2.済州島の戦跡(2)

(済州島海軍航空基地跡・島民虐殺現場慰霊碑・人間魚雷「回天」秘匿壕跡)


 平成24年(2012年)5月25日 (2日目)

次に向かったのは「アルトル飛行場跡」・・・・
ここは日本海軍の済州島海軍航空基地跡である。

最初に訪れたのは「通信施設壕」と呼ばれている場所である。
さきほどの海岸から30分弱ほど車で走ったところにある。
時刻は午後4時半・・・・

出入り口らしきコンクリートの半円の筒状のものが2基、平行に並んでいる。
これがV字型もしくはU字型に繋がっていて、その中心に5本の煙突のようなものが見える。
草木に覆われていて煙突なのか柱なのかは、わからないが・・・
「これが通信施設と思われます」との教授の説明。
これに対して私は疑問を呈したところ「そうですか?」とあっさりと尋ねてくる。
「どちらかというと、燃料庫のような気がしますが・・・」
「そうですか・・・燃料庫ねぇ~・・・そういう可能性もあるかな?」
「煙突のようなものが5本あるでしょ?あれが気になるんですよ。揮発性の高い燃料のガス抜きの煙突の可能性もあるのではないでしょうか?」
「そう、私も、それがわからないんですよ。あの5本の煙突みたいなのが何か・・・」
「ですよね?アンテナならば5本も横並びに建てないと思うんですよね」
「燃料貯蔵庫ねぇ~・・・・一応、私の調査では通信設備・・・ということにしていますが・・・」
「いや、私も確証はないんですけどね。もしかしたら・・ということで・・・。とりあえず通信設備ということで今のところはいいんじゃないでしょうか?」
写真家の“ヤスジマさん”は、かなり戦跡を巡り本も出版されているが、やっぱり彼も確証が持てないと言う。
とりあえず、教授の説でいいだろうということになる。

それにしても驚いた・・・・
私が教授の説に疑問を言ったことに対する教授の対応・・・
私が今までに会ったことのある韓国人なら「何を言うか!私は専門家です!あなたなんかにわかるはずがない!これは間違いないんだ!」という具合に、強い自己主張と日本人に対する侮蔑を混ぜた反応を示すだろうから、同じような対応をしてくるものと覚悟していたのだが・・・
あれ?・・・拍子抜けである。
「なるほどねぇ~」と言われちゃっては、ガクッ・・・である。(苦笑)
私の「韓国人観」とは、かなり違った人なので驚いた。
私は韓国人は好きではないが・・・(大汗)・・・この人は別だな・・・
非常に常識・良識のある方とお見受けした・・・・
いやぁ~参った・・・脱帽である。

次に向かったのが、「掩体壕」のある場所・・・・
「掩体壕」は、コンクリートで造られたもので、この中に航空機を入れて敵の銃爆撃から機体を守る施設・・・
このアルトル飛行場には、今でも19個もの掩体壕が残っているという。

畑の中の狭い農道を行ったり来たりして、バスの車窓から掩体壕を見る。
“ヤスジマさん”は以前、ここへ来て、一人で全部の掩体壕を見て回ったという。
「かなり時間がかかりましたよぉ~」と笑う。
そうだろうねぇ~
こう点在していたのでは・・・・

ここは畑や空き地になっているが、韓国空軍の土地だそうである。
以前、ここに飛行場(韓国空軍基地?)を造るということで、これら日本軍の遺跡を取り払うという話が持ち上がったという。
この時に、貴重な戦争遺産・歴史遺産を保存すべきだということで取り壊しの反対運動をしたのが教授たちだという。
おかげで、今でも日本軍の戦跡が、そのまま保存されている。
“日帝時代”の遺産は見るのも嫌だとばかり、壊したがる韓国人の中で、歴史遺産として位置づけ、保存しようと言うのだから大したものである。
その見解は大いに正しい!(喜)
日本統治時代の韓国総督府の建物を壊した連中とは大違いである。
あの歴史的価値のある建物を壊すんだから・・・・愚かである。
ちなみに、台湾では、当時の台湾総督府の建物は現在も維持されている。
教授のような常識のある韓国人に会えて良かった・・・と思う。

