3.時間つぶしの観光

(「済州抗日記念館」・第45震洋隊基地跡・「済州ラブ・ランド」・「三姓穴」)


 平成24年(2012年)5月26日 (3日目)

今日は帰国の日・・・
2泊3日は、あっという間である。

(ホテルの部屋から見た景色)

ホテルの部屋の窓から外を見る。
う~ん・・・私は昨晩、どのあたりで迷子になったのやら・・・(苦笑)

私が泊まった「済州島KALホテル」

今日の朝食はホテル内ではなく、市内のレストランへ行って食べるということになっている。
が・・・
若干1名・・・ホテルのレストランで朝食を食べてしまった人がいた。(驚)
“朝食券”を持っていないのに、よく食べられたものだと、変なところで感心する。(苦笑)
で・・・チェックアウト時にドタバタもめる。
高齢者は、前日に説明されたことなどすっかり忘れているのである。
しつこく何度も伝えないと、こういうことになる。
私はコーヒーラウンジで一人でモーニングコーヒー!(笑)

さて、今日は帰国までの約半日を使って観光をするらしい。
もう、戦跡の訪問は・・・ない・・・

まずは市内のレストランで朝食・・・
今日は「お粥」である。

食後、向かったのは「済州抗日記念館」!
なんと!抗日とは・・・へぇ?そういうところへ行くの?・・・である。(汗)
まぁ・・・抗日って、どういうことを展示しているんだろうという興味で行くのだろうが・・・

済州抗日記念館

看板には、ハングル、英語、中国語、日本語で、「ようこそ 済州抗日記念館!」と書かれていた。
“ようこそ”ねぇ~・・・「ようこそ」・・・って言われたくないんだけど・・・(苦笑)
日本人観光客・・・韓流ドラマに嵌まった日本人のオバチャンたちも連れてこられるんだろうなぁ~
ここで、どんな影響を受けて帰国するのやら・・・(大汗)

建立背景
済州地域の抗日独立運動にかかる歴史的資料を展示して、わが済州の先烈の崇高な犠牲精神
と自主独立精神を継承・発展させ、後世に正しい歴史意識と愛国、愛郷精神を培うための教育の
場として活用する。
説明板(日本語部分)

う~ん・・・・
「自主独立精神」を「継承」させるなら、『独立記念館』でも『先烈記念館』でもいいのではなかろうか?
わざわざ「抗日」って言わなくてもいいんじゃないの?
この文章にある「正しい歴史意識」と「愛国・愛郷精神」は必ずともイコールでは結べない。
“歴史”においては“正しい”かどうかは、立場によって変わるものではないだろうか?
だから、愛国心で行なった行為が、必ずしも正しいとは限らない。
「正しい歴史意識」って何を指すのか・・・・
う~ん・・・お粗末だな・・・・
例によって例の如くの韓国人の論法か・・・

記念館の内部

記念館内を見学して出てきた途端・・・・
あれ?・・・・全て忘れているのである。(苦笑)
何が展示されていて何が書かれていたのか・・・全く記憶にない!
私はボケてしまったのかと唖然としたが・・・
多分、“安全装置”が自動的に作動ししまったのだろう。(大笑)
見たくない、聞きたくない、知りたくもない・・・・
教授夫妻、売店のオバチャンとの良い思い出が台無しになるので、「見なかったことにしよう」ということかもしれない。(苦笑)

こういう態度は本来は問題である。
たとえ、どんなにお粗末な内容でも、嘘でも、まやかしでも・・・とりあえずは受け入れて、自分の中で消化すべきなのである。
事実であろうとなかろうと、本当であろうと嘘であろうと、目を逸らすなんて、もってのほか・・・である。
そういう姿勢で「記念館」や「資料館」は見学をせねばならないと思うのだが・・・
何でだろう?
全然、頭に入っていない・・・・真っ白・・・である。
記念館を出た瞬間に・・・自動消去?(大笑)

(敷地案内板)

