潜水艦殉国碑


潜水艦殉国碑


潜水艦殉国碑
(東京都渋谷区神宮前・東郷神社)

潜水艦断面を型どった碑の司令塔部分に、実潜望鏡をはめこみ、碑面には「殉国」の二字のみを刻んである。



(平成18年1月24日)

潜水艦勇士に捧ぐ

太平洋戦争中 百二十余隻の潜水艦と共に戦歿された一万余人の乗員諸君 特殊潜航艇及び回天決死隊諸君 また諸公試 演練に殉難された諸君
諸君の遺骨は海底深く沈んで之を回収する途がない
しかし それは国難に赴いた諸君の忠誠が そのまま其戦場に在ることを意味する
民族の急を救うべく戦った犠牲の精神は永久に其処に活きている
残された潜水艦関係の吾等は個人と法人と併せて幾千
常に諸君の英霊の座する海底を見つめている
願わくは日本国民の全部も ありし日の諸君の勇姿を奮戦激闘の光景と護国の屍となった戦場とを緬想して敬弔の誠を伸ぶると共に 祖国再興の心の糧とすることを祈願して已まない
茲に曽て戦友 潜水艦建造関係者 外有志一同相計り小碑を東郷神社の聖域に建立して諸君不滅の忠魂に捧ぐ

昭和33年5月25日

(説明碑・碑文より)


潜水艦小史

伊号第1潜水艦
巡潜一型。ドイツ人技師テッヘルの設計により大正15年に完成。
排水量:水上2200トン・水中3100トン
速力:水上20ノット・水中7.5ノット
備砲:12.7センチ高角砲1門
発射管:53センチ6門(魚雷17本)
飛行機:水上偵察機1機
同型艦:伊1〜伊6

ハワイ作戦・アリューシャン作戦に参加。
昭和16年12月30日、ハワイのヒロを攻撃。
昭和18年1月29日夜を期してガダルカナル島へ陸上部隊3000名2日分の糧食を輸送する為ラバウルを出港。
揚陸地点のカミンポー岬近くで敵魚雷艇の攻撃を受け大破し(艦長坂本栄一少佐戦死)付近の陸岸に座礁。
生存者66名。
乗組員は使用中の暗号書を持って上陸したが、艦船・基地の呼出符号一覧表や古い暗号書などを置き残した。
これが、まもなく米海軍の手に入り、呼出符号一覧表は日本海軍の最新の編成や配置を探る手がかりとなり、古い暗号書も暗号解読法の正しさを確認する材料として使用された。
1月31日ガダルカナル第1回撤退で3名を残し全員撤収。3名は艦体を爆雷で爆破し昭和18年2月7日のガダルカナル最後の撤退作戦で駆逐艦により引き揚げる。
その後、味方航空機8機が残骸爆撃に出動。

伊号第2潜水艦
ハワイ作戦・アリューシャン作戦に参加。
ガダルカナル島への食糧・弾薬の輸送を5回行なう。
昭和19年4月4日、ラバウルよりトラックに向かう途中行方不明となる。
昭和19年4月7日、アドミラルティ北方・イサベル水道にて米駆逐艦ソーフレイにより撃沈される。(艦長:山口一生少佐)

伊号第3潜水艦
大正15年完成。
ハワイ作戦・アリューシャン作戦に参加。
昭和16年12月9日、ハワイを砲撃。
昭和17年12月7日、ショートランドを出発してカミンボに輸送作戦中、12月9日、ガダルカナル島泊地(カミンボ沖4.8キロ)にて米魚雷艇により攻撃され擱座・沈没する。(艦長:戸上一郎中佐)

伊号第4潜水艦
ハワイ作戦・アリューシャン作戦に参加。
昭和16年12月15日、ハワイを砲撃する。
昭和17年3月、ココス島を砲撃する。
昭和17年12月16日、ラバウルを出港してブナに対する緊急輸送に向かうが消息不明となる。
昭和17年12月21日、ラバウル南方にて米潜水艦シードラゴンの雷撃を受けて撃沈される。(艦長:上野利武少佐)

伊号第5潜水艦
昭和5年就役。
ハワイ作戦・アリューシャン作戦に参加。
その後ガダルカナル作戦・マリアナ作戦(あ号作戦)に参加。
昭和18年4月中旬、ラエでの任務の帰りに味方の不時着航空機を捜索発見し搭乗員を救出。
昭和19年7月16日、トラックを出港して横須賀へ向かう。
昭和19年7月19日、サイパン島東方にて敵艦船を攻撃したのち米駆逐艦の反撃により撃沈される。(艦長:土井与重少佐)

伊号第6潜水艦
伊1(巡潜1型)を基礎にして更に改良を加えた純日本式巡潜(巡潜2型)
複動式ディーゼルの採用で速力が増大された。
ハワイ作戦に参加。
昭和17年1月11日、ハワイ沖にて米空母サラトガを雷撃し大破させる。(九五式魚雷を使用)
マリアナ作戦に参加。
オーストラリア・ブリスベーン沖に魚雷発射管から敷設する磁気機雷の敷設に成功する。(期日不明)
昭和18年5月中旬、ラエでの任務の帰りに味方の不時着航空機を捜索発見し搭乗員を救出。
昭和19年6月15日、サイパン方面に向け横須賀を出発して消息不明となる。
昭和19年7月14日、マリアナ諸島付近にて米駆逐艦ウィリアム・C・ミラーにより撃沈される。(艦長:普門正三少佐)

伊号第7潜水艦
昭和9年の第二次補充計画によって建造。巡潜3型。
旗艦潜水艦の設備(作戦室・強力な通信力)を持つ潜水艦。
基準排水量:2200トン以上
速力:水上23ノット
備砲:14センチ砲2門
発射管:6本(九五式魚雷=新式電池魚雷20本)
安全潜航深度:100メートル
同型艦:伊7・伊8

日本潜水艦で最初に九五式魚雷を装備。
ハワイ作戦に参加。
潜水戦隊の旗艦としてアリューシャン作戦に参加。
ガダルカナル作戦に参加。
昭和17年10月中旬、ガダルカナル島総攻撃に呼応してエスピリサント島の敵飛行場を2度に亘り砲撃し相当な損害を与えた。
昭和18年6月21日、キスカへの第3回目の輸送中にキスカ島ベガ湾泊地で米哨戒艇と砲戦。
司令塔に直撃を受け司令の玉木大佐、艦長の長井勝彦少佐が戦死し同湾に擱座。
翌日離礁して横須賀に向かったが、ベガ岬南方で米駆逐艦3隻から砲撃を受け、水上退避中にキスカ島東南端に擱座大破した。生存者43名は陸上に収容。

伊号第8潜水艦
日本潜水艦で最初に九五式魚雷を装備。
第3潜水戦隊旗艦としてハワイ作戦に参加。
昭和17年1月下旬、北米西岸の交通破壊戦のためクエゼリンを出発。サンフランシスコ西方からシアトル方面まで北上したが会敵せず3月初めに内地に帰還した。
昭和18年1月下旬、ガダルカナル島撤退作戦の索制のためカントン島を砲撃する。
遣独艦第2艦として昭和18年6月下旬、ドイツから譲渡される呂号第501潜水艦を受け取る回航要員とドイツに贈るキニーネを搭載してドイツに向け出発。アゾレス南方洋上でドイツ潜水艦と会合。ドイツの電波探知機を装備してブレスト港に到着。重要品を満載して12月上旬シンガポールに到着し無事に内地に帰還。(日独の往復で無事に帰国したのはこの1艦のみ)
昭和20年3月20日、呉から沖縄方面へ出撃したが消息不明となる。
昭和20年3月31日、沖縄本島東南東で米駆逐艦モリソン及びストックトンと交戦し撃沈される。(艦長:篠原茂夫少佐)

伊号第9潜水艦
昭和12年の第3次補充計画によって建造。甲型(旗艦設備と偵察機1機を持つ)。
基準排水量:約2400トン
速力:水上23.5ノット
発射管:6本
備砲:14センチ砲1門、25ミリ機銃4挺
飛行機:水上偵察機1機
旗艦設備と強力な通信能力を持つ。
同型艦(甲型):伊9〜伊14

ハワイ作戦に参加。
潜水戦隊旗艦としてアリューシャン作戦にも参加。
昭和17年8月15日、横須賀を出港してソロモン方面に進出。
昭和17年11月〜昭和18年1月末、ガダルカナル島輸送作戦に従事し5回成功。
昭和18年6月10日、キスカに向け第2回目の輸送に出発したが、キスカ入港予定日の15日になっても入港せず消息不明となる。
昭和18年6月14日、アッツ島北東で霧の中、米駆逐艦フレージアからの攻撃により撃沈される。(艦長:藤井明義中佐)

伊号第10潜水艦
偵察用航空機を搭載した「巡潜甲型」の2番艦として昭和16年10月31日に竣工。
ハワイ作戦・インド洋作戦・トラック作戦・マリアナ作戦に参加。
昭和18年1月30日、オーストラリア東岸沖でリバティー船サムエル・ゴンパースを撃沈。
昭和18年6月、ペナンからインド洋に出撃し、7月1日と6日にドイツに派遣される伊8潜に2度の燃料補給を行う。
その後、インド洋で交通破壊戦を行い、7月23日、ノルウェー・タンカー「アルシデス」(7634トン)を撃沈。
9月14日にノルウェー・タンカー「ブラモーラ」(6261トン)を撃沈。
9月24日、アメリカ・貨物船「エリアスホーエ」(7176トン)を撃沈。
10月2日、ノルウェー・貨物船「ストービーケン」(4836トン)を撃沈。
10月5日、ノルウェー・タンカー「アンナコーディーン」(9057トン)を撃破。
10月24日、イギリス・貨物船「コンゲーラ」(4533トン)に最後の魚雷2本を発射するが当たらず、砲撃で撃沈する。
昭和19年5月9日、横須賀を出港してマーシャル東方に進出し、メジュロ泊地を偵察した後、サイパンの第6艦隊司令部救出作戦のためグアム方面に向かうが、6月28日以降消息不明となる。
昭和19年7月4日、サイパン島付近にて米護衛駆逐艦デヴィッド・W・テーラーとリッドウルの協同攻撃により撃沈される。(艦長:中島清次中佐)
艦長以下113名全員が戦死。
ちなみに伊10潜の撃沈数15隻は、日本海軍潜水艦のトップ・スコアーである。

伊号第11潜水艦
ガダルカナル作戦に参加。
第3潜水戦隊の1艦としてソロモン方面に進出。
昭和17年7月21日、サンフランシスコからオ−ストラリアのアデレードに向けて7000トンの武器弾薬を運んでいたリバティー船ウイリアム・ダウズをシドニーの南方45kmのオーストラリア東岸沿岸・ハウ岬沖10kmで魚雷2発を命中させ撃沈。
昭和17年8月30日輸送船1隻撃沈。9月8日空母に魚雷2本を命中させ、その後、猛反撃を受けるが無事に脱出する。(第3潜水戦隊司令官・河野千万城少将乗艦)
昭和18年7月18日、ソロモン方面において米LST-342号を撃沈する。
エリス、サモア、フィジー、トンガ方面で敵艦船を攻撃して、昭和19年1月中旬までにフナフチを偵察することを命じられる。
昭和18年12月21日、トラックを出発してエリス島・フナフチ島方面に向かい、12月31日、フナフチの潜航偵察を実施、同港に戦艦ほか有力な部隊が在泊中であることを報告してきたが、昭和19年1月11日、搭載水上偵察機による同地の飛行偵察を2月上旬に延期し、エリス、サモア方面の敵艦船を攻撃せよと命ぜられたのち、消息を絶った。
昭和19年2月17日、マーシャル諸島水域において米駆逐艦ニコラスの攻撃を受け沈没したものと思われる。
(日本側の喪失認定日は昭和19年3月20日)(艦長:伊豆寿一中佐)

