5.ミンダナオ島めぐり

(バヤバス・自然公園・古川拓殖事務所跡・ダリラオン)


平成26年(2014年)1月28日(第5日目)

朝食後、出発までに少々余裕があったので、ホテルの外に出てみた。(笑)
う~ん・・・これといって散策したいという雰囲気ではない・・・(涙)

 マルコポーロ・ホテル

 ホテルの前の道

なんだなぁ~・・・なんか不便なところに泊まっている感じ・・・(苦笑)

今日は、これといった観光でもなければ、戦跡訪問、慰霊巡拝でもなさそうである。
“ヨシダさん”のご先祖様の足跡を辿るという一日になるのだそうだ。
あれ?・・・ツアー募集時点では、そういう話は聞いていなかったんだけど・・・(汗)

BAYABAS ELEMENTARY SCHOOL
Binugao District,Toril ,Davao city,Region Ⅺ

(バヤバス小学校)

創立は1948年7月2日

“ヨシダさん”の親戚宅に立ち寄って、親戚の方を乗せ、最初に向かったのは『バヤバス小学校』
「バヤバス」という地名は、どこかで聞いたことがあるような気がするのだが・・・
確か、このあたりで戦闘があったんじゃないかなぁ~
が・・・ここに来たのは、“ヨシダさん”のおじいさんの家がここにあったから・・・・ということらしい。

この後、“ヨシダさん”の親戚の家を訪ねたが、お留守のため引き返す。
その帰り道に見えたのが、通称「吉田山」・・・・

 吉田山

「山」と言っても、小高い丘にしか見えないが・・・
名前の由来は、この地域に住んでいた“ヨシダさん”のおじいさんらしい。
このおじいさんは、この地域の大酋長の娘さんと結婚したらしい。
で・・・ここに子孫がいるわけだが・・・
話によると、日本にも奥さんがいたそうで・・・・
どうも事情が複雑でややっこしい・・・(大汗)

この「吉田山」には「片桐大隊」という部隊がいたという話がチラリと出たが・・・
私は事前に勉強していなかったので、さて・・・正式名称は何なのか、どんな部隊だったのかも知らない。
事前によく勉強していないと、こういうことになる・・・(涙)
ガイドさんの話の主体は、この山にあった「吉田神社」の話。
戦後、この神社が、どうしたのこうしたの・・・という話である。
今は神社は消滅し、何も残っていないそうである。

時刻は10時半・・・・

次は、アポ山というミンダナオ島で一番高い山の麓にある「自然公園」に向う。
どうしてここに行くのか私は全く知らなかったが、どうもこの公園・・・
戦前は「吉田公園」と呼ばれていたそうである。
“ヨシダさん”のおじいさんは、このあたりの名士だったらしい。
日本人移民の活躍の一端を知る。
戦後、“ヨシダさん”のおじいさんの奥さんの名を取って「イーデン自然公園」と名付けられている。

「ツアーセンター」で受付をして・・・まずは昼食。
公園内を「ツアー・バス」で回るらしく、その出発時刻は午後1時だそうである。
それまでに昼食を済ませておこうということで、園内のレストランで食事をする。

 昼食

最初は我々くらいしか客がいなかったが、そのうちドドッと若い連中が入ってきた。
どうもフィリピン人の学生達らしい。
何かの研修なのか、遠足なのか・・・

この「自然公園」は、リゾート施設が整っているようである。
レストラン、研修室、宿泊所、プール、アスレチック施設等々・・・
当然、フラワーガーデンだの、畑だの・・・というのもある。
申し訳ないのだが、私は全くといっていいほど興味は無い。(汗)
植物は好きだし、自分で花を育てたりもしてはいるが・・・
花の名前を聞いても覚えられないから、どうせ日本では育てることはない花の話を聞いてもねぇ~(苦笑)
本当に植物が好きな人は熱心に聞くかもしれないが・・・
もしかしたら、私は本当は植物が好きではないのかも知れないな。(大笑)
全然、ガイドの話を聞く気がおこらない・・・・退屈である・・・(汗)

