真田幸道 さなだ・ゆきみち

明暦3年2月22日(1657年4月5日)〜享保12年5月27日(1727年7月15日)


開山堂



開山堂
(長野県長野市松代町・長国寺)





(平成20年10月27日)

建造物
長国寺 開山堂
長野県宝
昭和41年10月3日指定

この開山堂は、もと松代真田家3代幸道(初名信房、法名真常院殿全山一提大居士)の霊屋として建立されたものである。
幸道は享保12年(1727)5月死去したが、その後間もなく、長国寺境内裏手の真田信之の霊屋の脇に建立されたものであるが、明治5年同寺が伽藍諸堂を焼失し、同19年本堂再建の際、この幸道の霊屋を本堂跡に引き移して開山堂にあてたものである。
堂は方三間の宝形造、桟瓦葺で、もと回縁向拝付であったが、今は撤去されている。
正面中央に桟唐戸をつり、他は縦桟の舞良戸はめ殺しとし、円柱に組物は出組詰組、軒は二軒繁垂木で、装飾は外部の頭貫と内法貫の間に唐草の透彫を入れるだけで極めて簡素である。
内部は内外陣の仕切り、陣境に格子戸を入れ欄間に高肉彫の彫刻を入れ、奥に禅宗様仏壇をおくなど、信弘の霊屋と同じである。

平成18年3月20日
長野市教育委員会

(説明板より)

長国寺



長國寺
(長野県長野市松代町松代1015−1)





(平成20年10月27日)

長國寺は、天文16年(1547)、真田幸隆公(1513〜1574)が真田郷の松尾城内に真田山長谷寺を建立し、伝為晃運禅師(1573歿)を開山第一世に招請して、真田家の菩提寺となった。
永禄7年(1564)松尾城外に移され、本格的な禅刹として諸施設が整ったが、元和8年(1622)、上田藩主だった真田信之公(1566〜1658)の松代移封によって現在地に移転し、寺号も長國寺と改められた。
現在、曹洞宗の専門道場として認可されている。

(リーフレットより)



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