伊号第12潜水艦
伊9と比較して速力を18ノットに落として航続距離を延ばした艦。(16ノットで3万5200キロ)

昭和19年10月、敵の後方撹乱を目的として米本土西岸からサモア・フィジー諸島方面で行動。
昭和19年10月7日に仮泊地の函館を出て、昭和20年1月5日以降中部太平洋で消息不明となる。
戦後の調査によれば、10月30日にハワイの東北方、米本土との中間付近の海域において、米輸送船1隻を撃沈したことが判明している。
その後、11月13日に、米沿岸警備隊のフリゲート艦・ロックフォードおよび掃海艇アーデントの攻撃を受けて撃沈されていたことが判明した。
(喪失認定日は昭和20年1月31日)(艦長:工藤兼雄中佐)

伊号第13潜水艦
水上偵察機1機の代わりに水上攻撃機2機を搭載した艦。(同型艦:伊14)

ウルシー偵察のため新鋭偵察機「彩雲」を2機搭載して昭和20年7月15日に大湊を出港。
翌16日に米護衛空母アンチオの艦載機及び護衛駆逐艦ローレンス・C・テーラーの協同攻撃を受けて沈没とされている。(米側の記録と位置が違うので疑問あり)(艦長:大橋勝夫)

伊号第14潜水艦
昭和20年7月中旬、大湊からウルシー偵察用の偵察機2機のトラックへの輸送任務に従事。
終戦時、無傷で残る。

伊号第15潜水艦
昭和12年の第3次補充計画で艦隊随伴兼巡洋潜水艦として建造。
乙型(旗艦設備無し・偵察機1機あり)
排水量:水上2600トン・水中3700トン
速力:水上23.5ノット・水中8ノット
備砲:14センチ砲1門、25ミリ機銃2挺
発射管:6門(魚雷17本)
飛行機:水上偵察機1機
航続距離:16ノットで2万4400キロ
同型艦:伊15・伊17・伊19・伊21・伊23・伊25・伊26〜伊45(合計26隻)

ハワイ作戦・アリューシャン作戦・ガダルカナル作戦に参加。
昭和17年9月15日、ニューヘブライズのエスピリッサント付近において米戦艦ノース・カロライナ及び米駆逐艦オブライエンを雷撃して損害を与える。
昭和17年10月5日、トラックを出発してガダルカナル東方海面に作戦したが、11月3日以降消息不明となる。
昭和17年11月10日、伊15の南方93キロにいた伊17は、伊15の配備地点方向に爆雷音を聞いたという。(艦長:石川信雄中佐)

伊号第16潜水艦
丙型(旗艦設備無し・搭載飛行機無し・魚雷力強化型)
基準排水量:約2200トン
発射管:艦首に8本
同型艦:伊16・伊18・伊20・伊22・伊24・伊46・伊47・伊48(合計8隻)

ハワイ作戦では特殊潜航艇母艦として指揮官・佐々木半九大佐が座乗。
特殊潜航艇(横山中尉艇=横山正治中尉・上田定二曹)を発進させる。
インド洋作戦にも参加。
ディエゴスワレズ攻撃では特殊潜航艇2基を発進させる。
昭和18年11月28日、ルンガ岬にて特殊潜航艇を発進させ、貨物運送艦アルキバを大破させた。
昭和19年5月14日、トラックからブインに作戦輸送のため出港したが消息不明となる。
昭和19年5月19日、ソロモン諸島北方にて行動暗号電を解読して待ち伏せしていた米駆逐艦イングランドにより撃沈されたといわれる。
(米側の期日に疑問あり)(日本側喪失認定日は昭和19年6月25日)(艦長:竹内義高少佐)

伊号第17潜水艦
ハワイ作戦・アリューシャン作戦に参加。
昭和17年2月24日、米国ロサンゼルス北方サンタバーバラ海峡に侵入し、後甲板の十一年式45口径14センチ砲でウルウッド油田を砲撃する。発射弾数17発。(米本土砲撃の最初)(艦長:西野耕三中佐)
米側の被害は人的被害なし、多くの砲弾が不発弾だったため製油所の桟橋とポンプ小屋が破壊されただけ。
その後、通商破壊戦を行ないタンカー1隻、輸送船1隻を撃沈し3月末に内地に帰還した。
ガダルカナル作戦に参加・ソロモン補給輸送作戦に従事。
昭和18年5月23日、ニューカレドニア沖において、米魚雷艇PT−165、PT−173を撃沈する。
昭和18年8月19日、オーストラリア・ヌーメア沖(40海里)にて敵海軍基地機及びニュージーランド艦艇の攻撃を受けて沈没。生存者6名。(艦長:原田毫衛少佐)

伊号第18潜水艦
ハワイ作戦に参加し特殊潜航艇(古野中尉艇)を発進させる。
インド洋作戦にも参加。
昭和18年1月22日、トラックを出発しガダルカナル輸送作戦を成功させる。
昭和18年2月11日、ソロモン諸島南方にて敵増援部隊を発見し攻撃したが、その後消息を絶ち沈没と推定。
米軽巡ヘリーナの搭載機及び米駆逐艦フレッチャーにより撃沈されたとされる。(艦長:村岡富一大尉)

伊号第19潜水艦
アリューシャン作戦・ガダルカナル作戦に参加。
ソロモン補給輸送に2回従事する。
昭和17年8月31日、ヌデニ島グラシオサ湾の飛行艇基地を砲撃する。(大した損害を与えず)
昭和17年9月15日午前11時45分、ニューヘブライズのエスピリッツサントス沖(ガ島南東側・サンクリストバル島南東洋上)で米空母ワスプに肉迫し、魚雷(九五式魚雷)6発を発射し、うち3発を命中させ撃沈する。残り3発のうちの1発は「ワスプ」後方の戦艦ノースカロライナを大破させ戦場から離脱させ、もう1本は駆逐艦オブライエンの艦首に命中し撃沈した。(艦長:木梨鷹一中佐)
昭和18年5月1日、フィジー島のスバからシドニーへ向かう途中のリバティー船ウイリアム・ウイリアムズを雷撃し撃破。(航行不能)
5月17日、シドニーからパナマ運河経由でアメリカ東岸のニューポートニュースへ向かっていたリバティー船ウイリアム・K・バンダービルトを撃沈。
ギルバート作戦に参加しタラワ島南東で作戦中、ギルバート諸島にて消息を絶つ。
米側記録では昭和18年11月25日、ギルバート諸島において米駆逐艦ラドフォードの攻撃を受け沈没とされている。(日本側喪失認定日は昭和19年2月2日)(艦長:小林茂馬少佐)

伊号第20潜水艦
ハワイ作戦に参加し特殊潜航艇(広尾少尉艇)を発進させる。
昭和17年5月31日、ディゴスワレズ攻撃で特殊潜航艇(秋枝大尉艇)を発進させる。
ソロモン補給輸送作戦に従事。
昭和18年8月下旬、ニューヘブリデス方面にて作戦中消息を絶つ。
昭和18年9月3日、米駆逐艦エレットにより撃沈されたと思われる。
(米側記録では伊168を撃沈となっているが伊20と推定される)
(日本側喪失認定日は昭和18年11月18日)(艦長:大塚苑少佐)

伊号第21潜水艦
インド洋作戦に参加。
昭和17年5月5日、ロスアンゼルスからニューカレドニア島のヌーメアに向けて航空機用ガソリンドラム缶2000本を含めた戦闘物資を輸送中のリバティー船ジョン・アダムスを撃沈。
昭和17年6月7日〜8日、オーストラリア・ニューカッスル製鉄所、造船所、その他の軍事施設に対し砲撃を行う。
ソロモン補給輸送に従事。
南太平洋海戦後の追撃戦で昭和17年10月27日、レンネル島南方でコロラド型戦艦に魚雷1本を命中させたとされるが、実際は米駆逐艦ポーターを撃沈。
昭和17年11月8日、サンフランシスコからニューカレドニア島のヌーメアへ向けて8000トンの戦備品を輸送中のリバティー船エドガー・アラン・ポーをヌーメア港入港直前に雷撃、撃破。(浮上して砲撃したが撃沈に至らず)
昭和18年1月18日、シドニー港の沖合でアメリカの油槽船を撃破、同日、イギリス貨物船カリンゴを雷撃して撃沈。
昭和18年1月22日、オーストラリア東岸沖で、シドニーからサンフランシスコに向けて7000トンの羊毛を輸送中のリバティー船ペーター・H・バーネットを雷撃して撃破、航行不能にする。
昭和18年2月10日、ニューカレドニア島西方でリバティー船スターキングを撃沈。
昭和19年9月25日、トラックを出港しフィジー諸島南方海面で行動。
11月21日、タラワ島に急行を命じられた後、消息不明。(艦長:稲田洋中佐)
(喪失認定日昭和18年12月24日)

伊号第22潜水艦
ハワイ作戦に参加し特殊潜航艇(岩佐大尉艇)を発進させる。
昭和16年12月16日頃、ジョンストン島飛行艇基地を砲撃。(潜水艦による陸上砲撃の最初)
インド洋作戦・珊瑚海海戦に参加。
昭和17年5月31日、シドニー攻撃の特殊潜航艇(松尾大尉艇)を発進させる。
ガダルカナル作戦に参加。
昭和17年9月1日、横須賀を出港しソロモン諸島へ向かう。
10月1日、マライタ島東方で敵輸送船団を発見したが5日以降消息不明となる。(艦長:成沢千直中佐)
サンクリストバル島沖で米駆逐艦と交戦し撃沈されるたとする説と11月12日にニューギニア水域(ニューブリテン島南方)で米魚雷艇PT−122の攻撃で沈没という説がある。
(喪失認定日は昭和17年11月19日)

伊号第23潜水艦
昭和17年2月1日、クエゼリンを出発して、2月8日にオアフ島南方海面に達し監視に従事していたが、2月14日以降音信なく消息不明となる。(艦長:柴田源一中佐)
(喪失認定日は昭和17年2月28日)

伊号第24潜水艦
ハワイ作戦で特殊潜航艇(酒巻少尉艇)を発進させる。
インド洋作戦・珊瑚海海戦に参加。
昭和17年1月下旬、ミッドウェー島を砲撃する。
昭和17年6月、シドニーへの特殊潜航艇発進後、シドニー市街に向けて十数発の砲弾を撃ち込む。
アリューシャン作戦に参加し特殊潜航艇を発進させる。
昭和18年6月上旬、アッツ島守備隊でチチヤコフ港方面に退避した連絡員収容の為3回にわたり港外に接近したが収容できず、6月7日以降消息不明となる。
昭和18年6月11日、セミチ島付近で米駆逐艦により撃沈されたものと推定。(艦長:花房博志中佐)