相変わらず、こういう施設の敷地は広い・・・
こういう点は日本は反省せねばなるまいな?
日本の場合は、スケールが・・・小さい・・・(苦笑)

記念館を出たところで、現地の女性ガイドが「ここで記念写真を撮りましょう!」と言う。
アホか・・・(大汗)
誰も何も言わない・・・
「日本人が抗日記念館の前でニコニコ笑って記念写真を撮るわけ?それって、日本人の恥じゃないの?」と私から言わせてもらった。
さすがに「それもそうだよなぁ~」と笑い声・・・
現地ガイドも苦笑・・・
それにしても、日本から来た観光客は、ここで記念写真を撮っているのかね?
ガイドが、すかさず言ったくらいだから、“いつものこと”という感覚ではあるまいか?
私は納得できないですよ・・・これは・・・

しかし、今回のツアー・・・今まで集合写真を1枚も撮っていない。
この先は、記念写真を撮るような場所はない・・・という。
ならば、妥協案として、抗日記念館を背景には入れず・・・(大笑)
抗日記念館の看板も背景には入れず・・・(大笑)
どこで撮ったかわからない・・・という景色を背景にして(大笑)撮影するならいいよ・・・ということにした。
これには参加者も大笑い。
「でも、たしかにそのほうがいい」と皆さんからの賛同をいただき、花壇を背景に記念写真を撮影する。(大笑)

同じ敷地内に「愛国烈士記念碑」や「彰烈祠」などがあったので、これらを見て回る。

独立有功者碑

説明板は、ご丁寧にも韓国語、英語、日本語、中国語の4か国語で書かれている。

独立有功者碑
ここに建てられた愛国先烈碑石は済州の数多い独立有功者の中
日本の強制占拠時に殉国されたか、他界された方々で、
同志により建てられた碑であり、日本の弾圧にも屈せず、
碑文にも抗日闘争の内容が記され、生没年度を壇期、
若しくは西暦にて表記するなど日本帝国に対し、強い抵抗精神を
表しており、当時日本警察により碑石が駐在所へ留置されたり、
埋没された碑を探して済州抗日記念館の野外に建てる
ことになりました。
説明板(日本語部分)
(彰烈祠)
彰烈祠
威厳を高め、祭祀を行う祠堂
済州出身の殉国先烈及び愛国志士の位牌を奉安する祭殿として、抗日独立運動で政府から褒賞された
抗日独立有功志士方々の位牌を奉安しています。(建物面積99㎡)
説明板(日本語部分)

「彰烈祠」には、抗日独立運動で命を落とした“愛国烈士”の位牌が安置されているという。
たとえ、“抗日”であろうとも、自分の国の為に命を落とした方々に対して敬意を表するべきであろう?
私は一人、ここへ詣でることにしたが、他の人は誰も行かない・・・遠巻きに見ているだけ・・・
いいのかねぇ~・・・そういうことで・・・・

かなり昔のこと・・・・
私が台湾の忠烈祠を訪れた時の事・・・
この時、日本のツアー客がキャーキャーふざけながらやって来た。
関西弁で大声で騒いでいたから、大阪あたりから来たツアーだろう。
「ここは日本で言えば靖国神社と同じである。ふざける場所ではない。不謹慎ではないか!」と注意したことがある。
たとえ、“抗日義烈”であろうとも、自分の国の為に命を落とした方々である。
敬意をもつべきである!
敵ながら天晴れ・・・の精神が大切である。
それでこそ日本人・・・武士ではなかろうか?(苦笑)

同じ日本人として、あのような態度は許せない!・・・と憤慨したら・・・
ガイドさんが「いままで多くの日本人観光客をここへ連れて来ていますが、みんな、あんな感じですよ。あなたのようなことを言った日本人は初めてです」と褒められて、調子に乗っちゃった思い出がある。(大笑)

本来・・・「愛国者」とは、そうあるべきではないか?
国が違っても、自分の国の為に命を捨てた人には敬意を表すというのが「愛国者」ではなかろうかと私はいつも思うのである。

