西郷頼母 さいごう・たのも(ちかのり)

文政13年閏3月24日(1830年5月16日)〜明治36年(1903年)4月28日


西郷邸跡



戊辰殉節 西郷邸址

(福島県会津若松市)





(平成20年5月5日)

西郷邸跡

会津藩家老 西郷頼母の屋敷跡である。

戊辰の役は数多くの悲劇を生んだ。
戦役が悪化し西軍が城下に殺到して籠城を知らせる早鐘が鳴ると家老の西郷頼母は急遽城に入った。
妻 千重子は、夫を送り出した後、家を清め、はやこれまでと 三女 多鶴子(9才) 四女 常盤子(4才) 五女 季子(2才)を刺し、一族21人それぞれ辞世の歌を詠み自刃した。

  なよ竹の風にまかする身ながらも
            たわまぬ節はりとこそきけ

なお、一族21人の墓は、鶴ヶ城東南、門田町北青木善龍寺にあって毎年5月その霊を弔う「なよ竹祭」がしめやかに行われている。

昭和59年6月

会津若松市
会津若松ロータリークラブ

(説明板より)




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