伊号第25潜水艦
ハワイ作戦・アリューシャン作戦に参加。
昭和16年12月27日頃、米本土コロンビア河口10海里(約18.5キロ)地点で、雨模様の闇夜に浮上し、2万トンの米優秀艦コネティカット号を魚雷1発で撃沈する。
その後、クエゼリン基地への帰途、米水上機母艦らしき艦船を魚雷4本で撃沈する。
昭和17年6月下旬、米国アストリアの潜水艦基地に対して連続20発の砲弾を撃ち込む。(艦長:田上明次中佐)
しかし、実際にはアストリア手前の岬沿岸にあるスティーブンス要塞に撃ち込んだらしい。
昭和17年9月9日、米国オレゴン州・ブランコ岬南方灯台から6海里(約11キロ)地点から搭載機(零式小型水上偵察機・飛行長:藤田信雄飛曹長、偵察員:奥田省三兵曹)を発進。
ブランコ岬の南東約50海里(約90キロ)の山林地帯に焼夷弾2個を投下したが、前日まで降り続いていた雨のため森林地帯は湿っていたため延焼せず自然鎮火。
第2回目は9月29日深夜、ブランコ岬西方約10海里(約18.5キロ)地点から発進させブランコ岬東方約50海里地点・オレゴン州オーフォード近郊の森林地帯を爆撃。
以後、米西岸の北部で商船狩りを行い、米本土西海岸でタンカー2隻、洋上航行中のソ連潜水艦L-16(日本側は米潜水艦と誤認)を撃沈して10月下旬に内地に帰還する。(艦長:田上明次中佐)
昭和17年9月下旬、米国オレゴン州・ブランコ岬南方灯台から6海里(約11キロ)地点から搭載機を発進。
ブランコ岬の南東約50海里(約90キロ)の山林地帯に焼夷弾2個を投下。
第2回目はブランコ岬西方約10海里(約18.5キロ)地点から発進させブランコ岬東方約50海里地点を爆撃。
以後、米西岸の北部で商船狩りを行い、米本土西海岸で油槽船2隻、米潜水艦1隻を撃沈して10月下旬に内地に帰還する。(艦長:田上明次中佐)
ニューギニア補給輸送に従事。
昭和18年7月、トラックを出発してエスピリッツサント方面で作戦したが、9月16日以降消息を絶つ。(艦長:小比賀勝少佐)
(喪失認定日は昭和18年10月24日)

伊号第26潜水艦
昭和16年11月25日〜30日、荒天に苦しみながらキスカ、ダッチハーバー、アダック水道を偵察する。
昭和16年12月8日午前3時30分、サンフランシスコとハワイの中間地点で米陸軍輸送船シンシャオルゾン号(約3000トン)を砲撃で撃沈する。(商船撃沈の最初)
昭和17年6月7日、米本土シアトル沖で貨物船コースト・トレーダーを雷撃と砲撃で撃沈する。
昭和17年6月下旬、カナダのバンクーバー島のエステヴァン岬灯台の海軍無線羅針局に対し17発の砲弾を撃ち込むが、灯台に被害なし。
昭和17年8月15日に横須賀を発ってトラック経由でソロモン海の戦場に到着し、ソロモン群島北東で米大部隊を発見。
昭和17年8月31日、米空母サラトガを攻撃。魚雷1本を命中させ損傷を与える。
昭和17年11月13日、第3次ソロモン海戦で米軽巡ジュノーを撃沈。その他商船撃沈4隻(計3万トン)
昭和18年7月28日、アラビア半島東端のマシーラ島沖でリバティー船アルバート・ギャラティンを雷撃で撃沈。
昭和18年8月、インド人スパイ12名をカティウァール沿岸に運びインドに潜入させた。
昭和18年12月26日、アラビア海でリバティー船ロバート・F・ホークを雷撃で撃沈。
昭和19年3月、インド人スパイ12名をバルシスタン沿岸に運びインドに潜入させた。
昭和19年7月、大砲・弾薬等を搭載した運砲筒を横須賀から敵が包囲しているグアム島へ最初に運び成功させる。
レイテ作戦に参加し、レイテ湾東方に急行し、敵空母4隻発見を報じたが、昭和19年10月27日以降消息不明となる。
昭和19年11月17日、パラオの北西にて米護衛空母アンツィオ艦載機及び護衛駆逐艦の協同攻撃を受けて沈没する。(艦長:西内正一少佐)


伊号第27潜水艦
インド洋作戦に参加。
昭和17年5月31日、シドニー攻撃の特殊潜航艇(中島大尉艇)を発進させる。
昭和18年末からアラビア海、アデン湾方面の作戦に従事。
昭和18年11月10日、アデン湾でリバティー船エドウィン・ジョセフ・オハラを雷撃で撃沈。
昭和19年2月4日、ペナン島を出港しアデン湾、アラビア海方面に向かい、そのまま消息不明となる。
昭和19年2月12日、英国の艦船を撃沈した後、モルジブ島付近にて英駆逐艦「ペタード」及び「パラディン」により撃沈されたと推定される。(艦長:福村利明少佐)

伊号第28潜水艦
昭和17年4月30日、トラックを出港し珊瑚海海戦に参加。
その帰途の5月16日機関故障となる。
昭和17年5月17日、トラック島南方にて米潜水艦タウドグにより撃沈される。(艦長:矢島安雄少佐)

伊号第29潜水艦
インド洋作戦・珊瑚海海戦に参加。
遣独第4艦として昭和18年4月28日、マダガスカル島南南西約400海里(約470キロ)の海上にてドイツ潜水艦と会合し、インド独立運動の巨頭チャンドラ・ボースをドイツ潜水艦から移譲させ、5月上旬、ペナンに帰着する。
昭和18年11月上旬、フランスに向けペナン島を出発。無事フランス西岸に到着し、帰国の航程のシンガポールから内地に向かう。
その途中、昭和18年7月26日、台湾南端沖のバシー海峡で米潜水艦ソードフィッシュの雷撃を受け沈没。ドイツから持ち帰った貴重な兵器・資材を喪失する。(艦長:木梨鷹一中佐)
木梨艦長は功績顕著のため全軍に布告され、二階級特進で海軍少将に進級した。(戦死日:昭和19年7月26日・42歳)

伊号第30潜水艦
インド洋作戦に参加。
遣独艦第1艦として昭和17年6月20日頃、マダガスカル島付近で仮装巡洋艦報国丸・愛国丸から燃料その他の補給を受け、日独連絡の任務を帯び南下、昭和17年8月2日フランスのビスケー湾に入り、ドイツの掃海艇と洋上で会合、フランス西岸のロリアンに到着する。
兵器その他の物資の交換後帰国の途につき、昭和17年10月シンガポールに到着。内地に向けシンガポール出港し、10月13日、シンガポール港外で機雷に触れて沈没。ドイツからの貴重な物資を喪失。乗員100名中13名が戦死する。(艦長:遠藤忍中佐は生存)

伊号第31潜水艦
ガダルカナル作戦・ソロモン方面の補給輸送作戦に従事。
昭和17年9月8日、ヌデニ島グラシオサ湾の飛行艇基地に対し湾内に侵入して砲撃を行い相当な損害を与える。
昭和18年5月13日午後1時30分、ホルツ湾方面で敵戦艦に魚雷2本を命中させ、その後艦種不明1艦を攻撃。
翌14日には米軽巡1隻を攻撃し多大な損害を与えるが、キスカ北方で米駆逐艦フレージアと交戦し撃沈される。(艦長:井上規矩中佐)

伊号第32潜水艦
ガダルカナル作戦・ニューギニア補給輸送作戦に参加。
昭和19年3月24日、ミレ島補給に向かった途中、ミレ島付近で米艦隊と遭遇し米駆逐艦マンリブ及び駆潜艇TP−1135の協同攻撃を受け撃沈される。(艦長:井元正之少佐)

伊号第33潜水艦
ガダルカナル作戦に参加。
昭和19年6月13日、伊予灘にて訓練中の事故により沈没。(艦長:和田睦雄少佐)

伊号第34潜水艦
アリューシャン作戦に参加。
昭和18年5月14日、アッツ島西30海里(約56キロ)で爆雷攻撃を受け若干の損害を被る。
遣独第3艦として昭和18年シンガポールで生ゴム・錫・タングステン・キニーネなどを搭載してドイツに向かってシンガポールを出港して2日目の昭和18年11月13日午前7時30分、ペナン島沖合い1万8千メートルの地点で英国潜水艦の雷撃を受け沈没する。生存者は14名。(艦長:入江達中佐)

伊号第35潜水艦
アリューシャン作戦に参加。
昭和18年5月16日午前6時30分、アッツ島北岸で米軽巡を攻撃し多大な損害を与える。(艦長:山本秀夫)
昭和18年11月22日、ギルバート諸島付近にて敵有力部隊発見の報告後、米駆逐艦ミード並びにフレージアの協同攻撃により撃沈される。(艦長:山本秀夫)

伊号第36潜水艦
昭和19年11月20日、回天特別攻撃隊菊水隊の一艦としてウルシー攻撃に参加し、回天2基を発進させる。
昭和20年1月12日、回天特別攻撃隊金剛隊の一艦として再びウルシーに出撃する。
小破のまま終戦を迎える。

伊号第37潜水艦
インド洋作戦に参加。
昭和18年6月19日、インド洋モルジブ諸島沖合でリバティー船ヘンリー・ノックスを雷撃で撃沈。
回天特別攻撃隊菊水隊の一艦として昭和19年11月8日、呉を出発したが、昭和19年11月18日、パラオ諸島付近にて米駆逐艦ニコラス及び哨戒機により撃沈されたとされている。(艦長:神本信雄中佐)

伊号第38潜水艦
ソロモン補給輸送作戦・マリアナ作戦・レイテ作戦に参加。
昭和18年6月中旬、ニューギニアのサラモアへ行き、運貨筒を発進させ、続いてラエで物件の揚搭する。
昭和19年10月19日、呉を出発して比島東方海面に向かう。
11月5日、クツルー偵察を命じられ、その途上に敵機動部隊発見の報をするが、その後消息不明となる。
昭和19年11月12日、パラオ諸島東方にて米駆逐艦により撃沈されたという説と、昭和19年11月13日、八丈島南方において沿岸警備隊警備艦ロックフォード及び機雷敷設艦アーデントの攻撃を受けて沈没したという説がある。(艦長:下瀬吉郎中佐)

伊号第39潜水艦
昭和18年11月26日、ギルバート諸島付近にて米駆逐艦により撃沈される。(艦長:田中万喜夫少佐))

伊号第40潜水艦
アリューシャン作戦・ギルバート作戦に参加。
昭和18年11月21日、トラックを出撃しタラワ島南西において、11月25日、敵艦船を攻撃したが以後消息不明となる。
昭和18年11月26日、ギルバート諸島付近にて米駆逐艦により撃沈されたと推定される。(艦長:渡辺勝次中佐)

伊号第41潜水艦
ギルバート作戦・マリアナ作戦・レイテ湾海戦に参加。
昭和19年10月27日、フィリピン東方で輸送船1隻を撃沈。
昭和19年11月3日、エセックス型空母1隻を攻撃し、巡洋艦レノを大破させる。
(二式艦底起爆装置付きの九五式魚雷を使用)
11月12日、再び敵を攻撃し、これを逸した旨を報告した後消息不明。
レイテ島東方にて米航空機及び米駆逐艦により撃沈されたと推定される。(艦長:近藤文武少佐)
(喪失認定日は昭和19年11月18日)

伊号第42潜水艦
トラック作戦に参加。
昭和19年3月15日、トラックを出発してパラオ・ラバウル方面の輸送作戦に従事中消息不明となる。
昭和19年3月22日、パラオ諸島南方にて米潜水艦タニーにより撃沈される。(艦長:小川綱嘉中佐)

伊号第43潜水艦
昭和19年2月、トラック、サイパン間の輸送作戦中、2月14日以降消息不明となる。
昭和19年2月15日、トラック環礁北方にて米潜水艦アスプロにより撃沈される。(艦長:遠藤忍中佐)

