佐藤春夫 さとう・はるお

明治25年(1892年)4月9日〜昭和39年(1964年)5月6日


佐藤春夫墓



佐藤春夫墓
(東京都文京区小石川・伝通院)





(平成18年3月11日)

佐藤春夫墓

明治25年〜昭和39年(1892〜1964)。
大正・昭和期の詩人・小説家。
和歌山県の生まれ。
明治43年(1910)上京し、与謝野寛の新詩社に入り、永井荷風をしたって慶應義塾大学に学ぶ。
はじめ叙情詩人として出発したが、のちに耽美主義の影響を受けて大正8年(1919)小説「田園の憂鬱ゆううつ」を発表し好評を博し小説家として独自の地位を確立した。
古典的な詩人としては、大正以降の第一人者である。
芸術院会員となり、文化勲章を受け、区内関口3丁目の自宅で没した。
文京区歌の作詞者でもある。

文京区教育委員会
平成3年3月

(説明板より)

伝通院



浄土宗 無量山伝通院むりょうざんでんつういん
(東京都文京区小石川3−14−6)





(平成18年3月11日)

傅通院のあゆみ

当山は今から約600年程前の応永22年(1415)浄土宗第七祖誉聖冏上人が開山したお寺。
当時は小石川極楽水の小さな草庵で無量山寿経寺という名で開創された。
それから二百年後慶長7年(1602)8月29日、家康公の生母お大の方が逝去され、この寿経寺を菩提寺と定めた。
お大の方の法名「傅通院殿」から「傅通院」と呼ばれるようになり、徳川家の庇護のもと、大伽藍が整えられた。
また、当山は関東十八檀林の一つとして学僧の修業勉学の場となり僧侶養成の重責を担っていた。
更に明治以後には淑徳女学校を設立。
広く社会に向けて女子教育にも力を注いでいる。
しかし、このような歴史の中にも、享保6年(1721)・同10年(1725)・明治43年(1910)の三度の大火にあい、更には第二次世界大戦では境内建物、宝物等全て灰燼に帰してしまった。
戦後は復興にはげみ、昭和63年(1988)新世紀の宗教活動に対応できる新本堂を建立。
平成9年(1997)繊月会館を建立。
平成11年(1999)には観音堂(休憩所)を建立し現在に至っている。

(説明板より)




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