良寛 りょうかん

宝暦8年10月2日(1758年11月2日)〜天保2年1月6日(1831年2月18日)


越後国出雲崎の名主・山本泰雄の長男。
幼名は栄蔵。
文孝ふみたかを名乗る。
「良寛」は剃髪後の名前。
通称は作左衛門。
字は曲まがり
五合庵ごごうあん・大愚たいぐと号す。
13歳の頃、儒者・大森子陽に就学、のち光照寺の玄乗破了に参禅。
21歳の時、備中国玉島円通寺の大忍国仙について同寺に赴き、寛政2年(1790年)、師から印可の偈を受けた。
その後は諸国を行脚し、47歳で越後国国上くがみ山の中腹五合庵に定住した。
天性の詩才に恵まれて詩・歌に秀で、書は独自の光彩を放って珍重される。
奇行で知られ、200近い逸話が伝わる。


詩碑



詩碑

(長野県長野市・善光寺)





(平成20年10月28日)

良寛詩碑

この漢詩は良寛さまが42歳のころ帰郷の途路2回目の善光寺参詣の折におつくりになられたものです

再び善光寺に遊ぶ
曽て先師に従って此の地に遊ぶ
首を回らせば悠々二十年
門前の流水屋後の嶺
風光猶似たり昔日の妍

平成3年3月建之
長野良寛会
大本山善光寺大本願

(説明板より)

善光寺



善光寺

(長野県長野市元善町)





(平成20年10月28日)



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