伊号第44潜水艦
対空用電探を初めて装備した潜水艦。
レイテ湾海戦に参加。
昭和20年4月4日、回天特別攻撃隊多々良隊の一艦として沖縄方面に出撃し消息不明となる。
昭和20年4月18日、沖縄東方にて米航空機及び駆逐艦により撃沈される。(艦長:増沢清司少佐)

伊号第45潜水艦
昭和19年7月、グアム島にいる第29師団(雷兵団)の砲撃力を強化するため、運砲筒を乗せて出撃したが、潜航中、ロープが切れて大砲が海中に落ちたため引き返す。
レイテ湾海戦に参加。
昭和19年10月24日、レイテ湾東方に急行したが消息不明となる。
昭和19年10月28日、レイテ島東方にて敵艦エバーソールを撃沈した後、米駆逐艦ホワイト・ハーストにより撃沈される。(艦長:河島守少佐)

伊号第46潜水艦
レイテ湾作戦に参加。
比島東方海面に急行したまま、昭和19年10月27日以降消息不明となる。
昭和19年10月28日、レイテ湾にて米駆逐艦ソーフレイ、プリングル、ウォーラー及びレンショウの協同攻撃により撃沈される。(艦長:山口幸三郎少佐)

伊号第47潜水艦
回天特別攻撃隊菊水隊の一艦としてウルシー攻撃に参加。
引き続き、昭和20年1月12日、回天特別攻撃隊金剛隊の一艦としてホーランジア泊地の特攻攻撃を敢行する。
更に回天特別攻撃隊多々良隊の一艦として沖縄突入の途中、敵の攻撃による損傷のため特攻を中止する。
終戦時、無傷のまま残る。

伊号第48潜水艦
昭和20年1月9日、回天特別攻撃隊金剛隊の一艦としてウルシー泊地に向かうが消息不明となる。
昭和20年1月23日、ウルシー環礁付近にて米護衛駆逐艦コルベシャー、コンクリン、レビイの協同攻撃により撃沈される。(艦長:遠山全信少佐)

伊号第52潜水艦
排水量:水上2600トン・水中3600トン
速力:水上17.7ノット・水中6.5ノット
備砲:14センチ砲2門・25ミリ機銃2挺
発射管:6門(魚雷19本)
飛行機:無し
同型艦:伊52・伊53・伊55

最後の遣独潜水艦。昭和19年晩春、ドイツに向かったが大西洋に着いたときには既にノルマンディ上陸作戦が開始されており、行き着くところがなく、昭和19年6月24日米護衛空母ボーグの艦載機の攻撃により撃沈される。(艦長:宇野亀雄中佐)

伊第53潜水艦
マレー作戦・マリアナ海戦・レイテ湾海戦に参加。
昭和20年1月12日、回天特別攻撃隊金剛隊の一艦としてに回天3基を発進させる。
更に回天特別攻撃隊多聞隊として沖縄出撃し回天4基を発進させる。
昭和20年3月30日、周防灘にて機雷に触れて沈没。

伊号第54潜水艦
昭和19年完成。
レイテ湾作戦に参加。
昭和19年10月15日、比島東方海面に急行したが、10月23日以降消息不明となる。
昭和19年10月23日、レイテ沖にて米駆逐艦グリッドリー及びヘルムの協同攻撃を受け沈没と推定。
しかし、伊46、伊26の可能性もある。(艦長:中山伝七少佐)
(喪失認定日は昭和19年10月28日)

伊号第55潜水艦
マリアナ作戦に参加。
昭和19年7月、大砲・弾薬等を搭載した運砲筒を横須賀から敵が包囲しているグアム島へ運ぶ途中消息を絶つ。(昭和19年7月15日沈没認定)(艦長:井筒紋次郎中佐)
7月19日、米護送駆逐艦「ワイマン」のヘッジ・ホッグ弾(24連装対潜前投弾)により撃沈されたという。

伊号第56潜水艦
レイテ湾海戦に参加。
昭和19年10月22日、比島方面に配置中、敵輸送船団を発見し、魚雷3本を発射し輸送船を撃沈、翌日、レイテ島に近接中に敵空母に魚雷5本を発射し、そのうちの1本で直衛駆逐艦を撃沈。
昭和19年10月25日、特攻機と協同して米空母サンティを撃破する。
回天特別攻撃隊金剛隊の一艦として参加するが警戒厳重な為攻撃は不成功となる。
昭和20年3月31日、回天特別攻撃隊多々良隊の一艦として沖縄に出撃したが、sのまま消息を絶つ。
昭和20年5月18日、沖縄東方海面において米軽空母バターン搭載機及び米駆逐艦ヒーヤマン、マクコード、ウールマン、メルツ、コレットの5隻の協同攻撃を受けて沈没する。(艦長:正田啓二少佐)
(喪失認定日は昭和20年4月5日)

伊号第58潜水艦
昭和20年1月11日、回天特別攻撃隊金剛隊の一艦として参加。
昭和20年7月27日、グアム〜レイテ航路海域で回天2基により敵油槽船を攻撃。
7月29日午後11時26分、米重巡インディアナポリスに魚雷6本を発射、3本命中し撃沈する。
(艦底起爆式の九五式魚雷5本、通常の衝撃起爆方式の95式魚雷1本を使用)
8月10日、回天2基により敵輸送船団を攻撃、駆逐艦1隻を撃沈。
8月12日、回天1基により敵水上機母艦らしきものを攻撃、撃沈する。
昭和20年8月17日平生基地に帰着。無傷のまま終戦を迎えた。

伊号第60潜水艦
マレー作戦に参加。
昭和17年1月17日、スンダ海峡にて英駆逐艦ジュピターにより撃沈される。(艦長:長谷川ラ少佐)

伊号第70潜水艦
真珠湾攻撃に参加し、昭和16年12月9日の敵情報告後消息を絶つ。
昭和16年12月10日払暁前、オアフ島北東200海里(約370キロ)で米空母エンタープライズの「ドーントレス」偵察兼急降下爆撃機により攻撃を受け潜航不能のところ、続く他の1機の爆撃により撃沈される。

伊号第73潜水艦
ハワイ作戦に参加。
昭和17年1月12日、クエゼリンを出発しハワイ方面に進出後、1月15日の敵情報告後消息を絶つ。
昭和17年1月26日、ミッドウェー島西方にて米潜水艦ガジョンの攻撃を受けて沈没。(艦長:磯部且中佐)
(喪失認定日は昭和17年1月29日)

伊号第121潜水艦(別称:機雷潜)
排水量:1140トン
速力:水上14.5ノット・水中7ノット
発射管:艦首に4門
艦尾に機雷42個を搭載
備砲:14センチ砲1門
航続距離:約1万6000キロ
同型艦:伊121〜伊124

マレー作戦・インド洋作戦・ミッドウェー作戦・ガダルカナル作戦に参加。
昭和16年12月8日、シンガポール水道に機雷を敷設する。
ニューギニア補給輸送作戦に従事。
終戦時、小破のまま残存。

伊号第122潜水艦(別称:機雷潜)
マレー作戦・インド洋作戦・ミッドウェー作戦・ガダルカナル作戦に参加。
昭和16年12月8日、シンガポール水道に機雷を敷設する。
昭和19年6月10日、石川県沖にて米潜水艦スケートにより撃沈される。(艦長:三原荘作大尉)

伊号第123潜水艦(別称:機雷潜)
インド洋作戦・ミッドウェー作戦・ガダルカナル作戦に参加。
昭和16年12月8日、バラバラック海峡西口に機雷40個を隠密裏に敷設し、その後、スラバヤ海峡北口にも機雷を敷設する。
昭和17年8月7日、トラックからソロモン諸島へ進出。
8月29日、敵航空機の制圧を受けた旨の無電を発した後消息を絶つ。
昭和17年8月29日、ガダルカナル島前面海峡の東口付近で米敷設駆逐艦ガンブルにより撃沈された。(艦長:中井誠少佐)

伊号第124潜水艦(別称:機雷潜)
フィリピン攻略作戦・インド洋通商破壊作戦に参加。
昭和16年12月8日、マニラ湾に機雷40個を隠密裏に敷設し、その後、マニラ方面空襲部隊の不時着機搭乗員収容と気象通報の任務に就く。
昭和17年1月16日、オーストラリア・ポートダーウィン沖に機雷を敷設したが、1月19日に敵発見の報を発し消息を絶つ。
昭和17年1月20日、ポートダーウィン沖にて米駆逐艦エゾール及びオーストラリア海軍のコルベット艦3隻の協同攻撃により撃沈される。(艦長:岸上幸一少佐)
この沈没地点は水深50メートルという浅海だったため、米海軍は潜水夫を入れ、艦の金庫から戦略暗号書、戦術暗号書、商船用“S”暗号書などを引き揚げた。
この暗号書が、後のミッドウェー海戦時の暗号解読に役立ったという。

伊号第152潜水艦
大正13年に完成した伊51を改良し水上速力を22ノットにした海大2型
排水量:水上1400トン・水中2500トン
速力:水上22ノット・水中10ノット
発射管:8門
備砲:12センチ砲1門・8センチ高角砲1門
航続距離:10ノットで1万6000キロ

フィリピン作戦に参加。
昭和20年8月1日、老齢により除籍。

伊号第153潜水艦
海大2型の船体その他を改良した海大3型(水上速力は20ノット)
同型艦:伊153〜伊164(合計9隻・昭和3年〜昭和5年就役)

マレー沖作戦に参加。
終戦時、中破のまま残存。

伊号第154潜水艦
マレー沖作戦に参加。
終戦時、無傷のまま残存。

伊号第155潜水艦
マレー沖作戦に参加。
その後、潜水学校の練習潜水艦となる。
終戦時、無傷のまま残存。

伊号第156潜水艦
マレー沖作戦に参加。
昭和16年12月10日、南下する英戦艦2隻を発見して報告。
マレー沖海戦の端緒を開く殊勲艦。
ミッドウェー作戦に参加。
終戦時、無傷で残存。

伊号第157潜水艦
マレー沖作戦・ミッドウェー作戦に参加。
終戦時、無傷で残る。

伊号第158潜水艦
マレー沖作戦・ミッドウェー作戦に参加。
終戦時、小破のまま残存。

伊号第159潜水艦
マレー沖海戦・インド洋作戦に参加し交通破壊戦に活躍した。
ミッドウェー作戦に参加。
終戦時、小破のまま残存。

伊号第162潜水艦
マレー沖海戦・インド洋作戦に参加し交通破壊戦に活躍した。
ミッドウェー作戦に参加。
終戦時、小破のまま残存。

伊号第164潜水艦
マレー沖海戦・インド洋作戦に参加し交通破壊戦に活躍。
昭和17年5月16日、佐世保を出港しミッドウェー作戦参加のためクエゼリンに進出する途中消息不明となる。
昭和17年5月17日、九州南東方にて米潜水艦トライトンにより撃沈される。(艦長:新名嘉雄少佐)
(喪失認定日は昭和17年5月25日)

伊号第165潜水艦
既成艦の実績を取り入れた改良型。海大5型。
排水量:水上1700トン・水中2300トン
速力:水上20ノット・水中8ノット
備砲:10センチ高角砲1門・12ミリ機銃1挺
発射管:6門(魚雷14本)
航続距離:10ノットで1万6000キロ
同型艦:伊165・伊166・伊195