三一獨立運動紀念塔

次に向かったのは、どこかの「民族村」みたいな観光施設・・・・
どこにあるのか、何という名前なのか知らない。
もう、ここまでくると、どうでもいいのである。(苦笑)
もう戦跡は見ちゃったし・・・
今日は、ただの時間潰しだし・・・・(笑)

観光施設のガイドの説明を受けながら園内を見学する。
ここの建物は済州島の昔ながらの建物なのだそうである。
で・・・実際に村の人が住んでいるのだそうだ。
つまり、村全体が観光施設で、村人がガイドを務めているというから、雇用創出事業か?(笑)

最後に、なにやら健康食品の販売・・・・(大笑)
まぁ、現地旅行社の顔もありますから、お付き合いするしかないなぁ。(苦笑)
説明だけは聞くが・・・・買わない。
私は「お土産」を買う気はサラサラない・・・・海外へ行っても滅多にお土産を買うことはないのである。

時刻は12時・・・・
どこかの(笑)レストランへ行き、昼食をとる。
お昼は・・・焼肉!

昼食

今日の行動はなかなか難しい・・・・なにせ、皆さんの帰国時間がさまざまなのである。
まず、一番早いのが、3時過ぎに釜山へ向かう88歳の“スガハラさん”
次が4時半にソウルに向かう“ヨネヤマさん”
その次が、我々で、6時過ぎに成田に向かう7名である。
一番最後が、7時半に関西空港へ向かう86歳の“ナガハマさん”である。
さぁ、こうなると、どう時間調整をすべきか・・・これが悩みの種となる。

で・・・これから、どう時間を潰しましょうか・・・というのが問題。
昨日からこれが気になっていたので、“お節介な”私が黙っているわけがない。(大笑)
各自、それぞれ、途中からタクシーで空港へ向かうというのは酷だろう。
その度に、バスで空港まで送るしかないのでは?
空港を行ったり来たりとなるが、やむを得ないのではないかと思う・・・

さて、まだ空港へ行くには時間がある。
「じゃぁ、もう少し足を延ばしてもいいんじゃないでしょうか?」と私。
「日出峰」というところに特攻艇「震洋」の基地があったというから、そこを見に行くのはどうだろうかと案を出した。
「現地まで行くと時間がなくなりますけど・・・」とガイド・・・
「いや、遠くからでもいいから、基地のあった場所がどういうところか見るだけでもいいんじゃないかな?」
他の参加者は、特に希望はないらしい・・・
というわけで、私の案が採用され、「日出峰」の近くまで行く事になった。

第45震洋隊基地跡

近くの浜辺から「日出峰」を見る。
面白い形の“岬”である。
小火山の跡かな?
この丘(?)の下に震洋の秘匿基地があった。
望遠で撮影・・・
秘匿壕らしき横穴が見える。

ここには第45震洋隊が配備されていた。
通称は「村山部隊」
総員188名。
特攻艇・震洋1型が50隻も配備されていたという。

この場所は、ちょっと遠いので、今回のコースには最初から含まれていなかったが、運良く見に来ることができた。
ラッキー!・・・である。(喜)

この他に、今回のツアーのコースから除外された場所がある。
済州島の中央部から北部へかけて守備配置についた第96師団の司令部壕である。
ここには“ヤスジマさん”が以前、一人で訪れたそうだが、樹木が茂る山の中の壕で、ご高齢者が行くにはちょっと危ないだろうということで、今回のコースから除外したという。
服装も作業服のようなものを着ていないと、とてもじゃないが中には入れないとか・・・
で・・・この96師団の師団長が飯沼守中将だと“ヤスジマさん”から聞かされてビックリ。
全然事前に勉強してこなかったので驚いた。
飯沼守師団長!いやぁ~お懐かしい・・・(大喜)
飯沼さんは昭和14年12月に北支の第110師団の師団長に就任している。
この時の副官が、私の祖父である。
祖父は前任の桑木崇明中将の時から、この第110師団の副官を務めていたのである。
飯沼さんは小柄で小太り・・・丸顔で丸メガネをかけた、温厚な顔立ちの師団長であった。
その後、予備役に編入されて第一線から退かれたと思っていたが・・・
昭和20年に第96師団長として召集され済州島で終戦を迎えたという。
いやぁ~なんというご縁!(喜)

