平成24年4月17日

佐々木小次郎 ささき・こじろう

生没年不詳

山口県岩国市横山2丁目でお会いしました。


江戸時代の武芸者。
生まれた場所は越前国と周防国の二説あり、実像は不明。
武者修行の旅に出て、小倉藩の剣術指南にあたる。
慶長17年(1612年)4月、宮本武蔵と巌流島で剣術の試合をし、敗れたとされる。
江戸時代の講談などでは老年剣客とか、武蔵の父の敵などの設定だったが、吉川英治の『宮本武蔵』以来、長い刀を背負い燕返しという秘剣を使う青年美剣士のイメージが定着した。






剣豪佐々木小次郎の像

(山口県岩国市横山2-4)




(平成24年4月17日)

剣豪佐々木小次郎の像

「祖先以来、岩国の住、姓は佐々木といい、名は小次郎と親からもらい、また剣名を“巌流”ともよぶ人間は、かくいう私であるが・・・」
吉川英治氏の小説『宮本武蔵』の一説である。
当地では、古くから佐々木小次郎が、ここ錦帯橋畔において、柳の枝が燕を打つのを見て、燕返しの剣法「巌流」を自得したと言伝えられている。

(側碑・碑文より)






巌流ゆかりの柳
(山口県岩国市横山2-1-3)




(平成24年4月17日)

巌流ゆかりの柳

佐々木巌流小次郎は宮本武蔵との勝負に敗れましたが、小次郎の『つばめ返し』の剣法は天下無双であったということです。
吉川英治氏は小説『宮本武蔵』のなかで、岩国で産まれた小次郎は、母から家伝の長光の刀(一名物干し竿)を授かり、この辺りの柳とつばめを相手に独りで工夫し、努力を重ね、遂に『つばめ返し』の術を編み出したと記しています。

(説明板より)




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