応保元年(1161年)?〜文治2年9月22日(1186年11月4日)
※没年月日が文治2年9月20日との説あり
陸奥国信夫荘(現・福島市)の荘司、佐藤元治(基治)の子。
四郎兵衛尉と称し、藤原秀衡の郎従。
治承4年(1180年)源義経が源頼朝軍に加わった際、秀衡の命で兄の継信とともに義経に従った。
以後義経と行動を共にし、一の谷・屋島・壇ノ浦などの戦に参加した。
頼朝に背いた義経が京都から逃亡したあとも都に留まり、糟屋有季かすやありすえの襲撃を受け自害する。
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佐藤兄弟の塚 (長野県長野市・善光寺) (平成20年10月28日) |
佐藤兄弟の塚
(長野市指定建造物)
石造宝篋院塔 二基
応永4年(1397)建立
この地方で最古の逆修ぎゃくしゅう供養塔です
源義経の忠臣佐藤兄弟の塚といわれ兄継信つぐのぶは屋島で弟忠信ただのぶは吉野にてそれぞれ義経の身代わりとなって戦死しましたがその供養のため母梅唇尼ばいしんにが之を建てたと伝えられています。
善光寺
(説明板より)
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善光寺 (長野県長野市元善町) (平成20年10月28日) |
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