副官の孫がねぇ~・・・飯沼閣下が終戦を迎えた済州島に来てるとはねぇ~(笑)
飯沼中将とは、もうひとつ、ご縁がある。
私が大学時代に下宿していた町に飯沼中将のご自宅があったのである。
これを知ったのは、祖父が亡くなった後・・・・平成になってからである。
戦時中、祖父宛に送られた飯沼閣下の封書の住所を見て気がついたのである。
戦前、戦後では住所の番地表記が違っているので正確な場所はわからないが、私が下宿していたすぐ近くに飯沼閣下のご自宅があったのは間違いない。
いやぁ~これもまた不思議なご縁である。
あ~あ~96師団司令部壕に行ってみたかったなぁ~
飯沼閣下が終戦を迎えた壕・・・見たかったなぁ~

私が死んで、あの世に行って祖父に会ったら報告できたのになぁ~(大笑)
「おじいちゃんがフィリピンで戦っている時に、飯沼閣下は本土防衛の為に済州島へ行ってましてね。その司令部壕を見てきましたよ!」
「おお!そうか!で・・・どんなところに閣下はおられたんだ?」
そういう会話ができると思うんだよなぁ・・・(大笑)

「日出峰」を眺める海岸には観光乗馬用の馬がいた。
久しぶりに乗馬をしたいなぁ~・・・・と思ったが・・・当然、そんな時間は無い。(涙)
写真を撮って、そのまま空港へ向かう。

空港で第1便・・・“スガハラさん”を降ろし、ガイドがチェックインの手続きの間、バスの中で待つ。
さて・・・これから、どうしますか・・・・
ある参加者から「ラブ・ランド・・・って、どうですか?」の提案があった。
「ラブ・ランド」とは、日本で言うところの「秘宝館」らしい。(唖然)
とにかく、どこかで時間を潰さねばならないので・・・そこへ行く事になる。(苦笑)

午後2時50分に到着!
現地の中年の女性ガイドさん・・・
「私はここに残りますから、皆さんだけで見学して下さい!」と言う。
ん?そりゃないだろぉ~(大笑)
「あのぉ~ガイドさん!ラブ・ランドのルールって知らないんですか?」と私・・・
「ルールですか?ルールって何ですか?」
「ここは、ガイドさんが案内しないといけない決まりになっているんですよ。僕達だけでは迷子になるので・・・一つ一つガイドさんが説明して歩かないといけないって・・・知ってました?」
「そんな話は聞いたことありません!私は絶対行きません!」(笑)
車内は爆笑!
「あなたはガイドさんですよね?ここも案内しないとガイドさんとしてはマズイんじゃないですか?」
「いいえ!絶対私は行きません!」(笑)
大いに彼女をからかう。

「済州ラブ・ランド」(Jeju Love Land)

ここは当初の予定に入っていたわけではないので、入場料は各自負担となる。
入り口でガイドと別れ、入場!
と・・・早々に、立派な(笑)オブジェがそそり立っていた。(驚)

入口のオブジェ

そんな・・・アホな・・・である。(唖然)
その、アホな・・・を写真に撮っている私は、もっとアホだと思うけど・・・・
これじゃ、女性ガイドは入りたがらないよなぁ~(大笑)

こんな施設を見に来るような人はいないだろうと思ったら、意外にも、結構、客がいる。
しかもアベックが多い。
さすがに日本人は我々ぐらいしかいなかったが、中国人観光客、欧米人も見受けられた。
あらら・・・である。

モニュメント「欲望」
欲望
肉体の欲望を渇き求める女性の美しい体をダイナミックな曲線で表現した作品である。
粘土を利用した彫塑技巧で製作され、この女性像の背の高さは普通の建物の
3階分に相当する9メートルに達する。
説明板(日本語部分)

ここでも説明板は韓国語、英語、日本語、中国語の4か国語で書かれていた。
日本語があるという事は・・・結構、日本人が来るのかな?(汗)

会場は、まるで公園のようである。
アッケラカンとしている。
一見、どうということのない公園に見えるが・・・
展示されているオブジェから何からが、全て男女の局部かSEXをテーマにしたものである。(大汗)
あらら・・・我がツアーのお年寄りは・・・唖然・・・いや、呆然・・・

資料館(?)

