佐世保鎮守府第5特別陸戦隊


佐鎮五特慰霊之碑



佐鎮五特慰霊之碑
(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地





(平成20年11月23日)

碑文

佐世保鎮守府第5特別陸戦隊は 昭和17年5月15日佐世保第1海兵団に於て司令海軍中佐月岡寅重以下千五百余名を以て編成され 6月7日トラック島に到着以降 パプアニューギニア東部各地に転戦し 赫々たる武勲を樹てた。
戦線が広域に拡大するに及び連合軍の反撃熾烈を極め制空権、制海権を失い 物資補給途絶し 食糧欠乏し 矢弾尽き 悪疫に冒され死闘を繰返した。
数次に亘り部隊増援が行はれ将兵克く勇戦したが 戦況好転せず次第に戦線を収縮し  転進命令により標高約4千米の山系越え等 多くの苦難と闘い 武運拙なく 国家の安泰と弥栄えを祈念して散華した数多英霊の武勲を永久に讃え顕彰する為 有志集い資を捧げ茲に慰霊之碑を建立し安らなる御冥福を祈念するものである。

平成11年9月吉日
佐鎮五特慰霊之碑建立世話人
代表 前田喜代二

佐鎮五特慰霊之碑

佐世保鎮守府第5特別陸戦隊は、昭和17年5月15日佐世保海兵団において編成された。
司令海軍中佐月岡寅重率いる約1500名は、6月8日、母港佐世保軍港を出港し、トラック島に到着し、南洋部隊に編入された。
以来、兵力は分散され、東部ニューギニア各地において勇戦し特にブナ攻略戦は功績顕著にして大いに国威を宣揚した。
一部兵力を残置しして、本隊は更にラビに進攻したが、その途次一時行方を発った。
残置された部隊は後日、米軍をして「ブナにおける戦闘はその苛烈なること、その右に出る例はない」と言わしめる熾烈を極めた戦いで、我が将兵克く善戦したが、空しく玉砕第1号となった。
行方を絶った本隊は、軽巡天龍に救出され、ラバウルに帰投。
戦力の回復に努め、昭和17年10月1日編成の海軍中尉田中忠重率いる増援部隊と共に昭和18年初頭、再びサラモアに進攻し、周辺の守備防衛に任じた。
6月30日未明、この地付近の攻防戦においた空爆により月岡司令を喪う。
高峰4000メートルのサラワケット山系越え転進作戦に苦闘を重ねたが、この作戦出発の9月12日ラエにおいて、2代目司令・海軍中佐竹内静七を喪う不運に遭う。
多くの戦闘において散華した英霊幾千か、関係機関に照会したが、実数の把握はできなかった。
佐鎮五特に属した英霊の総てを茲に祀り、永久にその功績を讃え顕彰するため慰霊之碑を建立するものである。

(参考:社団法人 佐世保東山海軍墓地保存会発行 『佐世保東山海軍墓地 墓碑誌』 平成20年第3刷)




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