バスの中で見るばかりでは・・・ということで、1箇所だけバスを降りて内部を見学することになった。
へぇ~・・・である。
かなり天井が低い・・・
「これで飛行機が入ったかねぇ~?」と参加者達・・・
「う~ん・・・かなり埋もれているんじゃないんでしょうか?」(苦笑)

ここに、説明板が建っていたが、韓国語と英語だけの表記である。
なぜか日本語の表記はない・・・


Aircraft Hangars in Namjeju
Registered Cultural Heritage №39, built in 1937.
These aircraft hangars were constructed by the Japanese military during World
War Ⅱ (1939-45) using the forced labor of Jeju residents. Twenty hangars were
originally constructed; nineteenare preserved in their original form and the other
one remains in pieces only. Despite a number of man-made caves built to establish
encampments, this is the only site where so many ground facilities are concentrated.
It is an historic site attesting to theJapanese military's attempt to turn Jeju into a
base for making sorties.
説明板(英文部分)
給水塔跡(推定)

次に向かったのは、すぐ近くにある「給水塔」・・・・
「各地の類似した戦跡のものと比較して、これは給水塔の跡だろうと判断しました」と教授。
なんと謙虚な言い方なんだろう。

航空基地跡
怪しげな丘・・・・

周囲を見ていて、どうしても気になる場所がある。
小高い丘に見えるが・・・どうも怪しい・・・(笑)
私の勘が、そう言うのである・・・
と・・・教授が、地下施設へ案内すると言って歩き出した。
「戦闘指揮所壕」と言っていたと思うが・・・
向かった先は、やっぱり私が怪しいと睨んでいた丘だった。(大喜)

この施設は戦闘指揮所の退避壕かもしれない。
以前、ペリリュー島へ行った時に同様の形状の壕に入ったことがある。
ペリリュー島の飛行場の戦闘指揮所の建物のすぐ近くにあったので、これも同様の目的で作られたものではなかろうか?
規模は若干違うが、内部の形状等はほぼ同じである。
ペリリュー島のもののほうには出入り口に鉄の扉が付いていたと記憶している。
ペリリュー島の壕と同じ形状であることを教授に伝える。

ここにも説明板が建っていたが、やっぱり日本語の表記はない。
ハングル語と英語のみだった。


Altteureu Airfield Underground
Bunker at Moseulpo Port in Jeju

Registered Cultural Heritage №312, built in Around 1945.
This bunker was built as an annex to an airfield fo the Japanese navy around 1945
as the Moseulpo airfield, which had been built around 1935 to attack mainland
China, was expanded from about 59.4 hectares to 132 hectares. the bunkerwas
constructed by first making a concrete structure, then piling stornes on top and
covering it with shrubs. This facility is evidence of the history of Japanese invasion
and Japan's moves to turn jeju into a military base.
説明板(英文部分)

続いて、ここから少し離れた場所へバスで移動・・・・
ここは日本軍の弾薬庫があった場所で、終戦後、米軍の手により爆破されたという。
で・・・火山のクレーターのように陥没している。

ここは旧日本軍の戦跡というより、島民虐殺の現場というほうが有名な場所のようである。
島民虐殺の慰霊碑が建ち、なぜか、日本語の説明碑も建っている。
こういうところには日本語の説明がある・・・・不思議だ・・・・
どうも韓国人というのは、こういうことを広く知らしめたがる人種なのかもしれない。
自国内の同胞がやった虐殺事件だから、自国民だけがわかればいいと思うけどなぁ~
ここは、ハングル語だけでも良さそうな気がしますが・・・(苦笑)

ソサルオルム島民虐殺現場慰霊碑
説明碑
ここは、太平洋戦争当時、済州島民の強制動員によって造
られた島内最大の弾薬庫であったが、戦争が終わると米軍
により爆破され陥没した跡地である。

