佐藤継信 さとう・つぐのぶ

保元3年(1158年)?〜元暦2年2月19日(1185年3月22日)


陸奥国信夫荘(現・福島市)の荘司、佐藤元治(基治)の三男。
『平治物語』によれば、母は豪族大窪太郎の娘。
三郎兵衛尉と称し、藤原秀衡の郎従。
治承4年(1180年)秀衡のもとに寄留していた源義経が源頼朝軍に加わろうとした際、秀衡の命で弟の忠信とともに義経に従った。
その後、一の谷・屋島の戦に参加したが、屋島で義経の身代わりとして戦死。


佐藤兄弟の塚



佐藤兄弟の塚
(長野県長野市・善光寺)





(平成20年10月28日)

佐藤兄弟の塚

(長野市指定建造物)
石造宝篋院塔 二基
応永4年(1397)建立

この地方で最古の逆修ぎゃくしゅう供養塔です
源義経の忠臣佐藤兄弟の塚といわれ兄継信つぐのぶは屋島で弟忠信ただのぶは吉野にてそれぞれ義経の身代わりとなって戦死しましたがその供養のため母梅唇尼ばいしんにが之を建てたと伝えられています。

善光寺

(説明板より)

善光寺



善光寺

(長野県長野市元善町)





(平成20年10月28日)



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