 園内のツアーバス

軽トラックの荷台を改造したような「ツアーバス」。
これに乗って「自然公園」のごく一部だが・・・見て回る。

ツアーの不便なところは、ガイドのそばに常にいないと説明を聞き逃してしまうということ。
で・・・ガイドの説明している“もの”だけを見て・・・
「では、次に行きま~す!」と言われてしまうと、写真を撮るのも困難となる。
ましてや、自分の興味のあるものを見ようなんてこともできない。
言われたまま、指図されたまま行動をするしかない。
私は基本的に団体行動が苦手である。(苦笑)
ツアー旅行には向かないタイプなのである。(大笑)
というわけで・・・自分で探索するのが好きなので・・・ついついガイドから離れて行動をしてしまう。
だから、ガイドの説明は全く聞いていない。(大笑)
どうせ聞いても三歩も歩いたら忘れちゃうし・・・
ガイドの説明を聞いているだけ時間の無駄である。

単独行動と言っても、ツアーに迷惑はかけられないので、ガイドに許可をもらって、みんなから見えるあたりをウロウロする。
で・・・単独行動を取って見つけたのが・・・これ・・・

Shaman's HOUSE

英語の説明板によれば・・・(ビサヤ語でなくて良かったが・・・笑)
これは、昔のシャーマン(まじない師)の家を復元したものらしい。
ここで、まじないによる病気の治療などをしていたらしい。
へぇ~・・・・私は、こっちのほうに興味がある。

 公園内の畑?

次に向かったのは、「古川拓殖会社」の事務所跡。
この「古川拓殖会社」というのは、古川義三という人が大正3年(1914年)に、ここダバオで設立した会社で、「マニラ麻(アパカ)」を栽培して輸出した会社である。
この「マニラ麻」は、戦前、フィリピンの輸出農産物のトップとなるほど成長した産業だったが、日本の敗戦後は全財産が没収され、日本人移住者の多くが強制送還となったらしい。
創業者の古川義三氏は昭和60年(1985年)に(日本で?)お亡くなりになっている。
この人のお母さんの姉、つまり伯母さんの旦那さん、つまり、義理の伯父さんが・・・(面倒な話ですが・・・)
伊藤商店(現・伊藤忠商事)の創業者である伊藤忠兵衛・・・
ということで、伊藤商店の支援を受けてこの会社は設立されたようである。

ダバオのマニラ麻産業は、太田恭三郎の「太田興業」と、古川義三の「古川拓殖」で発展したと言っていいだろう。

古川拓殖会社事務所跡

昔懐かしい木造の事務所である。
私の会社も、私が子供の頃は、このような木造の会社だったんだよなぁ~・・・と、つい、昔を思い出してしまった。(笑)
この建物は、現在、行政の管理下におかれているようで、そのようなことが英語で書かれた看板が付いていた。

この事務所の裏には事務所と繋がった建物があったようで・・・基礎部分と階段部分だけが残っていた。
コンクリート製の洒落た階段である。

管理人らしき人物に、事務所内部の見学が出来るのかと尋ねたら、OKだというので内部を一人で見学する。

事務所内部

見学を終え、管理人にチップを渡して外に出たら・・・誰もいない!
あれ?・・・みんなはどこへ行ってしまったのだろう?(汗)
と・・・我々のワゴン車を見たら、みんな先に乗って私を待っていた。(大汗)
いやぁ~・・・つい、夢中になっちゃって・・・お待たせてしてしまい申し訳なし!

