佐久間勝之 さくま・かつゆき

永禄11年(1568年)〜寛永11年11月12日(1634年12月31日)


父は佐久間盛次。
尾張国生まれ。
はじめ佐々成政さっさ・なりまさの養子となり、佐々を称した。
天正13年(1585年)から北條氏政に仕え、後北条氏滅亡後は蒲生氏郷がもうう・うじさとに属し、この時に佐久間姓に復した。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦では東軍に属し、以後、徳川氏に仕える。
大坂夏の陣で手柄をたて、加増され1万8000石を領した。
寛永11年(1634年)、駿府城番を勤め、同地で没す。67歳。


お化け燈籠



お化け燈籠
(東京都台東区・上野公園内)





(平成19年4月28日)

お化け燈籠どうろう
   台東区上野公園4番

佐久間大膳亮だいぜんのすけ勝之が東照宮に寄進した石造の燈籠で、
   奉寄進佐久間大膳亮平朝臣勝之
   東照大権現御宝前石燈籠
      寛永八年辛未孟冬十七日
と刻字し、寄進者・寄進年月を知ることができる。
寛永8年(1631年)当時、東照宮は創建して間もなく、社頭には、現存の大鳥居・銅燈籠・石燈籠などは、まだわずかしか奉納されていなかった。
勝之は他にさきがけて、この燈籠を寄進したのである。
勝之は、織田信長の武将佐久間盛次の四男。
母は猛将柴田勝家の姉という。
信長・北条氏政・豊臣秀吉、のち徳川家康に仕え、信濃国川中島ほかで1万8千石を領した。
燈籠の大きさは、高さ6.06メートル、笠石の周囲3.63メートルと巨大で、その大きさゆえに「お化け燈籠」と呼ぶ。
同じ勝之の寄進した京都南禅寺・名古屋熱田神宮の大燈籠とともに、日本三大燈籠に数えられる。

平成8年7月
台東区教育委員会

(説明板より)



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