その後、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると内務部の
治安局は、日本植民地統治下で我が民族を抑圧していた
旧予備検束法を悪用して要注意人物や不審分子を逮捕・
拘束し、拘禁者を処刑するようにと各警察局に指示を送った。
これに従い、モスルポ警察署管内でも344人を予備
検束し、監視していた。そして、モスルポ駐屯の政府軍は同年
7月16日頃に20人、8月20日に193人など、210人以上を法的
手続きもなしに集団虐殺・埋葬し、遺族に遺体を引き渡さずに
民間人の出入りを統制していたが、1956年の春にようやく
遺骸発掘が許された、すさまじい歴史の現場である。
(碑文より)

どうやら、弾薬庫跡のこの陥没した穴に、島民を虐殺して埋めたらしい。
あらら・・・である。

時刻は午後5時半・・・・
なぜかまだ明るい。
というわけで、もう1ヶ所、今度は人間魚雷「回天」の基地跡を見に行く。

次に向かったのは、松岳山海岸(ソンアクサン)にある人間魚雷「回天」の秘匿壕。
ここは、観光名所でもあるらしい・・・
現地ガイドが、何とかって言う韓流ドラマのラストシーンを、ここで撮影したという話をする。
やたらと韓流ドラマの話を持ち出すのだが・・・
私にはさっぱりわからない。
韓流ドラマなんて見たことがないのだ。(大笑)
生理的に受け付けないんだよね~
だから韓国のドラマなんか見たことないし・・・俳優も知らない・・・
ドラマに熱狂している日本のオバタリアンは韓国へロケ地を見に来るのだろう。
だから現地ガイドさんも「この韓国のドラマ・・・知ってますよね?」と必ず話にする。
残念でした・・・知りません!(大笑)

ここの海岸に、いくつもの横穴が掘られている。
これが人間魚雷「回天」の秘匿壕跡である。
ここに回天部隊が配備されることになっていたようだが、幸か不幸か、配備前に終戦を迎えたので、実際にここに「回天」が収められてはいなかったようである。
計画では9基の「回天」が配備される予定だったとか・・・
人間魚雷「回天」より特攻艇「震洋」のほうが配備が早かった・・・ということになる。

この洞窟を間近で見ようと、興味津々の年配者3名ほどが海岸へ降りていった。
現地ガイドが、「立ち入り禁止になっているから止めたほうがいい」と言ったが・・・行ってしまった。(大汗)
私は、タバコを吸うほうが最優先・・・・
実戦配備されていなかった基地跡なら見に行っても仕方がなあいだろう。
立ち入り禁止というのであれば、下手にトラブルは起こしたくない。

駐車場から秘匿壕跡を見て・・・タバコを吸いながら他の参加者と雑談・・・
教授の奥様がアイスを買ってきて差し入れしてくださった。
いやぁ~感謝、感謝、かたじけない。
初日は雨が降り、この2泊3日のツアーの天気が気になっていたが・・・
幸いにも今日は雨に遭わず、曇り空でなんとか持ちこたえている。
が・・・少々暑い・・・
グッドタイミングのアイスに感謝・・である。

まもなく、壕を見に行った方々が戻ってきた・・・・
「立ち入り禁止にはなっていなかった」と言う。
あ・・・ガイドに騙された・・・
ツアーでは、こういうことはよくあることである。
特になぜか女性ガイドに多い・・・・(苦笑)
一方的に強引に言うのだが、これが間違っていたり、いい加減だったりするのである。
これはフィリピンでも経験済み・・・
壕のところまで行かれては時間がロスするということで、行かせないための「立ち入り禁止」との警告だったかも知れない。(うがった見かたかもしれないが・・・)

今日の見学は、これで終了!
時刻は午後5時半を過ぎた。
市内に戻り(多分・・・)、夕食・・・・
今日は焼肉らしい・・・・
本日一日、ご案内役を務めてくださった教授ご夫妻を招いて一緒に食事をする。

夕食

ホテルに戻り、玄関の「喫煙所」で一服・・・
このツアーでタバコを吸うのは私と“タマノさん”の二人だけ。
タバコを一緒に吸うというのは、いいコミュニケーションになるんだけどねぇ~(大笑)

