酒田招魂社

山形県酒田市南新町1丁目


 平成26年11月23日

招魂祭殿(招魂社)の由来

明治14年 酒田神宮協会所が新町旧籾蔵跡地に壮大な社殿を建立し 神宮奉斎会酒田支部と称した
同27年10月の大地震でその社殿を悉く失ったため 29年小規模の社殿を再建した
日清戦役後の30年 その境内に忠魂碑が建立された
明治37年日露戦争が起きると酒田奉公義会が組織された
大正10年7月 神宮奉斎会酒田支部は維持困難となり社殿を酒田奉公義会に売却
同会は社殿を招魂祭殿(通称招魂社)と改め 国難に殉じた英霊をお祀りし奉仕した
昭和17年 招魂祭殿を酒田市義勇奉公会から酒田市遺族会が引き継いだ
遺族会では毎月1日と15日の早朝に社殿内外の清掃と月例祭を催し「遺族の誓い」を朗唱し 戦後は特に慰霊と遺族の心の拠り所として今日に至る
昭和21年 旧酒田商業学校の奉安庫を譲り受け本殿とし その地下にかつて同地にあった忠魂碑を納め 以後 拝殿に遺影と名簿を奉納 本市出身2,341柱の英霊を合祀している
私達遺族は 戦争のない世界平和の実現こそ尊い英霊に報いる道と信じ 平成10年社殿を一部修復 慰霊奉仕と社殿の永久護持に努めている。

平成14年9月彼岸中日
酒田市遺族会

(説明板より)






 志士齋藤元宏君之碑






(平成26年11月23日)

志士 斉藤元宏碑

斉藤元宏は明治20年(1887)平田町山谷に生まれ、広島幼年学校陸軍士官学校を経て旭川歩連(※「第」の誤記?)26連隊に配属
後、中尉に進み陸軍大学を中退しアジア平和の悲願から満蒙独立運動に参画し指導的役割を果たし、蒙古独立を指揮し大正5年5月25日ホロンバイルの激戦で戦死した。
昭和9年4月20日満洲国建国に当たり同期生石原莞爾ら有志が建立した。
表題は粛親王の書。

(説明板より)








 やすらぎの塔
 (酒田招魂社近く)




(平成26年11月23日)

やすらぎの塔

戦争で死んだ人たちは
平和の限りない尊さを
身をもって
生き残ったわれわれに教えた

いまわれわれは反省する
果たしてわれわれは
死者のこの遺志に対して
どれほそ報いるところがあったか

そして、もう一度その霊前に誓おう
子らのため、明日の世界のため
ひたすら平和を大切にすることを。

昭和40年11月3日
酒田市長 小山 孫次郎

(碑文より)

 戦火の
    中に  
  散った
 多くの
    人の
 霊に
   捧げる

この「やすらぎの塔」は酒田市が酒田市遺族会の協力により建立したものである。

竣工 1965年11月3日
   酒田市長 小山孫次郎
   像制作 設計 高橋 剛

(銘板より)



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