比島派遣陸上勤務第124中隊 慰霊之碑 (愛知県幡豆郡幡豆町・三ヶ根山頂・比島観音霊場) (平成20年4月16日) |
碑文
太平洋戦争参加作戦
昭和16年10月3日台湾第4部隊入営
10月17日編成完結
12月8日宣戦布告
マニラ攻略戦
12月26日比島リンガエン湾上陸
昭和17年1月9日バターン攻略戦
4月12日コレヒドール要塞攻略戦
5月8日ルソン全島戡定作戦
昭和18年7月1日比島全島粛正討伐
昭和19年10月19日捷号作戦
昭和20年8月15日終戦
昭和47年4月吉日建之
戦友遺族
部隊略歴 |
昭和16年10月3日、台湾歩兵第2連隊補充隊にて編成。
人員は編成当初494名。
臨時配属者があるため、名簿上は452名。
中隊長 | 槙島 隆久 大尉 | ||
第1小隊長 | 秋道 邦太郎 少尉 | 人事係 | 山口 正義 准尉 |
第2小隊長 | 福田俊郎 中尉 | 人事係 | 森崎 丈夫 曹長 |
第3小隊長 | 山蔭 脩典 中尉 | 人事係 | 田中 禎次 軍曹 |
戦闘開始前、中隊主力は「マニラ」「カロカン」に位置し、警戒任務に服す。
第1小隊は兵器廠に配属。
第2小隊は「ロスバニオス」抑留所に勤務。
小川伍長以下20名は「マニラ」俘虜収容所本部に勤務。
中川伍長以下15名は野戦貨物廠に勤務。
三木伍長以下30名は鉄部隊に勤務。
中隊長以下45名は第14方面軍特別工作隊に勤務。
昭和20年1月18日
部隊長・槙島大尉は軍特別工作隊勤務のため、第3小隊長・山蔭中尉が中隊長代理として「バギオ」方面に転進。
兵站監部の指揮下に入り、兵站輸送業務に服し、「テノック」にて終戦となる。
昭和20年1月初旬
第2小隊は「ロスバニオス」抑留所の抑留者の開放に従い、「サンホセ」において第88兵站の指揮下に入り行動。
4RH(第4レストハウス)にて終戦を迎える。
当部隊は、中隊長以下分散し他部隊に配属、又は勤務し最後まで集結せず終戦を迎えた。
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