資料館のような建物があったので、中に入ってみる。
と・・・なぜか“大人のおもちゃ”が並ぶ・・・・(唖然)
いやぁ~何ですか・・・これ・・・・

バイブだのコンドームだの・・・あれやこれや・・・
まぁ、“資料”といえば“資料”か?
変遷の歴史って言えば変遷の歴史か?(大汗)
しかし、まともには見られないなぁ~・・・これ・・・

建物の奥に“お土産屋さん”があったが・・・・
これ・・・アダルトショップである。(唖然)
若い女の子の店員が“グッズ”を持って、「これ、お土産にドウデスカ~」と声をかけてくる。
なぬ!買えるわけないだろ!みんなが見ている目の前で・・・(苦笑)

これで商売が成り立つんだろうか?
みんなの関心も、実はそこにあった。
一体、どこの誰がこの施設を造り運営しているんだろうか?
採算は合うのだろうか?
・・・・等々・・・・
私の想像は・・・「大人のおもちゃ製造組合か何かの寄付で成り立ってるんじゃないでしょうか?」である。
一同、なるほど、考えられる・・・と感心してくれた。(大笑)

それにしても、韓国は・・・おかしい!
女の子もケロケロとして見て歩いているのである!(唖然)
どういう神経してるんだろ?

それにしても、日本だったら、条例とか法律とかの問題を除いても、継続運営は無理だろう。
こういう施設がまかり通るのも、韓国ならではなのかな?(汗)

「日本の大手旅行社のツアーもここに来るんだろうか?」と参加者の声・・・
まさか・・・大手旅行社はコースに入れないんじゃないの?(苦笑)
マズイでしょ・・・ここに連れてきたら・・・(大笑)

帰国者第2便・・・“ヨネヤマさん”を空港へ送るため、再び空港へ向かう。

時刻は午後4時・・・・
空港で第2便を送り届けて・・・・さて・・・どうしますか・・・

今度は真面目な観光をしよう・・・ということで「三姓穴」という史跡を見に行く事にした。(大笑)

「三姓穴」入口

ここに来て気が付いたのだが、ここは昨晩、迷子になった時に来たぞ!(驚)
真っ暗だったけど、間違いない。
しかし・・・え~・・・・ここまで歩いてきてたのか・・・(大汗)

ドルハルバン
ドルハルバン
済州特別自治道民俗資料 第2号
所在地:済州特別自治道一円
偶石木・武石木・首長等と呼ばれるこの石像は、済州牧・旌義県・大静県の城門の入口
に建てられていたものである。現在は済州大学・市役所・三姓穴・観徳亭等済州市内に
21基、西帰浦市表善面城邑里に12基、大静邑の仁城・安城・保城に12基等、合計45
基がある。
石像の形はだいたい山高帽子にきらつく大きな目、大きな団子鼻、口を真一文字
に結んでおり、両手は腹の上と下に威厳を持って重ねている。ドルハルバンの大
きさは平均身長が済州187cm、城邑141cm、大静134cmで、製作年代は英租30年
(1754)頃と推定される。
この石像は城門の前に建てられて、守護神的・呪術宗教的・境界標的な機能を果た
したもので、本土のジャンスン(木像の2本で構成される村の守神)のような役割
をしたものと推定されている。
説明板(日本語部分)