そうだ・・・思い出した・・・
昨晩、ホテルの売店で、このお店のオバチャンに客を連れて来て欲しいと頼まれたんだっけ!(笑)
通路の一番奥にある店なので客が誰も来てくれないから、ツアーの仲間を連れて来てくれと両手を合わせて拝まれたのである。(大笑)
というわけで・・・“タマノさん”を誘って、お店に連れて行きオバチャンに紹介する。
(私はポン引きか?)(笑)

さて、私は暇である。
済州島も今晩が最後・・・
せっかくだからホテルの周囲を散策してみよう。
バスに乗って移動ばかりで、ホテルの周囲を全然知らないというのも面白くない。

で・・・まずは、ホテルを出て、右に歩く・・・・
行けるところまで行ってみる。
と・・・途中で、すれ違った初老のオヤジに日本語で「こんばんは!」と声をかけられた!(驚)
ん?ポン引きのオヤジか?
と・・・睨めたら・・・
あら・・・同じツアーの“ヨコヤマさん”!!
あっ・・・失礼しました~(大汗)
道が暗くてお顔が良く見えなかったのである。(大笑)
“ヨコヤマさん”は、この先のスーパーに買い物に行って来たと言う。
「で・・・どこへ行くの?」
「はぁ、ただの散歩です!」(苦笑)

ホテルを中心に縦の道、横の道と歩いてみるが面白くない。
今度は、左、左、左と角を曲がれば、元の位置に戻るだろうと歩いてみる。
が・・・あれ?
ここはどこ?(大汗)
見たことのない道だぞ・・・
じゃぁ、右、右、右?
いや、右、左、左・・・か?
適当に道を曲がっているうち、ついに迷子になっちまった!(大汗)
周囲は真っ暗である・・・・
あらら・・・

現地ガイドは、「済州島は国際的な観光地を目指しています」などと言っていたが・・・
どこが国際的なんだ!(怒)
周囲を見渡してもハングル文字しか見当たらないのである!
おい、おい、英語の表記はどこかにないのか?
この町には通りの名前を記した標識とかはないのか?
市街マップは?
現在地はここです・・・みたいな地図看板はないのかね?

マイッタァ~(大涙)
“文明の利器”であるタブレットは部屋に置いてきてしまったのである。
もし、持ち歩いて引ったくりにでも遭ったら大変だと思い置いてきてしまったのである。
あれがあれば現在地がわかるんだが・・・
しかし、ホテル名もハングルで表示されるから、どっちみちホテルの場所はわからず、使い物にはならなかったかも。(苦笑)

しかし、それにしても参ったぞ・・・・(大汗)
完璧に方向感覚が麻痺してしまった!
大通りに出れば、何か看板があるだろうと思って大通りに出たら何もない・・・
大通りなんかに出ちゃったから、益々わからなくなった。
来た道を戻ろうにも、どこをどう曲がったのやら思い出せない!(大涙)
いい歳して迷子かよぉ~
道を聞きたくても韓国語は知らないし・・・
ホテルの名刺とか、ホテル名が記されているものなんか何も持ってきていないし・・・
大失敗である!(大汗)

たしか・・・マネキン人形があったお店の角を曲がったような・・・
行ってみると、商店街のショーウィンドーにはシャッターが下り、店の看板も電気が消えている。
さて・・・どのお店だったかな・・・?????
時間が経つに連れて、ドンドンお店の電気が消えていく・・・・
ヒェ~わからねぇ~
益々心細くなっちまった・・・(大涙)

と・・・ビルとビルの間から、我がホテルのマークが見えた!
おお!・・・天祐である!(笑)
あっちの方角か!(大喜)
全く別の方角に向かって歩いていたことに気がつく。(恥)
最近のホテルは玄関の前まで行かないとホテル名が分からないというホテルが多くなっているが・・・
やっぱり宿泊するホテルは高層で、てっぺんにホテルのマークや名前の看板があるホテルに限るねぇ~(大笑)

方角がわかったので、その方角へ向かう。
ところが、近づけば近づくほど、今度は周囲のビルに遮られてホテルの建物が見えなくなってしまったのである!
で・・・またもや・・・迷子・・・(大涙)

おい、おい、今晩中にホテルに戻れるか?(大汗)

結局1時間以上も歩き続け、ようやくホテルに戻ることができた!
喉もカラカラ・・・汗びっしょりである!