時刻はまもなく午後3時になる。
このあたりは「ダリラオン」という場所だと思うが・・・
ここから車で5分程度の所に古川拓殖の倉庫が今も残っているというので、それを見に行く事となる。

 古川拓殖会社の倉庫跡

海岸の近くの林の中にコンクリート製の倉庫があった。
これが古川拓殖の倉庫の残骸だそうで、当時はここにマニラ麻が保管され、ここから港に運んでいたようである。
他にもいくつも同じような倉庫がここにあったらしい。
もう少し奥のほうにコンクリートの基礎部分だけが残っているような場所もあった。

ここを見学しながら写真を撮っていたら、ショットガンを持った警備員がやってきて、写真を撮るなと言う。
彼と話をしてみたら、ここは個人の所有地で、勝手に立ち入ってはいけないと言うのである。
あらら・・・
我々は決して怪しいもんじゃないんですけど・・・
「歴史の勉強をしていてね・・・で・・・日本人が造った倉庫だから、それの写真を撮っていただけなんだけど・・・写真・・・ダメ?」
「ダメです!」
あらら・・・(大汗)
と・・・向うの方から別のガードマンが自動小銃を抱えてやって来た!
その形相は、ただ事ではない!(大汗!)

「ヤバイ!」(大汗)
「急いで!逃げましょう!」と一緒にいた“イケダさん”を促す。
なにせ、他の人達はもう姿が見えない・・・私がガードマンと話をしているうちに逃げたようだ。(唖然)
で・・・取り残されたのは、私と“イケダさん”の二人である。

ところが、“イケダさん”・・・
何を考えているのか、悠然と歩いている。
あのね・・・俺、しらねぇ~よ!(大汗)
振り返って後ろを見たら、遥か後方で4人ほどのガードマンに囲まれていた!(汗)
言葉が通じないくせに・・・
ヘラヘラ笑いながらタバコを吸い始め、ガードマンたちにタバコをすすめている。(唖然!)
ガードマンたちは鬼のような形相である!
あ~あ~・・・手がかかる人だ!(怒)

“イケダさん”とは以前、予科練主催のツアーで初めてお会いした間柄。
今回、私がこのツアーに参加するなら是非誘ってくれというので、誘ったのだが・・・
ハワイでのツアーでは、こんなに手のかかる人だとは思わなかったんだけどなぁ~(大汗)

急いで引き返し・・・
「何してるんですか!早く!早く!」
しかし、全然ダメ・・・ヘラヘラしていて全く応じない・・・
で・・・ついに・・・「バカやろう!サッサとしろ!」と怒鳴っちゃった!(大汗)
さすがに、私の怒鳴り声で“イケダさん”は顔面蒼白・・・
ようやく事の重大さに気が付いたようである。
「早く!早く!逃げなくちゃならないのに何をしてるんですか!」(怒)

この敷地には立ち入り禁止の看板等は見かけなかったので、間違って立ち入ったとしても、それは仕方がない。
が・・・ガードマンから説明を受けて立ち去るように言われているのに、ノラリクラリ、ヘラヘラ、ニヤニヤして、その場に留まっていたのでは、必ずトラブルに発展する。
言葉が通じないんだから、なおさら誤解を生じる可能性が高い。
何かあってからでは、後から何を言っても、もう遅いのである。
こういう時は、さっさと立ち去るべきである。
どうも、こういう“空気”が読めない人というのは困ったものである。(大汗)

すでに他のツアー参加者は車の中に乗っていた。
その我々の車の周りを10人ほどの自動小銃を構えたガードマンが取り囲んでいる・・・(大汗)
いやぁ~ここの地主って金持ちなんだなぁ~・・・こんなに雇っているの?
ガードマンの皆さんに睨みつけられた・・・(大汗)
そりゃ、そうでしょうねぇ~・・・勝手に入っちゃったんだから・・・

この敷地のギリギリまで、雑多な家が建ち並んでいる。
まぁ、余り豊かではない人達である。
ガイドの話によれば、つい、うっかりしていると、こういう連中が勝手に敷地内に掘っ立て小屋を建てて住み着いてしまうのだそうだ。
それで四六時中、ガードマンが目を光らせているのだという。