マレー沖海戦に参加。
昭和17年12月9日、英戦艦2隻の北上を報告してマレー沖海戦に寄与した殊勲艦。
インド洋作戦では交通破壊戦で活躍する。
昭和18年1月、ゼラルトン北方のポートグレゴリを砲撃する。
昭和19年8月末、敵に一部を占領され孤立したビアク島に、味方部隊との連絡と航空部隊司令官の救出、食糧の補給のため同島に向かったが、敵魚雷艇3隻の攻撃を受け作戦は失敗。相当の被害を受けながら無事引き返す。
昭和20年6月15日、回天特別攻撃隊としてマリアナ東方海面に向かい消息を絶つ。
昭和20年6月27日、マリアナ諸島東方にて米海軍基地機により撃沈される。(艦長:大野保四少佐)

伊号第166潜水艦
昭和16年12月25日、ボルネオ沖でオランダ海軍潜水艦K-16を撃沈する。(日本潜水艦初の敵国軍艦の撃沈)
マレー沖作戦・インド洋作戦に参加して海上交通破壊戦で活躍する。
昭和18年1月、ガダルカナル島撤退作戦の索制としてココス島を砲撃する。
昭和19年7月17日、ペナン沖で英潜水艦テレマカス(艦長:ウィリアム・キング)の雷撃を受け撃沈される。
戦没者88名。

伊号第168潜水艦
ロンドン条約下の新型潜水艦。昭和13までに8隻が建造された。
複動機関を採用し、水上速力23ノットを実現。後期の艦ほど改良された。
排水量:水上1800トン・水中2600トン
速力:水上23ノット・水中8ノット
備砲:12センチ砲1門・13ミリ機銃4挺
発射管:6門
航続距離:16ノットで1万6000キロ

ハワイ作戦に参加。
昭和16年12月下旬、ジョンストン島を砲撃。
昭和17年6月5日午後10時、ミッドウェー攻略作戦時にミッドウェーのサンド島を砲撃する。
その後「浮流中のヨークタウン型空母を撃沈せよ」の電命を受け、指定海域に急行。
6月6日午前1時に敵影を発見、午前10時魚雷4本を発射。
1本はヨークタウンに横付け中の米駆逐艦ハムマンを轟沈させ、2本がヨークタウンに命中、8日夜転覆して沈没した。(艦長:田辺彌八中佐)
アリューシャン撤収作戦に参加。
昭和17年7月25日、トラックを発ってラバウルに進出中、7月27日以降消息不明となる。
昭和18年7月27日、トラック・ラバウル間で米潜水艦スキャンプにより撃沈される。(艦長:中島栄少佐)

伊号第169潜水艦
ハワイ作戦・ミッドウェー作戦に参加。
昭和17年1月25日、ミッドウェー島を砲撃。
昭和17年2月上旬、ミッドウェー島の監視哨戒の終わりにサンド島の軍事施設を砲撃する。
ソロモン作戦・ギルバート作戦に参加。
昭和19年4月4日、トラックで空襲受け沈座して避難したが、その後浮上せず、引き揚げ索が切断されてしまった為生存者の救出を断念。(艦長は生存)

伊号第171潜水艦
ハワイ海戦・ミッドウェー海戦・ソロモン作戦・アリューシャン撤収作戦に参加。
昭和19年1月30日、ラバウルを出発してブカ島に向かったまま消息不明となる。
昭和19年1月31日、ブカ島西方にて米駆逐艦ゲスト及びハドソンにより撃沈される。(艦長:島田武夫中佐)
(喪失認定日は昭和19年2月1日)

伊号第172潜水艦
ハワイ作戦・ガダルカナル作戦に参加。
昭和17年10月12日、トラックを発ったが、10月28日頃から消息不明となる。
昭和17年11月10日、サンクリストバル島付近にて米掃海駆逐艦サウザードにより撃沈されたと推定。(艦長:太田武少佐)

伊号第173潜水艦
昭和17年1月27日、ミッドウェー島近くで米潜水艦ガジオン号により撃沈される。

伊号第174潜水艦
ハワイ作戦・ミッドウェー作戦・ガダルカナル作戦・ギルバート作戦に参加。
昭和18年9月9日、新任の第7根拠地司令官・森国造少将をラエに送り、旧司令官・藤田類太郎少将を収容したが、これがラエに輸送を実施した最後の潜水艦となる。
昭和19年4月3日、内地を出発してパラオ東方海面に向かうが、4月10日以降消息不明となる。
昭和19年4月29日、トラックの南方にて米軽空母モンテレー艦載機及び米駆逐艦マクドノー、ステフェン・ポーターの協同攻撃を受けて沈没。(艦長:鈴木勝人少佐)
(日本側の喪失認定日は昭和19年4月13日)

伊号第175潜水艦
ハワイ作戦・ミッドウェー作戦・ガダルカナル作戦・ギルバート作戦に参加。
昭和18年11月24日、ギルバート諸島水域において米護衛空母リスカム・ベイに魚雷3本を命中させ撃沈。
昭和19年1月27日、トラックを出発してマーシャル東方の海面に向かう。
1月30日、ウオッゼ島付近に急行を命じられた後消息を絶つ。
昭和19年2月17日、ウオッジェ島付近にて米駆逐艦ニコラスにより撃沈される。(艦長:田畑直少佐)

伊号第176潜水
伊174潜の改良型(海大7型)
基準排水量:1630トン
速力:水上23ノット
発射管:艦首に6門
同型艦:伊176〜伊185(合計10隻)
昭和17年8月から約1ヶ月間に完成して就役した。

ガダルカナル島に対する最初の潜水艦輸送作戦に成功した潜水艦。
昭和17年10月20日、ソロモン諸島にて米重巡チェスターを雷撃し魚雷2本を命中させ大破させる。
昭和18年3月19日、ラエ輸送作戦に従事中、敵機の攻撃を受け戦死2名、艦長田辺彌八中佐を含め2名が重傷、破孔多数の大損害を受けるが危機を脱し3月22日午前にラバウルに帰還する。
昭和18年11月、ギルバート付近に進出し、米改造空母キングスベイを雷撃で撃沈する。
昭和19年5月16日、ブカ島付近にて米駆逐艦フランクス及びハッガードの協同攻撃により撃沈される。(艦長:岡田英雄少佐)

伊号第177潜水艦
ニューギニア補給輸送作戦・パラオ作戦に参加。
昭和18年9月4日、ラエ輸送の任につき、重傷病者88名を収容中に敵魚雷艇2隻、駆逐艦5隻に包囲されるが脱出に成功する。(艦長:折田善次少佐)
昭和18年11月25日、ブーゲンビル島からラバウルへ転進する部隊を乗せた駆逐艦3隻のうち2隻が沈没。
この漂流者を救助する為出動し227名を収容しラバウルに帰還する。
昭和19年1月6日からシオ輸送と第18軍司令部・第19海軍根拠地隊司令部の収容の任に当たるが、6日、7日と米魚雷艇の攻撃を受け失敗、8日に司令部の収容に成功、敵魚雷艇の攻撃の中をマダンに送り届け、ラバウルに帰還する。
昭和19年1月10日ラバウルからトラックに後退する。
昭和19年9月19日、呉からパラオ方面に向かい、10月4日ウルシーを偵察後、呉に帰投を命じられたが応答がなく消息不明となる。
昭和19年11月19日、パラオ諸島北西方にて米駆逐艦コンクリン及びマッコイ・レイノルズの協同攻撃により撃沈されたものと推定。(艦長:渡辺正樹少佐)

伊号第178潜水艦
南太平洋方面作戦に参加。
昭和18年5月、トラックを発ちオーストラリア東方にて作戦中に消息を絶つ。
昭和18年8月25日、エスピリッサント北西方において米駆逐艦パターソンの攻撃を受け沈没したものと推定。(艦長:宇津木秀次郎中佐)
(日本側喪失認定日は昭和18年8月4日)

伊号第179潜水艦
昭和18年7月14日、伊予灘西方にて哨戒訓練中に事故を起こし沈没する。(艦長:湯浅弘少佐)

伊号第180潜水艦
昭和18年1月、ラバウルに在泊中に米軍機の空襲を受けて上甲板にいた砲員12名が戦死する。
昭和18年7月、オーストラリア東岸の通商破壊戦からニュージョージア島とサンタイサベル島の中間海面の哨戒に投じられた時、コロンバンガラ島夜戦で沈没した水雷戦隊旗艦「神通」の漂流者約40名を救助しブインに届ける。
昭和19年3月20日、大湊を発ってウナラスカ島以東、コジャック島南方にわたる海域で作戦中に消息不明となる。
昭和19年4月27日、コジャック島沖にて米護衛駆逐艦ギルモアにより撃沈される。(艦長:藤田秀範少佐)

伊号第181潜水艦
昭和19年1月13日、ラバウルを出発し16日バリ島到着予定で輸送作戦中、16日以降消息不明となる。
バリ島所在の日本陸海軍部隊の情報により、グイディアグ海峡にて米駆逐艦、魚雷艇と交戦し撃沈されたと推定。(艦長:田岡清少佐)

伊号第182潜水艦
昭和18年8月23日、トラックからニューヘブライズ諸島方面に進出中消息を絶つ。(艦長:米原実少佐)
(喪失認定日は昭和18年9月3日)

伊号第183潜水艦
昭和19年4月28日、豊後水道よりサイパンを経てトラック進出予定で出発したが、サイパンに到着せず消息不明となる。
同日の昭和19年4月28日、豊後水道西口を出発後、米潜水艦ボギーにより撃沈される。(艦長:佐伯卓夫少佐)

伊号第184潜水艦
マリアナ作戦に参加。
昭和19年6月12日、ミリへの輸送作戦に成功する。
その後、6月15日にサイパン方面へ急行したが、以後消息不明となる。
昭和19年6月19日、サイパン島南東方にて米護衛空母スワニー艦載機により撃沈される。(艦長:力久松次少佐)

伊号第185潜水艦
マリアナ作戦に参加。
昭和19年6月11日、ウエワク輸送作戦のため内地を出発し、6月15日、サイパン方面の決戦場に向かったまま消息を絶つ。
昭和19年6月22日、サイパン島北西方にて米駆逐艦ニューカム及び掃海駆逐艦チャンドラーにより撃沈される。(艦長:荒井淳少佐)

伊号第201潜水艦
略称:潜高大型
排水量:約1000トン
速力:水上16ノット・水中20ノット(水中速力の高速化に成功)
発射管:4門(魚雷10本)
備砲:大砲無し・25ミリ機銃2挺
航続距離:14ノットで約9600キロ
急速潜航秒時:30秒
建造はドイツの技術を取り入れた全溶接ブロック方式。
昭和19年1月から着工したが終戦までに完成したのは3隻(計画は23隻)
同型艦:伊201・伊202・伊203

戦歴無し。
終戦時、無傷のまま残り米国へ回航された。

伊号第202潜水艦
竣工が遅く戦歴は無い。
終戦時、無傷で残存する。

伊号第203潜水艦
終戦直前の竣工のため戦歴無し。
終戦時、無傷で残存する。

伊号第351潜水艦
昭和20年7月11日、シンガポールから内地に向かったまま消息を絶つ。
昭和20年7月14日、南シナ海にて米潜水艦ブルーフィッシュにより撃沈される。(艦長:岡山登少佐)

伊号第361潜水艦 
弾薬や糧食等を前線に輸送するための輸送潜水艦。
略称:潜丁型
基準排水量:1440トン
水上速力:13ノット
備砲:14センチ砲1門
兵装:20ミリ単装機銃2門、53センチ魚雷発射管2基
航続距離:10ノットで2万4000キロ
輸送能力:兵員110名・兵器糧食は艦内62トン・艦外20トン(合計82トン)
大型通船を2隻搭載し交通艇として使用。
昭和19年(1944年)5月に完成。
同型艦:伊361〜伊371(合計11隻)(昭和19年11月までに完成)
2号艦以降は魚雷発射管と魚雷格納庫を撤去して貨物艙に改造し、艦内の貨物搭載量を100トンに増やしている。
本来の輸送任務の他、後には回天を載せて襲撃任務も行うようになる。