乾始門
三姓穴
史跡第134号
所在地:済州道済州市 二徒一洞
三姓穴は済州道の人達の伝説的な発祥地である。三神人
(高乙那、良乙那、夫乙那)がここから生まれ、狩猟生活を
行っていた時、五穀の種子を持ってきた碧浪国の三王女を
迎え入れ、その時から農業生活が始まって、ついに耽羅王国
へと発展していったとされている。
朝鮮時代の中宗21年(西暦1526年)牧使李寿童が初めて
標壇と紅門を立て、垣を造り、春秋奉祭を行い始めてから、
歴代の牧使(道知事)によって聖域化の事業が行われ、現在
も毎年春秋祭および乾始大祭が行われている。
入口の説明板(日本語部分)

ここは「耽羅王国」の発祥の地だという。
この史跡・・・・
今から約4300年前に、ここの地面から3人の神様が産まれ出たという。
で・・・その3人の神様は兄弟で、高、梁、夫という3つの姓に別れるらしい。
だから・・・“三姓”ということらしい。
で・・・この3人の兄弟が産まれ出た場所に、三つの“穴”が開いてる。
だから「三姓穴」と呼ばれているらしい。
まぁ、神話の世界の話でしょうねぇ~
地面から、スポン!と産まれ出てくるなんて・・・・信じられない話だからなぁ~(笑)
この3人が、済州島の島民の祖先ということになるのかな?

この「三姓穴」は済州島の人にとっては神聖な場所ということらしい。
ところが、日本が統治していた時代(?)に、警察官がこの穴に足を突っ込んで立ち、その神聖な場所を汚したという。
その“証拠写真”を、どこかで見たことがあるぞ・・・・
3つの穴のところに警官らしき3人の制服を着た人が立っている写真だったが・・・
これが日本人なのか、本当にこの「三姓穴」の3つの穴なのか、その真偽はわからないけど・・・
日本人が神聖な場所を汚したとなれば・・・そりゃ、反日、抗日に走ってもおかしくはないよなぁ~と思う。
日本人にとっては何でもない穴でも、済州島の人にとっては意味があるんだから・・・
故意にやったのか、知らずにやったのかもわからないが・・・
抗日・反日感情を煽るための“やらせ”だったかもしれないし、これも何とも言えない・・・という気がする。

この三姓穴の周囲の木は、みんな穴のほうに向かって伸びているとガイドさんが言う。
なんとも不思議な現象なのだそうである。
へぇ~そうかなぁ~
私には、良くわからない・・・・(汗)
一部の木々は確かに穴のほうに向かって傾いているように見えるが、その反対側の木は・・・それほどでもない、という気がするが・・・
何らかの神秘性は神話には必要なのだろう。
わからないでもない・・・・

崇報堂

儒生達が学業に熱中した所である。
(説明板より)
三聖殿

三姓始祖の位牌が奉安されている祠堂である。
毎年4月10日と10月10日にはその子孫により春秋大祭の儀式が行われている。
(説明板より)

時刻は4時半を過ぎたので、空港へ向かう。
ガイドから、こんなに何度も空港を往復するツアーは初めてだと笑われた。
そうでしょうねぇ~(苦笑)

済州国際空港

戦時中の「チョントゥル飛行場(陸軍西飛行場)」跡。

午後6時10分発の大韓航空機にて成田に向かう。

機内食

夜8時30分、無事に成田空港に到着し、自然解散となる。
私は成田空港近くのホテルへ・・・
なにせ、最終の特急に間に合わないので、ホテルに泊まるしかない。
2泊3日の旅行なのに、私は前泊と後泊をせねばならず、結局、4泊5日の旅になってしまうのである。
田舎に住んでいると本当に不便である。(涙)

ホテルの部屋

今回は、いつものホテルに泊まるのをやめて、別のホテルに“浮気”してみた。(大笑)
なんと!部屋の広いことか!ベッドも広い!
海外の下手なホテルよりも・・・いいかも・・・(大笑)
わざわざ海外へ行かなくとも、この部屋で2~3日、ゴロゴロ過ごすだけで海外気分が味わえるかも。(笑)

ホテルのレストランで夕食を食べる。
機内食では足りない・・・(大笑)

夕食

疲れがドッと出て・・・爆睡!(笑)

~終わり~



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