それにしても他人の土地に無断で侵入して見学とは・・・困ったガイドである。
事前に許可を取っておかなかったのか?(唖然)
それならそうと事前に「ここは他人の土地で無断で侵入することになりますから、ササッと写真を撮って立ち去りましょう」と言ってくれていれば、こちらも気をつけたが・・・
まさか、こういうことになろうとは・・・
日本人のイメージを悪くしちゃったよなぁ~・・・これ・・・

車の中で“イケダさん”に「バカやろう」発言を謝罪した・・・(汗)
いくらなんでも、かなりの年長者に対していうべき言葉ではない。
ついつい、カ~ッと頭に血が上ってしまい暴言を吐いてしまった。
「いやぁ~あの状況では仕方がないよ。言われてもしょうがないと思っているから・・・」とおっしゃってくださったが・・・
内心は面白くないとは思っているだろう。
申し訳なし・・・

ホテルへ戻る途中、ちょっと果物でも食べてみましょうかということでマーケットに立ち寄る。
立ち寄ったのは、屋台のような果物市場である。

市場

ここダバオでは「ドリアン」という果物が有名。
これを食べてみようということでガイドさんに買ってもらい、その場で食べることになる。
「ドリアン」は「果物の王様」とも呼ばれているそうで、匂いがスゴイので、ホテルなどには持ち込んではいけないことになっている。

ドリアン

ドリアンの実を、お店の人に割ってもらい、その場で食べる。
臭いとよく言われるが、私は特別気にならなかった。
以前、“フジイさん”と一緒に来た時にもドリアンを食べたが、その時はシーズンではなかったので冷凍保存されていたものを食べた。
あの時と、たいして変わらない気がするが・・・
日本の納豆のほうが、もっと臭いんじゃあるまいか?(笑)
中身を指でつまんで食べるが・・・
ネト~ッ、ヌルヌル・・・何か腐っているような感触である。(笑)
腐りかけている謎の海洋生物を食べている感じ・・・(そんなものを食べたことはないが・・・)(大笑)
味は、それほど甘いというほどのものではない。
べつに・・・「美味しい!」・・・というほどのものでもない。
ねっとり・・・とした食感である。
以前食べた時と同じだなぁ~(苦笑)

ドリアンにハマってしまうと、嫁さんを質に入れても買いたくなる・・・とよく言われるそうだが・・・
嫁を質に入れてまで食べたいというほど美味しいものではない。(私個人としては・・・・)
まぁ、嫁を質に入れたいという人はたくさんおられるとは思うけど・・・(大笑)

ツアー参加者仲間は慎み深いのか、一つまみしか食べない。
残したのでは、もったいないではないか?
ということで、残りは私が一人で頂く(大笑)
「ドリアン」は栄養豊富な果物だそうで、その昔は、国王なんかが精力増強のために食べていたとか・・・
「そんなに食べて、今晩、大丈夫か?」「そんなに精力つけて、これからどうしようっていうんだ?」と周囲から冗談が飛び出す。(大笑)
え~・・・ノーコメント!(大笑)

マンゴスチン

続いて・・・マンゴスチン!
どうせ最終的には私が残り物を全部食べなくちゃならないのだろうからということで、私がおカネを出すことにした。(笑)
このマンゴスチンは「果物の女王」と呼ばれているそうだ。
実の割り方は、両手で押しつぶすようにすると割れる。
お店の人が、やって見せてくれた。
で・・・中の実は、甘酸っぱくて美味しい!
さっぱりした感じ・・・
「王様」のねっとりとした感じとは違う。
さすがは「女王様」である。(笑)
マンゴスチンは初めて食べたが、これは美味しい。

 パンの実?

