埼玉県さいたま市大宮区高鼻町3−149
(平成18年10月20日)
由緒略記
鎮座地
さいたま市大宮区高鼻町3丁目149番地
祭神
鳥羽伏見の役以後の國事に殉じた埼玉県関係の英霊5万1千余柱
沿革
昭和9年4月9日埼玉県招魂社として設立鎮座し 同14年3月神社制度の改正により 埼玉県護國神社と改称され4月に指定護國神社となり 例大祭には神饌幣帛の供進がなされたことになった
同21年2月神社制度の変革により宗教法人埼玉県護國神社と改められ更に同23年10月埼霊さいたま神社と改称
同27年再び埼玉県護國神社と改称し現在に至る
昭和30年1月奉賛会が設立せられ以来年々の例大祭埼玉県民挙て厳粛盛大に行っている
(説明板より抜粋)
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埼玉縣護國神社 本殿の目の前を道路が横切っているという珍しい神社です。 (平成18年10月20日) |
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拝殿 (平成18年10月20日) |
埼玉県出身者の地域別戦没者数
(支那事変以降) 総数48453人
千島・樺太・アリューシャン方面 | 344人 |
ソ連・モンゴル方面 | 1268人 |
満州・朝鮮方面 | 3140人 |
中国及びその近海方面 | 10687人 |
印度・仏印・タイ・ビルマ・マレー方面 | 2561人 |
ジャワ・スマトラ・ボルネオ方面 | 1078人 |
ニューギニア・ソロモン諸島方面 | 5717人 |
フィリピン及びその近海方面 | 10065人 |
中部太平洋・小笠原諸島方面 | 5602人 |
台湾・沖縄その近海方面 | 1737人 |
内地及びその近海方面 | 6254人 |
(『大東亜戦争戦没地域図』より)
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埼玉県傷痍軍人の塔 第58代厚生大臣 渡辺美智雄 書 (平成18年10月20日) |
塔 建立の詞
吾等は戦火に傷つき 或いは戦野に病を得て生死の境を彷徨した者達である
その思い出は耐え難いものがあり 戦争の残酷さは筆舌につくしがたい
戦後 閲すること30年 昭和50年7月議を起こし 戦禍の洗礼を受けた立場から 二度と犠牲者を出す間敷き事を語り合った
而して 平和を希求する会員の微意を表明せんと名を印し 此の埼玉県傷痍軍人の塔を建立する決議をした
良く議し想を練り 会員一人一人の善意を結集して 今完成に至った
唯 同慶の一語につきる
尚 惟みるに吾が埼玉県傷痍軍人の夫妻が財團法人日本傷痍軍人会 同妻の会の旗下にあって それぞれの綱領具現に その責を果し 両会の中核県たる名聲を保持する努力をはじめ 或いは郷にあって 傷痍にめげず率先垂範 豊かなる人間愛と限りない創造性を以って変轉極りない新時代に処し 地域社会に光明を齋しつつ 今日に至った証としても 意義あるものと思考する
又この庭が 隣人を愛する思想を高揚し廣く 世界は一家の大理想実現に裨益する聖場と成ることも願いつつ 時の流れに禍いされることなく 吾等の誠魂が不滅であることを信じ 塔建立の詞とする
昭和53年10月19日
埼玉県傷痍軍人の塔建設委員会
吉川 敏雄 謹書
(副碑・碑文より)
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