佐々友房 さっさ・ともふさ

嘉永7年1月23日(1854年2月20日)〜明治39年(1906年)9月28日


明治期の政党政治家。
熊本藩士の家に生まれる。
西南戦争で西郷軍についたため入獄。
出獄後、明治15年(1882年)熊本に済々黌せいせいこうを設立し、子弟の教育にあたる一方、紫溟しめい会を結成して民権派に対抗した。
明治22年(1889年)、大隈外相の条約改正交渉に反対して谷干城らと日本倶楽部を創立。
翌年、熊本国権党を組織。
第1回総選挙から衆議院議員に9回連続当選。
明治25年(1892年)に国民協会の結成に参加。
以後、帝国党・大同倶楽部の領袖として活躍した。






佐々友房生誕地
(熊本県熊本市中央区内坪井町5−32)

旧:熊本中央女子高等学校加寿美寮
現:熊本中央高等学校加寿美第1寮



(平成23年2月7日)

佐々友房生誕の地

佐々友房は、安政元年(1854)この地に生まれた。
明治10年(1877)西南戦争が起こると、池辺吉十郎らと熊本隊を組織して西郷軍に加わったため、10年の懲役に処せられた。
明治12年保釈、自宅謹慎中翌13年赦免された。
友房は、入獄中、今日の急務は青年子弟を教育し国家有用の人材を養うことであると考え、出獄後、同志数十人と私立学校創立を実行にうつし、明治12年同心学舎(明治15年済々黌と改称)を開校した。
明治23年(1890)熊本国権党を率い、第1回帝国議会に衆議院議員として初当選以後、明治39年(1906)53歳で他界するまで毎回当選し、国家主義の政治家として活躍した。
著書に「戦袍日記」「囚中詠草」「克堂詩草」「観風詩史」などがある。

熊本市

(説明板より)


【濟々黌】

明治15年、同心学舎を前身として、濟々黌が開校した。
同心学舎は政党政治家の佐々友房が創立した学校で、したがって佐々友房は、現在の県立濟々黌高校の学祖ということになる。
国士的な人づくりを伝統とする濟々黌には有名な三綱領がある。
「倫理を正して大義を明らかにする」
「廉恥れんちを重んじて元気を振るう」
「知識を磨きて文明を進める」
これを黌是として、徳育、武道、スポーツが盛んであった。

濟々黌は、明治21年(1888)から35年間校長を務めた井芹経平いせりつねひらと歴代の教員たちによって校風が築かれた。
井芹は、全国的にも当代中学教育の第一人者といわれた人物であり、生徒の個性を重視した。
ある時、東郷平八郎海軍元帥にむかって、井芹が言った。
「東郷さん、あなたの前ですが、息子さん(長男・彪ひょう)は軍人にむきませんね。百姓にさせたほうがいい」
東郷は井芹の言うとおりにした。
彪は濟々黌を出て園芸家となり、宮内省に出仕した。
勇名世界にとどろく東郷平八郎に、これだけはっきりものをいえる井芹の見識は非凡というほかはない。

(参考:上原光晴 著 『落下傘隊長 堀内海軍大佐の生涯』 光和堂 1993年9月発行)

(平成29年4月25日 追記)




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