続いて食したのが・・・「パンの実」・・・・
ガイドさんが「パンの実」と言っていたが・・・これがそう?
私は、これでパンを作るんだと思っていたのだが、割ると、なかに種のようなものがギッシリ・・・
う~ん・・・これじゃパンは作れないよな?(苦笑)
この種のようなものを食べてみると、ほのかに甘い・・・
甘いんじゃ、ますます「パン」にはならないような気がする。
「パンの実」って言っていたけど、これは果物ではなかろうか?
「パン」と言っても、その「パン」ではない?
結局、よくわからない・・・(大笑)

時刻は4時半を過ぎた・・・
ホテルに帰る。

夕方6時から、市内のレストランで夕食。
“ヨシダさん”の親戚を交えての食事会。

今日は、このあと私には個人的な用事がある。(喜)
夜8時半に、ホテルのラウンジで人と待ち合わせなのだ。
予定通り8時にはホテルに戻ることができてよかった!

待ち合わせの相手は、現地に在住している日本人である。
4年前の10月25日、ミンダナオ島のスリガオで平和式典が開催され、それに私は一人で参加した。
この平和式典は、昭和19年10月25日に惹起した「スリガオ海峡海戦」で戦没した方々を弔う平和式典である。
毎年、日本・アメリカ・オーストラリア・フィリピンの4カ国の代表が集まって行なわれるのだが、日本側からは誰も参加しない。
日本領事館も「忙しいから」と言って参加をしない・・・
誰か日本人に来てもらいたいという現地の市長さんからの要請で、私が一人で、この式典に参加することになった。
が・・・なにせ、英語が苦手・・・(大笑)
そこで、ダバオ在住の日本人である“ミヤケさん”が車で10時間もかけて応援に来てくださった。
スリガオ市長からの要請を取り次いだ“フルサワさん”が、“ミヤケさん”に応援を頼んでくださったのである。
初対面だったが、いやぁ~心強いこと・・・
アメリカ側の代表は戦史研究家の方で、その他、家族や親戚など関係者がゾロゾロと参加・・・
対する日本代表は私一人・・・・ポツ~ン・・・(大涙)
“ミヤケさん”には特にテレビのインタビューの時に通訳をしていただき大いに助けていただいた。

で・・・あれから4年・・・あっという間である。
“ミヤケさん”は所用のため式典途中でまた10時間かけて自宅に帰られ、私はバタバタしていて、何もお礼できぬままお別れしてしまい気になっていたのだが、今回、ダバオに寄るので、是非会いたいと連絡をしておいたのである。

後8時半・・・4年ぶりに“ミヤケさん”とホテルのロビーで再会である!(大喜!)
積もる話も山々あれど・・・なぜか不思議とスリガオでの平和式典より別の話で盛り上がる。
お会いするのが今回が2回目だというのに、ずいぶん昔から良く知っているような不思議な感覚・・・(笑)
ラウンジでコーヒーを飲みながら、オシャベリ・・・
で・・・これからどうしようか?・・・(笑)
“ミヤケさん”はダバオ市内から車で1時間ぐらい離れたところに住んでおられるという。
そこで農場を経営していて、生産した農作物は日本にも輸出されているという。
日本からダバオに移り住んでもう43年も経つという。
所用でダバオ市内に来た時は、サウナに行く事にしているので、サウナに一緒に行かないかと誘われた。
実は、私はサウナというものに入ったことがないのである。
是非!・・・ということで出かける。

サウナの中でも延々とオシャベリ・・・・
マッサージルームでマッサージをしてもらいホテルに戻る。
時刻は夜の11時半過ぎ・・・

明日は何時の飛行機?」と“ミヤケさん”・・・・
「え~と・・・4時起床、4時半にホテルをチェックアウトで~す!」(笑)
「いやぁ~そりゃ悪いことしちゃったなぁ~・・・寝る時間がないだろ?」
「睡眠時間よりミヤケさんに会うほうが大事ですから構いませ~ん!」(大笑)

ホテルの入口で車から降ろしてもらい、またの再会を約して別れる・・・

う~ん・・・今日はいい日だった!
最高である。
わざわざ会いに来てくださった“ミヤケさん”に感謝、感謝・・・・大感激である!


  


 トップページに戻る   旅日記に戻る

SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu