斎藤茂吉 さいとう・もきち

明治15年(1882年)5月14日〜昭和28年(1953年)2月25日


山形県出身。
明治29年(1896年)上京、医師・斎藤紀一家に寄寓(のち婿養子となる)。
東大を卒業し、引き続き精神病学を専攻する。
明治39年(1906年)伊東左千夫に師事し「馬酔木あしび」に参加。
明治41年(1908年)創刊の『アララギ』編集に尽力。
大正2年(1913年)歌集『赤光しゃっこう』刊行、強烈な人間感情を古朴な万葉語で表現した。
欧州留学後、東京に脳病院を経営。
昭和26年(1951年)文化勲章受章。


斎藤茂吉寓居跡



斎藤茂吉寓居の跡
(長崎県長崎市上町6−27)





(平成20年11月22日)

碑文

斎藤茂吉は大正6年12月長崎医学専門学校精神科教授として着任
翌年4月より大正10年3月の帰京までここに住んだ。
その間、「童馬漫話」「歌集あらたま」を中央より刊行したほか短歌における写生論を確立した。

斎藤茂吉寓居の跡



斎藤茂吉寓居の跡
(長崎県長崎市上町6−27)





(平成20年11月22日)

 説明板より

斎藤茂吉寓居の跡

斎藤茂吉(1882〜1953)は、大正6年(1917)12月長崎医学専門学校の教授として赴任、同10年(1921)3月まで滞在した。
最初、今町(現:金屋町)にあった緑屋旅館に宿泊したが、翌年正月以降は東上町のこの地にあった2階建(上2間・下2間)の借家(昭和62年解体)に居住した。
長崎滞在中の茂吉は、長崎のアララギ会員の指導にあたるとともに、武藤長蔵や氷見徳太郎等の学者や文化人とさかんに交際、かたわら名所旧跡を詠んだ歌を多数残した。

(説明板より)








 歌碑 
 (山形県酒田市・日和山ひよりやま公園)





(平成26年11月23日)

斎藤茂吉 

 ゆたかなる最上川
 口ふりさけて
 光ヶ丘にたて
 るけふかも

大石田に疎開中の茂吉が、昭和22(1947)4月1日酒田に来遊。
山王ホテルに二泊す。
その時の即詠揮毫。
茂吉全集歌集補遺所収。

(説明板より)







 歌碑 
 (山形県酒田市・日和山公園)





(平成26年11月23日)

斎藤茂吉 

 おほきなる流となれば ためらはず
 酒田のうみにそそがむとする

歌聖斎藤茂吉が昭和22年(1947)酒田でよんだ歌を酒田短歌会が昭和37年建立

(説明板より)




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