佐藤泰然像 平成18年8月31日

佐藤泰然 さとう・たいぜん

文化元年(1804年)〜明治5年(1872年)4月10日

千葉県佐倉市・佐倉順天堂記念館でお会いしました。


名は信圭のぶかど
武蔵国川崎生まれ。
天保元年(1830年)医術を志し、蘭方医の足立長雋ちょうしゅん、さらに高野長英に学んだ。
長崎に遊学して蘭医ニーマンの指導を受ける。
天保8年(1838年)江戸に帰り、両国薬研堀やげんぼりに開業。
天保14年(1843年)下総国佐倉藩主・堀田正睦まさよしに招かれ、佐倉に日本初の私立病院とされる順天堂を開き、医学教育と治療にあたった。
安政6年(1859年)引退。
文久2年(1862年)横浜に移り、アメリカ人医師ヘボンらと交遊した。


佐藤泰然先生像



『佐藤泰然先生』像

(千葉県佐倉市・佐倉順天堂記念館)

昭和61年4月10日
佐藤泰然先生顕彰会建立


(平成18年8月31日)
佐藤泰然





佐藤泰然
(佐倉順天堂記念館・展示パネルより)







(平成18年8月31日)
泰然の佐倉移住

佐藤泰然が江戸からこの佐倉の地に移住して順天堂を創設したのは、天保14年(1843)のことです。
泰然が佐倉に移住してきた背景としては、当時佐倉藩では藩主の堀田正睦が、徹底した学問・武術の奨励による天保の改革を推進していたことが挙げられます。
特に正睦は「西洋堀田」とあだ名されるほど西洋びいきで、蘭学に理解があったので西洋医学を進んで藩に取り入れようとしていました。
ちょうどその頃江戸では、長崎遊学後に蘭医学の塾を開きながら外科を専門に開業していた泰然が評判を集めていました。
その泰然の評判を聞いた正睦は、ぜひとも泰然を佐倉に招いて藩内の学問向上につなげようと考えたのです。
そして泰然は、塾を門人の一人である林洞海に譲り、正睦の招きに応じて佐倉に移住しました。

泰然の業績

泰然は目新しいことを好み、進歩的で行動力に富んだ人物でした。
その泰然の精神は順天堂の塾、あるいは診療所としての姿に良く現れています。
泰然は順天堂の塾生がオランダ語の習得と書物だけの勉強に偏ることなく、実際の診療に役立つ知識・技術を習得させることを目指した教育を行いました。
その結果、順天堂からは多くの優秀な人材が育ち、彼等はその後の日本の近代医学の発展に大きな役割を果たしています。
また泰然の業績として他には、天然痘の予防に努めたことが挙げられます。
ウイルス感染によって起こる天然痘は、当時の人々に大変恐れられていた病気の一つでした。
その予防法である人痘接種は中国から日本に伝わり、一般的にはそれが行われていましたが、泰然はより進んだ西洋式の人痘接種よりもさらに安全で進歩した牛痘法が嘉永2年(1849)長崎に伝わると、佐倉藩でも牛痘法がその年に採用されます。
この牛痘法を藩内に導入したのも泰然の力が大きく働いていたと考えられます。

(『佐倉順天堂記念館』の冊子より)

佐藤泰然と旧佐倉順天堂




佐藤泰然像と旧佐倉順天堂






(平成18年8月31日)

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