フィリピン輸送作戦に従事。
昭和20年5月24日、回天特別攻撃隊轟隊の一艦として内地から沖縄方面に出撃したまま消息を絶つ。
沖大東島付近にて米空母アンチオ艦載機により撃沈される。(艦長:松浦正治大尉)
(喪失認定は昭和20年5月30日)

伊号第362潜水艦
フィリピン輸送作戦に従事。
昭和20年1月1日、輸送作戦のため横須賀を出発し、1月21日頃メレヨン島到着予定だったが到着せず消息不明となる。(艦長:中島英之助少佐)
(喪失認定日は昭和20年1月18日)

伊号第363潜水艦
フィリピン輸送作戦に従事。
回天特別攻撃隊多聞隊の一艦として沖縄東方へ出撃するが、回天を発進せず帰投。
終戦時、無傷で残存。

伊号第364潜水艦
フィリピン輸送作戦に従事。
昭和19年9月14日、輸送作戦のため横須賀を出港し、9月末にウェーキ島到着の予定だったが消息不明となる。
昭和19年9月15日、房総半島東方にて米潜水艦により撃沈される。(艦長:牧野武男少佐)

伊号第365潜水艦
フィリピン輸送作戦に従事。
トラック島への輸送作戦にも従事し、昭和19年11月15日、トラック島に入港して物資を揚陸したのち、翌16日、同島を出港して横須賀への帰途についた。
その後、11月25日に無線連絡があったが、12月5日の点呼通信には応答がなく、そのまま消息を絶つ。
12月10日、小笠原東方方面において沈没したものと認定される。
昭和19年11月28日、大島の東方にて米潜水艦スカパード・フィッシュにより撃沈される。(艦長:中村元夫少佐)

伊号第366潜水艦
「潜輸型」と呼ばれた輸送潜水艦。
戦時中に計画され戦力化に成功した数少ない潜水艦。
丁型潜水艦の6番艦として昭和18年8月26日に三菱造船神戸造船所で起工。
昭和19年8月3日に竣工。
艤装当時の乗組員は3分の1が実戦経験者、残りは各種術科学校を出たばかりの16歳から23歳ぐらいの若手に占められていた。
昭和19年12月、サイパン島北方のパガン島への補給と不時着した飛行機搭乗員の救出・収容を行う。
横須賀帰港後、対空警戒用の13号電探を装備する。
昭和20年1月〜3月、トラック、メレヨン島への輸送作戦に従事。
トラック島には海軍偵察機「彩雲」の部品を輸送、メレヨン島には食料を輸送する。
昭和20年5月6日、瀬戸内海の光沖で機雷に接触。
昭和20年8月1日、回天特別攻撃隊多聞隊としてパラオ北方へ出撃して回天3基を発進させ、終戦後に内地に帰着。
昭和21年4月1日、五島沖で米軍の手により処分される。

伊号第367潜水艦
昭和19年11月、南鳥島へ輸送作戦。
昭和19年12月、ウェーキ島へ輸送作戦。
昭和20年5月5日、回天特別攻撃隊振武隊として出撃。
昭和20年5月27日、回天2基を発進させて6月4日に帰投。
昭和20年7月19日、回天特別攻撃隊多聞隊として沖縄方面に出撃したが回天は発進させず8月16日帰投。
昭和21年4月1日、五島沖で米軍の手により処分される。

伊号第368潜水艦
昭和20年2月20日、回天特別攻撃隊千早隊として呉を出撃したが、硫黄島方面にむかったまま消息不明となる。
昭和20年2月27日、硫黄島付近にて米護衛空母アンチオ艦載機により撃沈される。(艦長:入沢三輝少佐)
(喪失認定日は昭和20年3月14日)

伊号第369潜水艦
昭和20年1月、南鳥島へ、3月は父島へ、5月はトラック、メレヨン島への輸送作戦に従事。
昭和20年6月から横須賀で航空揮発油の搭載工事に着手し、そのまま終戦を迎える。
終戦後、米軍に接収された。

伊号第370潜水艦
昭和20年2月21日、回天特別攻撃隊千早隊として出撃したが、硫黄島方面にむかったまま消息不明となる。
昭和20年2月26日、硫黄島付近にて米護衛駆逐艦フィンネガンにより撃沈される。(艦長:藤川進大尉)
(喪失認定日は昭和20年2月24日)

伊号第371潜水艦
昭和19年12月30日、横須賀発トラック経由でメレヨン島への輸送を実施。
昭和20年1月31日、トラックを出発して横須賀へ向かったが、到着予定日の3月22日なっても入港せず、消息不明となる。(艦長:上捨石康雄大尉)

伊号第372潜水艦
輸送潜水艦伊号第561型の一部設計を変更した潜水艦。
水中航続力と輸送能力を増大させた。
航空揮発油150トンの輸送可能。
排水量:水上1660トン・水中2240トン
速力:水上13ノット・水中6.5ノット
備砲:8センチ迫撃砲4門・25ミリ機銃7門
航続距離:13ノットで8000キロ

昭和20年2月、フィリピン輸送に従事したが途中で中止となり引き返す。
昭和20年4月1日〜7月10日、ウェーキ島輸送作戦2回実施。
昭和20年7月18日、横須賀にて航空揮発油還送工事中に米空母艦載機の空襲を受け沈没。(艦長は生存)

伊号第373潜水艦
昭和20年8月9日、佐世保を出港して内地〜台湾間の輸送に従事中消息不明となる。
昭和20年8月13日、東シナ海にて米潜水艦スパイク・フィッシュにより撃沈される。(艦長:射延行雄少佐)

伊号第400潜水艦
基準排水量:約3500トン
速力:水上約20ノット・水中約7ノット
航続距離:水上16ノットで5万2800キロ
備砲:14センチ砲1門・25ミリ機銃10門
発射管:8門(魚雷27本)
安全潜航深度:100メートル
行動期間:約4ヶ月
急速潜航秒時:約1分
水上攻撃機「晴嵐」3機を搭載
同型艦:伊400〜伊403(他に未完成2隻)

昭和19年12月30日、竣工し、第6艦隊第1潜水隊に編入。
昭和20年7月23日、大湊を出港してウルシー攻撃に向かう。
昭和20年8月15日、終戦により、反転して内地に向かい、途中で米艦ブルーに捕獲される。
昭和21年6月4日、米国で研究と実権後にハワイ近海で沈められた。

伊号第401潜水艦
昭和20年1月に竣工し直ちに第6艦隊第1潜水隊の旗艦となる。
昭和20年4月、呉港外で座礁、翌日は伊予灘で機雷に接触し呉で修理。
昭和20年7月23日、大湊を出港してウルシー攻撃に向かう。
昭和20年8月15日、終戦により、反転して内地に向かい、途中で米潜水艦セグンドに捕獲される。
昭和21年1月、米国で研究と実権後にハワイ近海で沈められた。

伊号第402潜水艦
昭和20年7月24日に竣工し第6艦隊第1潜水隊に編入されたが、ウルシー攻撃には参加できなかった。
昭和20年11月30日、除籍。
昭和21年4月1日、五島沖にて米軍により処分される。

伊号第404潜水艦(未完成)
昭和19年7月に進水したが、竣工はしていない。
昭和19年7月28日、米空母機動部隊の呉大空襲で爆撃を受け転覆。

伊号第405潜水艦(未完成)
昭和18年9月に呉で起工したが、途中で建造中止となる。

伊号第501潜水艦
旧ドイツ潜水艦U181号。
終戦時、無傷で残る。

伊号第502潜水艦
旧ドイツ潜水艦U862号。
終戦時、無傷で残る。

伊号第503潜水艦
旧イタリア潜水艦U1T24号。
終戦時、無傷で残る。

伊号第504潜水艦
旧イタリア潜水艦U1T25号。
終戦時、無傷で残る。

伊号第505潜水艦
旧ドイツ潜水艦U219号。
終戦時、無傷で残る。

伊号第501潜水艦
旧ドイツ潜水艦U195号。
終戦時、無傷で残る。

呂第30潜水艦
作戦には参加せず。
昭和17年4月1日、老齢により除籍。

呂第31潜水艦
作戦には参加せず内地で整備や訓練に従事。
昭和20年5月25日、老齢により除籍。

呂第32潜水艦
作戦には参加せず。
昭和17年4月1日、老齢により除籍。

呂号第33潜水艦
昭和5年のロンドン条約による潜水艦保有制限により生まれた中型潜水艦・海中6型。
排水量:700トン
発射管:4門
同型艦:呂33、呂34

昭和16年12月8日、佐世保を出てマレー、ジャワ方面の交通破壊戦に従事。
昭和17年4月、ラバウルに進出し、ポートモレスビーの監視哨戒任務に就き商船1隻を撃沈。
昭和17年8月22日、ラバウルを出港しポートモレスビーに向かったが、8月26日以降消息不明となる。
昭和17年8月29日、ポートモレスビー方面の偵察中にオーストラリア駆逐艦「アランタ」(英航空機の説あり)の攻撃を受け沈没する。(艦長:栗山重志少佐)

呂号第34潜水艦
昭和16年12月18日、佐世保を出港し、ジャワ方面で行動。
昭和17年4月よりソロモン方面で行動。
昭和17年8月7日、ガダルカナル島の米軍上陸に対し、ガダルカナル島残留者と連絡、薬品などを渡し、ルンガ泊地で荷役中の敵商船を撃沈する。
その後、連続爆雷攻撃を受けたが損害は潜望鏡破損で済む。
昭和18年4月2日、ラバウルを出港し4月6日にルッセル島付近の天候及び敵情報報告の命令を受けたが、以後音信が途絶え消息不明となる。
昭和18年4月5日、ルッセル島沖にて米駆逐艦オーバノンにより撃沈される。(艦長:富田理吉大尉)
(喪失認定日は昭和18年5月2日)

呂号第35潜水艦
呂33型を改良し、新しい設計で建造。
基準排水量:970トン
速力:水上20ノット
同型艦:9隻
成績は極めて優秀、鈍重な大型艦(伊号)より性能が優れていた。
日本海軍で建造された潜水艦の中で最も優秀な潜水艦といわれる。
その後、設計変更により別な型式で更に9隻が就役

昭和18年8月16日、トラックを出発しエスピリッツサント方面に向かう。
8月25日、敵輸送船6隻発見の報告後消息を絶つ。
昭和18年8月25日、エスピリッツサント沖にて米駆逐艦パターソンにより撃沈される。(艦長:真鍋正輝少佐)

呂号第36潜水艦
昭和16年9月よりトラックを基地として、ソロモン南東方面で行動。
昭和19年3月、マーシャル方面の偵察に従事。
昭和19年6月4日、内地からサイパンに進出。
昭和19年6月11日、サイパンを出てニューギニア北方に向かい途中で敵情報告後消息を絶つ。
昭和19年6月13日、サイパン島付近にて米駆逐艦メルヴィンにより撃沈される。(艦長:川島立男少佐)

呂号第37潜水艦
昭和18年10月よりウェーキ島方面で行動。
昭和19年1月3日、トラックからニューヘブリデス諸島方面に向かい消息不明となる。
昭和19年1月23日、ニューヘブリデス付近にて米給油艦キャッシュを大破した後、米駆逐艦ビューカナンにより撃沈される。(艦長:佐藤作馬少佐)
(喪失認定日は昭和19年2月17日)