というわけで、ホテル内の売店へ飲み物を買いに行ったら、“タマノさん”がお店のオバチャンとおしゃべりしていた。
私の顔を見るなり、このオバチャンが騒ぎ出した。
なにごと?
「ちょうどあなたの話をしていたところよ!」
グッドタイミング・・・だったらしい・・・(苦笑)
「いいお客さんを紹介してくれたから、あなたにプレゼントを渡してくれと頼んでいたところよ~」と言う。
ん?売り物のポーチを私にくれるって?
「あなた、タバコ吸うの?」
「はい、吸いますよ」
「何を吸うの?」
「マイルドセブンのエクストラ・ライト」
「3ミリね・・・韓国のマイルドセブン・・・これもあげる!」
「いや、いや、オバチャン、それじゃ悪いって~。ジュースを買いに来ただけだから・・・」
「ジュース?何、飲む?」
「コカコーラを買おうかなって・・・」
「コカコーラね・・・これもあげる!飲んで!」
「いやいや、あれ?・・・それじゃ悪いから・・・お金を払うから~」
「いいの、いいの、いいお客さんを紹介してくれて本当にアリガトね~何か御礼をしないと気が済まないの」

“タマノさんを見たら、大きな布バックがパンパンになるほど日本へのお土産を買ったようである。
「ゲッ・・・タマノさん、こんなに買ったの?」
「いや、この半分ぐらい・・・半分はオバチャンからのプレゼント・・・」(大笑)
「うそぉ~」(大笑)
「いやぁ~オバチャンと話が盛り上がっちゃってねぇ~」
「え?1時間以上もここにいたんですか?」
「そうなるかなぁ~」(笑)

どうせ、他にはお客は来ないから、閉店まで店でタバコを吸ってジュースを飲んで、おしゃべりしていってくれと言う。(笑)
で・・・オバチャンの身の上話・・・
なにせ、少女時代に日本へ密入国したところから話は始まるから・・・長い・・・(大笑)
結局、最後には、先に日本に住み着いていた同胞に財産を全部だまし取られ、やむなく済州島に戻って来て、再び一から商売を始めたという。
そういう目に遭っても、日本には悪い印象はもっていないらしく・・・
東日本大震災の時は「日本にはお世話になったから・・・」ということで義援金を送ったという。

このオバチャンの気前の良さはどこから来るのだろう?
ネットでも有名らしく、昨日は、日本人の女の子達がネットでオバチャンのことを知った・・・とお店にやってきたとか。
「ネットって何のことだかわからないんだけどね。あたしのことが書いてあるって・・・」と笑う。

普通ならば、たったこれっぽっちしか買わないのかと嫌な顔をされるはずなのだが・・・・
私は昨晩、ジュースを2本しか買っていないのだし・・・・
「お客さんを連れてきたよ~」って言っても、ツアー客全員を連れて行ったわけではなく、たった一人だけだし・・・(笑)
「その気持ちが嬉しい」と言われても、こんなにタダでいただいたのでは・・・
不思議なオバチャンである。
こんな気さくな、商売抜きで感謝してくれる人も珍しい・・・・

またまた不思議な“韓国人”に会ってしまった。(大笑)
大学教授夫妻といい、このオバチャンといい、私の知っている韓国人とはかなり違う・・・
おかしい・・・
済州島の韓国人は半島の韓国人とは人種が違うのか?(苦笑)

閉店の時間となり、オバチャンとはお別れ・・・・
我々は明日の便で帰国するので・・・本当のお別れである。
オバチャンに、店の外まで出て、両手を合わせて拝まれる。(苦笑)
思わず・・・「また来るからぁ~!」と言ってしまった。
私は韓国が嫌いだったはずなんだけどなぁ~(大笑)

オバチャンの思い出として、もらった品を写真に撮って残すことにする。
パチリ・・・

このタバコは・・・もったいなくて吸えないなぁ~(大笑)

  


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