山砲兵第38連隊

(通称号:沼8927)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
愛知県名古屋 昭和14年 第38師団 ラバウル

当初は野砲兵連隊。
昭和16年5月、作戦上の要求で山砲兵連隊に改編され、広東省の治安警備にあたる。
大東亜戦争開戦とともに香港攻略作戦に参加。
爾後、東海林支隊、東方支隊に各1個大隊を配属。
主力はスマトラ攻略に参加。
東海林支隊はジャワ島、東方支隊はチモール島攻略戦に参加。
昭和17年11月、ガダルカナル島の第2師団増援に赴き、先発の東海林支隊は第2師団指揮下でルンガ飛行場攻撃に参加。(不成功)
以後、連隊は持久戦に移行。
昭和18年1月、ガダルカナル島を撤収してラバウルへ移動。
その後は、第17師団と共に同地防衛中に終戦を迎える。


やまぶきの碑


「やまぶきの碑 山砲兵第三十八聯隊」
(愛知県名古屋市・愛知県護国神社

昭和56年3月8日
戦友会有志建立


(平成15年11月28日)

やまぶきの碑の由来(碑文)

山砲兵第38連隊のふるさとともいえる原隊(野砲兵第3連隊)は この場所から道路を距てた東方約50米のところにあった
昭和14年8月に原隊で産声を挙げて以来年毎に徴集され 補充された若者達が軍靴の音も高らかに この道を戦野へと出陣して行ったのである
戦地では砲兵隊当然の任務として歩兵連隊や歩兵旅団など他部隊に配属されて 連隊としての統一行動は少なく各大隊各中隊単位の戦闘が主であった
ジャングル戦線での砲兵隊の行動は人力搬送という苦しい戦いの連続であった
この間失われた犠牲者は実に673柱
この碑はふるさとの地に犠牲者をお迎えして慰霊し 併せて連隊全員の碑として戦友会有志が建立したものである
やまぶきの碑とは砲兵歌にうたわれた「襟には映ゆる山吹色に・・・・・」に因んだものである
なお山砲兵第38連隊の戦史は次の通りである

戦史

昭和14年8月 野砲兵第38連隊編成 
昭和14年12月 南支黄埔に上陸
昭和15年5月 良港会戦
昭和15年8月 翁英作戦
昭和16年5月 東江作戦
昭和16年5月 山砲兵第38連隊に改編
昭和16年9月 四邑北江作戦
昭和16年12月 香港攻略戦
昭和17年2月 アンボン・チモール攻略戦
昭和17年3月 ジャワ・スマトラ作戦
昭和17年11月 ガダルカナル島作戦
昭和17年12月 ニューギニア・ブナ作戦
昭和18年3月 ラバウル防衛戦
昭和20年8月 終戦


 (関連商品のご紹介)

ガダルカナル島  ニューギニア  ラバウル  山砲兵  砲兵  大砲  山砲



 トップページに戻る   陸海軍部隊のリストに戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送