呂号第38潜水艦
昭和18年11月19日、トラックを出発しギルバート諸島方面で作戦行動中、消息を絶つ。(艦長:野村俊治少佐)
(喪失認定日は昭和19年1月2日)

呂号第39潜水艦
トラックからマーシャル方面へ向かったが、昭和19年2月3日にウオッジェ付近から1回電報を打った後消息を絶つ。
(第34潜水戦隊司令清水大佐乗艦)
昭和19年2月4日、ウオッジェ島東方にて米駆逐艦シャーレット及びフェーアにより撃沈される。(艦長:館上陸太少佐)
(喪失認定日は昭和19年3月5日)

呂号第40潜水艦
昭和19年2月14日、トラックからギルバート東方海面に向かい消息不明となる。
昭和19年2月16日、クエゼリン環礁付近にて米駆逐艦フェルプス及び掃海艇セージにより撃沈される。(艦長:城戸保雄少佐)
(喪失認定日は昭和19年2月21日)

呂号第41潜水艦
昭和19年3月よりトラック南方で索敵に従事。
昭和19年5月、クサイ島への輸送の帰途にサイパン南方散開線につき、7月5日に佐世保に帰投。
昭和19年9月より比島東方方面に進出し、10月3日、モロタイ島付近で護衛空母を守っていた護衛駆逐艦シェルトンを撃沈。
昭和20年3月18日、沖縄へ出撃したが、22日に敵情報告後消息を絶つ。
昭和20年3月23日、沖縄東方にて米駆逐艦ハッガードにより攻撃され、最後には浮上して体当たりしてハッガードに損傷を与えたが沈没したという。(艦長:本多義邦大尉)
(日本側の喪失認定日は昭和20年4月15日)

呂号第42潜水艦
昭和18年12月、南太平洋方面の哨戒に従事。
昭和19年1月〜4月、マーシャル方面で行動。
昭和19年5月15日、横須賀を出港し、マーシャル方面の哨戒区につき、続いてサイパンに来攻した敵部隊迎撃のためサイパンに向かったが消息不明となる。
昭和19年6月11日、マーシャル諸島付近にて米護衛駆逐艦バンガストにより撃沈される。(艦長:工藤芳之助大尉)
(喪失認定日は昭和19年7月12日)

呂号第43潜水艦
昭和19年6月、サイパンに来攻した敵部隊を迎撃。
その後、昭和20年1月まで比島東方方面の哨戒と迎撃に従事。
昭和20年1月21日、呉から硫黄島方面に向かったが消息を絶つ。
昭和20年2月21日、硫黄島付近で米駆逐艦レンショーを大破させた後、昭和20年2月27日、硫黄島付近にて米護衛空母アンツィオ艦載機により撃沈されたとされている。(艦長:月形正気大尉)

呂号第44潜水艦
昭和19年1月上旬、ソロモン諸島等方面にて後方輸送遮断作戦に従事。(艦長:橋本以行)
3月、ミリへの輸送ならびにメジュロ偵察に従事し4月に呉に帰着。
昭和19年5月23日、サイパンからマーシャル方面に進出。
6月13日、ブラウンを偵察後サイパンに向かったが消息不明となる。
昭和19年6月16日、エニウエトク東方で米護衛駆逐艦バードウン・R・ヘイスティングスにより撃沈される。(艦長:上杉貞夫少佐)

呂号第45潜水艦
昭和19年4月16日、内地からトラックへ進出。
4月30日、トラックを出発以降消息不明となる。
昭和19年5月1日、トラック環礁南方にて米護衛空母モンテレー艦載機及び米駆逐艦マクドノー、ステフェン・ポッタの攻撃を受け撃沈される。(艦長:河村守少佐)
(喪失認定日は昭和19年5月20日)

呂号第46潜水艦
昭和19年6月、サイパン島周辺哨戒。
昭和19年9月〜11月、比島東方方面の哨戒。
昭和20年1月、ルソン島西方の敵艦隊迎撃に出撃し、1月30日、タンカー1隻を撃沈。
昭和20年2月、比島より飛行機搭乗員を台湾に輸送。
昭和20年4月6日、内地から沖縄へ向かったが消息不明となる。
昭和20年4月7日、沖縄本島東南東で米護衛空母ツラギ艦載機の爆撃により撃沈される。(艦長:木村正男少佐)
(米駆逐艦による攻撃で沈没との説もあり)

呂号第47潜水艦
昭和19年6月、サイパン島方面の索敵に出撃。
昭和19年9月18日、呉からパラオ周辺の敵攻撃に向かったまま消息不明となる。
昭和19年9月26日、パラオ諸島北東方にて米護衛駆逐艦マッコイ・レイノルズにより撃沈される。(艦長:石川長男大尉)
(喪失認定日は昭和19年11月3日)

呂号第48潜水艦
昭和19年7月5日、呉からサイパンに向かう。
7月13日および14日にサイパン島北方30海里で敵の制圧を受けたとの報告を最後に消息を絶つ。
昭和19年7月14日、サイパン島北西方にて米駆逐艦ウィリアム・C・ミラーにより撃沈される。(艦長:一富清太少佐)

呂号第49潜水艦
昭和19年11月〜昭和20年1月、比島東方方面に2回出撃。
昭和20年1月12日、フィリピン方面でアイダホ型戦艦を雷撃するが戦果は不明。
昭和20年3月18日、佐世保から沖縄方面に向かい、3月25日に敵情報告後消息を絶つ。(艦長:郷康夫少佐)
(喪失認定日は昭和20年4月15日)

呂号第50潜水艦
昭和19年11月、フィリピン東方に配備中、空母1隻、駆逐艦1隻を撃沈。
昭和20年2月1日、スリガオ東南東で輸送船1隻を撃沈。
2月11日、比島東方で米LST577号を雷撃で撃沈。
昭和20年4月および6月、ウルシー〜沖縄間で哨戒に従事。
7月3日、舞鶴に帰投して終戦を迎えた。
昭和21年4月1日、五島沖で米軍により処分された。

呂号第55潜水艦
昭和20年1月27日、呉からルソン島西方へ向かい、2月2日に敵情報告後消息を絶つ。
昭和20年2月7日、ルソン島西方にて米駆逐艦トーマスマンにより撃沈される。(艦長:諏訪幸一郎少佐)
(喪失認定日は昭和20年3月1日)

呂号第56潜水艦
昭和20年3月18日、佐伯から沖縄方面に向かい、3月25日に敵情報告後消息を絶つ。
昭和20年4月9日、沖縄南東方にて米駆逐艦により撃沈されたとされる。(艦長:永松正輝大尉)
(喪失認定日は昭和20年4月15日)

呂号第57潜水艦
呉鎮守府部隊所属。作戦には参加せず。
昭和17年3月から横須賀鎮守府部隊に編入。
昭和20年5月1日、予備艦となり小豆島に係留されて終戦を迎える。
終戦後、伊予灘で米軍に処分される。

呂号第58潜水艦
呉鎮守府部隊所属。作戦には参加せず。
昭和17年3月から横須賀鎮守府部隊に編入。
昭和20年5月1日、予備艦となり、横須賀に係留されて終戦を迎える。
昭和20年10月、清水付近で米軍により処分される。

呂号第59潜水艦
呉鎮守府部隊所属。作戦には参加せず。
昭和17年3月から横須賀鎮守府部隊に編入。
昭和20年5月1日、予備艦となり、清水学校に係留されて終戦を迎える。
昭和21年5月、伊予灘にて米軍により処分される。


呂号第60潜水艦
昭和16年12月18日、ウェーキ方面の監視につく。
昭和16年12月29日、クェゼリン基地に帰る途中、環礁に向かう海流の強さの予測を誤り、クェゼリン環礁にて座礁沈没、潜水艦母艦迅鯨に乗員全員が救出された。

呂号第61潜水艦
第一次世界大戦型の旧式潜水艦。
昭和16年12月、ウェーキ方面で行動。
その後、昭和17年までマーシャル方面で行動。
昭和17年8月1日よりアリューシャン方面に敵艦船攻撃のため4回出撃。
昭和17年8月28日、キスカからナザン湾の敵艦艇攻撃に向かったが、31日に敵攻撃の電報を打電したのち消息を絶つ。
昭和17年8月31日、アトカ島ナザン湾に侵入し、水上機母艦『カスコ』に魚雷1本を命中させ湾外に脱出したが、米駆逐艦レイドおよび米基地哨戒機の攻撃を受け、6回の爆雷攻撃を受けて浮上砲戦となったが撃沈される。生存者は5名。(艦長:徳富利貞大尉)

呂号第62潜水艦
昭和16年12月14日よりウェーキ方面に行動していたが、17日に呂号第66潜水艦と衝突してクエゼリンに帰投。
以後は、昭和17年3月までマーシャル、ウェーキ方面で行動。
8月1日よりキスカを基地としてアリューシャン方面の敵艦船攻撃に8回出撃したが、敵を見ず11月5日に横須賀に帰投。
その後は呉鎮守府部隊に編入され、そのまま終戦を迎える。
昭和21年5月、伊予灘で米軍により処分される。

呂号第63潜水艦
昭和16年12月、開戦時はハラウンド方面の監視に従事。
続き、ソロモン、マーシャル方面の監視及び攻撃に任じる。
昭和17年8月よりキスカを基地として周囲の哨戒に従事し、11月8日に呉に帰投。
以後、呉鎮守府部隊に編入され、作戦には参加せず、練習潜水艦として終戦を迎える。
昭和21年5月、伊予灘で米軍により処分される。

呂号第64潜水艦
大正15年に完成した潜水艦。
開戦時、ハウランド方面の監視に従事。
呂63と同行動で呉鎮守府部隊に編入された。
昭和20年4月12日、広島湾にて訓練中に米軍機が投下した磁気機雷に触れて沈没。(艦長:武藤慶吾少佐)

呂号第65潜水艦
昭和16年12月、開戦時はウェーキ方面の監視に従事。
その後、ラバウル攻略作戦、ヤルート東方に出撃したが敵を見ず、昭和17年4月2日に内地に戻る。
昭和17年9月15日、大湊を出港しキスカの哨戒に従事。
昭和17年9月28日、キスカ泊地で空襲の際に沈座して退避しようとしたが、艦橋ハッチが閉まらないうちにベント弁を開いたため艦内に浸水・沈没。
乗員の大部分が脱出に成功し艦体は放棄される。乗員64名中19名が戦死。(11月4日との説あり)

呂号第66潜水艦
英国のL4型潜水艦。
開戦時、ウェーキ島の監視に従事。
昭和16年12月17日午後8時30分、ウェーキ島沖にて哨区交替の際に僚艦の呂号第62潜水艦と衝突し沈没。
艦長以下63名戦死。生存者は3名。(艦長:黒川英幸少佐)

呂号第67潜水艦
開戦時、ウェーキ方面の監視に従事。
続いてラバウル攻略作戦、ヤルート東方海面の監視及び迎撃に従事するが、敵を見ず昭和17年4月2日に佐世保に戻る。
昭和17年9月、キスカ方面に出撃し、10月12日横須賀に帰投。
以後、呉鎮守府部隊に編入され、作戦に参加せず。練習潜水艦となる。
昭和20年7月20日、老齢により除籍となる。
のち、桟橋に活用するため解体。

呂号第68潜水艦
開戦時、ハラウンド方面の監視に従事。
呂63と同行動で、呉鎮守府部隊に編入。
昭和20年5月5日、第51戦隊に編入され、舞鶴に回航されて終戦を迎える。
昭和21年4月30日、若狭湾において米軍により処分された。

