。
寛文8年(1668)に至り尾州徳川家(尾張藩)の下屋敷しもやしきとなり、その総面積は約13万6千余坪(約44万8千8百余u)に及び、「戸山荘」と呼ばれるようになった。
この「戸山荘」は、寛文9年(1669)に工事を始め、天和(1681〜1683)・貞享(1684〜1687)の時代を経て元禄年間(1688〜1703)に完成した回遊式築山つきやま泉水庭である。
庭園の南端には余慶堂よけいどうと称する「御殿」を配し、敷地のほぼ中央に大泉水だいせんすいを掘り琥珀こはく橋と呼ばれる木橋を渡し、ところどころに築山・渓谷・田畑などを設け、社祠堂塔しゃしどうとう・茶屋なども配した25の景勝地が造られていた。
なかでも小田原宿の景色を模した「町並み」は、あたかも東海道五十三次を思わせる、他に類のない景観を呈していたと伝えられている。
その後、一時荒廃したが、寛政年間(1789〜1800)の初め第11代将軍家斉の来遊を契機に復旧された。
その眺めは、将軍をして「すべて天下の園池えんちは、まさにこの荘そうを以て第一とすべし」と折り紙を付けしめたほどであった。
安政年間(1854〜1859)に入り再び災害にあい、その姿を失い復旧されることなく明治維新(1868)を迎えた。
明治7年(1874)からは陸軍戸山学校用地となり、第2次大戦後は国有地となりその一部が昭和29年から今日の公園となった。
陸軍用地の頃から誰からともなく、この園地の築山(玉円峰ぎょくえんぽう)を「函根山はこねやま」・「箱根山」と呼ぶようになり、この山だけが当時を偲ぶ唯一のものとなっている。

平成2年3月公園整備を記念して
東京都

(説明板より)

都営戸山ハイツ




戸山公園に隣接する都営戸山ハイツ






(平成18年1月25日)

陸軍戸山学校の歴史

【明治期】
江戸時代の尾張徳川家下屋敷(徳川慶勝下屋敷)が、廃藩置県に伴い、兵部省の管理となり、陸軍が庭園として管理。
戸山学校は明治6年6月22日、東京市第8大区4小区戸塚村(現・新宿区戸山2丁目)に『陸軍兵学寮戸山出張所』として創設されたのが始まり。
当時、東京和田倉門外の兵学寮第3舎に『陸軍兵学寮本部』があったが、明治7年2月4日、兵学寮第3舎を廃して、旧尾張徳川家下屋敷跡の戸山に移し、陸軍戸山学校と改称した。
明治8年5月、陸軍省直轄。
明治20年5月、監学部(のちの教育総監部)に隷属。
明治31年1月から教育総監部に属した。

【教育】
学生を戦術科・射撃科・体操剣術科の3種とし、各隊から毎年定期的に士官・下士官を召集し、また臨時に佐官を召集してそれぞれの科に応じた学術を研究させ、訓練・研究のため教導大隊を置き、譜調学生訓練のため軍楽生徒をおいた。
教育期間は、戦術科=約10ヶ月、射撃科=4ヶ月、体操剣術科=7ヶ月

構内には陸軍軍楽学校が併置され、各軍楽隊の楽生補充のため生徒を養成。
校長は戸山学校長が兼務。
生徒は軍楽部出身の志願者から採用。
修業期限は15ヶ月。

大正元年9月1日、戦術科・射撃科及び教導大隊を分離して新たに陸軍歩兵学校(千葉県都賀村)を創設。
戸山学校は体操科(剣術を含む)及び軍楽生徒隊を統括すべき新たな学校となる。

【戦中・戦後】
空襲で殆どの建物が焼失。
昭和20年4月、学校本部等は歩兵学校へ、軍楽隊等は日本橋高等女学校へ移転。
昭和20年8月15日、学校長が転出命令を受け赴任したため、軍楽隊長が校長代理として終戦処理に当たる。
昭和20年9月10日、陸軍戸山学校の72年にわたる歴史を閉じる。
戦後、東京とはこの地域に木造住宅を造り、戦災者や引揚者などを入居させた。
昭和29年から一部が都立戸山公園となった。

(参考:『偕行』平成19年11月号)

(平成20年2月3日追記)


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