呂号第100潜水艦
昭和17年12月20日、横須賀から出撃してラバウル方面に進出。
ソロモン方面で作戦に従事。
昭和18年10月25日午後5時50分、ブインへの輸送任務中、オエコ島(又はオエマ島)の西方2海里(約3.7キロ)で機雷に触れて沈没する。(艦長:大金久男少佐)

呂号第101潜水艦
昭和18年1月18日、横須賀から出撃しラバウルを基地として、ニューギニア、ガダルカナル島、ソロモン方面の交通破壊戦に従事。
昭和18年9月10日、ラバウルからサンクリストバル島南東に進出したが消息不明となる。
昭和18年9月15日、サンクリストバル付近にて米哨戒機及び駆逐艦ソーフレイにより撃沈される。
(喪失認定日は昭和18年10月11日)

呂号第102潜水艦
昭和18年1月25日、横須賀を出撃しラバウルに進出。
ニューギニア南東方面、ガダルカナル島東方の敵艦船攻撃に従事。
昭和18年4月29日、ラバウルからラビ方面に進出したが、5月9日に同方面に敵を見ずの報告した後、消息不明となる。
(昭和18年5月14日にニューギニア東方にて米魚雷艇により撃沈されたとする説あり)

呂号第103潜水艦
昭和18年1月5日、呉を出撃してラバウルに進出。
ニューギニア南東方面、ガダルカナル島方面の敵艦船攻撃に従事。
昭和18年6月23日、サンクリストバル諸島南方で敵7400トン級貨物運送船『アルドラ』『ディモス』の2隻を撃沈。(6月13日の説あり)
昭和18年7月11日、ラバウルからニュージョージア島南東に進出したが、7月28日以降、消息不明となる。(艦長:市村力之助大尉)
(喪失認定日は昭和18年8月10日)

呂号第104潜水艦
昭和18年5月、アッツ島西方海面で行動。
9月よりラバウルに進出。
ブーゲンビル島沖海戦に参加し、昭和18年11月2日、軽巡「川内」の乗員救助に成功する。
昭和18年11月13日、第4次ブーゲンビル島沖航空戦に呼応し敵機動部隊攻撃に向かったが会敵せず、航空機搭乗員の救助に成功する。
昭和19年1月までニューギニアの敵輸送補給遮断に従事。
輸送作戦に従事後、呉に帰投。
昭和19年4月2日、内地を出発しトラックを経由してアドミラルティ方面で行動。
5月17日にサイパンを出発しアドミラルティ北方哨戒に向かったが消息不明となる。
昭和19年5月23日、アドミラルティ付近にて米護衛駆逐艦イングランドにより撃沈される。(艦長:出淵愈大尉)
(喪失認定日は昭和19年6月25日)

呂号第105潜水艦
昭和18年6月、アリューシャン方面、第2次キスカ撤退作戦に従事。
9月より、ラバウルに進出し、主にスルミへの輸送に従事。
ブーゲンビル島沖海戦に参加し、昭和18年11月6日、航空機搭乗員の救助に成功する。
昭和19年5月17日、トラックを出発しアドミラルティー北方の哨戒についたが消息不明となる。
昭和19年5月31日、アドミラルティ付近にて米護衛駆逐艦イングランドにより撃沈される。(艦長:井上順一大尉)
(喪失認定日は昭和19年6月25日)

呂号第106潜水艦
昭和18年3月31日、佐世保を出撃し、ラバウルを基地としてソロモン方面の輸送及び敵艦船攻撃に従事。
7月17日に米LST342号を撃沈。
昭和19年5月16日、トラックを出発しアドミラルティー北方の哨戒につきそのまま消息を絶つ。
昭和19年5月22日、アドミラルティ付近にて米護衛駆逐艦イングランドにより撃沈される。(艦長:宇田恵泰大尉)
(喪失認定日は6月25日)

呂号第107潜水艦
昭和18年3月31日、佐世保を出港しソロモン方面に進出。
6月30日、ラバウルを出撃してレンドバ島方面に向かったが、7月6日以降消息不明となる。
昭和18年7月12日、レンドバ島西方にて米駆逐艦テーラーにより撃沈される。(艦長:江木尚一少佐)
(喪失認定日は昭和18年8月1日)

呂号第108潜水艦
昭和18年8月11日、横須賀からラバウルへ進出。
ソロモン方面の作戦に従事。
昭和18年9月下旬より東ニューギニア地区ヒューオン湾方面で作戦中、昭和18年10月3日ワードフント岬北50海里(約93キロ)で敵駆逐艦3隻を攻撃し、敵の反撃の中、米駆逐艦ヘンリーを撃沈する。
昭和19年3月、トラックに基地を移し、トラック方面の哨戒に従事。
5月15日、トラックを出てアドミラルティ方面の哨戒に従事したが、そのまま消息不明となる。
昭和19年5月26日、アドミラルティ付近にて米護衛駆逐艦イングランドにより撃沈される。(艦長:小針寛一大尉)
(喪失認定日は昭和19年6月25日)

呂号第109潜水艦
昭和18年8月15日、佐世保からラバウルへ進出。
スルミ、ブインへの輸送作戦に従事。
昭和19年3月、佐世保に帰港して修理。
昭和19年4月、サイパンに進出してあ号作戦(マリアナ沖海戦)に参加。
10月、比島東方に進出して敵艦船攻撃に2回出撃するが敵を見ず、佐世保に帰投。
昭和20年1月17日、フィリピン・リンガエン湾西方で空母、巡洋艦、駆逐艦に魚雷各2本を命中させる。
4月12日、佐世保から沖縄方面に向かったが消息不明となる。
昭和20年4月25日、沖縄南方にて米輸送艦ホーレス・A・バスにより撃沈される。(艦長:中川博大尉)
(喪失認定日は昭和20年5月7日)

呂号第110潜水艦
昭和18年11月12日、内地を出てインド洋で作戦に従事し、商船1隻を撃沈。
12月19日、ペナンに帰投。
昭和19年2月2日、ペナンを出てベンガル湾で作戦従事中に消息不明となる。
昭和19年2月11日、ベンガル湾ビザガバタム岬沖で連合軍砲艦(?)インド護送艦「ユナム」と交戦し撃沈される。(艦長:江波戸知郎少佐)
(喪失認定日は昭和19年3月15日)

呂号第111潜水艦
昭和18年10月31日、呉を出撃し、ペナンを基地として昭和19年3月までインド洋の交通破壊戦に従事。
商船3隻を撃沈し、4月13日に佐世保に帰投。
昭和19年5月22日、佐世保を出港しトラックへ進出。
6月4日、トラックからアドミラルティー北方へ向かい、消息不明となる。
昭和19年6月10日、アドミラルティ付近にて米駆逐艦テーラーにより撃沈される。(中村直三少佐)
(喪失認定日は昭和19年7月12日)

呂号第112潜水艦
昭和18年12月26日、呉を出撃し豪州方面で行動。
昭和19年3月よりニューギニア北方で行動。
6月、あ号作戦でサイパン島方面の敵機動部隊迎撃に従事。
10月より比島東方で敵艦船攻撃に2回出撃。
昭和20年2月8日、比島北岸バタリオナ〜台湾・高雄間の輸送作戦のため高雄を出たが、バタリオナに到着せず消息不明となる。
昭和20年2月11日、米潜水艦バットフィッシュの待ち伏せに遭い撃沈される。(艦長:湯地惇大尉)
(喪失認定日は昭和20年2月20日)

呂号第113潜水艦
昭和19年3月より沖ノ島、大東島付近の敵潜水艦掃討に従事。
6月、あ号作戦に参加。
9月よりインド洋方面で行動し、商船1隻を撃沈。
昭和20年2月7日、高雄に入港。
2月8日、呂112と同行動を取る。
昭和20年2月12日、ルソン島北部と台湾の高雄間の輸送中に米潜水艦バットフィッシュの待ち伏せに遭い撃沈される。(艦長:原田潔大尉)

呂号第114潜水艦
昭和19年6月4日、佐伯からサイパンに向かい消息不明となる。
昭和19年6月17日、サイパン島東方にて米駆逐艦メルヴィン及びワッドレィにより撃沈される。(艦長:阿多義弘大尉)
(喪失認定日は昭和19年7月12日)

呂号第115潜水艦
昭和19年3月よりトラックに進出。
カロリン方面の敵機動部隊迎撃、ウエワク輸送に従事。
6月、あ号作戦に参加。
昭和19年8月10日、横須賀を出撃しインド洋交通破壊戦に従事。
昭和20年1月22日、シンガポールを出港して比島西方方面に進出したがそのまま消息を絶つ。
昭和20年2月1日、米駆逐艦ジェイキンズ、オーバノン、ベル及び米護衛駆逐アルバート・M・ムーアの協同攻撃により撃沈される。(艦長:竹間忠三大尉)
(喪失認定日は昭和20年2月21日)

呂号第116潜水艦
昭和19年5月15日、サイパンを出撃してアドミラルティ北方の哨戒につくが消息不明となる。
昭和19年5月24日、アドミラルティ付近にて米護衛駆逐艦イングランドにより撃沈される。(艦長:岡部猛少佐)
(喪失認定日は昭和19年6月25日)

呂号第117潜水艦
昭和19年5月、佐伯を出てサイパンに向かい消息不明となる。
昭和19年6月17日、サイパン島東方にて米哨戒機の爆撃により撃沈される。(艦長:榎本泰夫少佐)
(喪失認定日は昭和19年7月12日)

呂号第500潜水艦
ドイツから譲渡されたU511。ドイツからの回航途中『さつき1号』と呼ばれた。
昭和18年5月、ドイツを出発して8月7日に呉に入港。
9月7日、ドイツより引き渡されて呂500と命名される。
内地において潜水学校の練習艦となり訓練に従事。
昭和20年5月5日、第51戦隊に編入。
舞鶴に回航され、対潜訓練の標的艦として終戦を迎える。
昭和21年4月30日、若狭湾にて米軍により処分される。

呂号第501潜水艦
ドイツで建造されたU1224。回航員が『さつき2号』という仮称で訓練をした。
日本人の手で操縦してドイツを出たが、昭和19年5月13日、大西洋・アゾレス諸島沖で米護衛駆逐艦フランシス・M・ロビンスにより撃沈される。(艦長:乗田貞敏中佐)
(喪失認定日は昭和19年8月26日)

※ 呂号潜水艦戦死者総数=2,638名

真珠湾攻撃攻撃
指揮官:佐々木半九(大佐)=(第3潜水隊司令)
伊号第16潜水艦 艦長 山田薫(中佐)
特型格納筒(特殊潜航艇) 艇長:横山正治(中尉)
艇付:上田定(二曹)
伊号第18潜水艦 艦長 大谷清教(中佐)
特型格納筒(特殊潜航艇) 艇長:吉野繁実(中尉)
艇付:横山薫範(一曹)
伊号第20潜水艦 艦長 山田隆(中佐)
特型格納筒(特殊潜航艇) 艇長:広尾彰(少尉)
艇付:片山義雄(二曹)
伊号第22潜水艦 艦長 揚田清猪(中佐)
特型格納筒(特殊潜航艇) 艇長:岩佐直治(大尉)
艇付:佐々木直吉(一曹)
伊号第24潜水艦 艦長 花房博志(中佐)
特型格納筒(特殊潜航艇) 艇長:酒巻和男(少尉)
艇付:稲垣清(二曹)
指揮官付(予備艇長) 松尾敬宇(中尉)
各艦に格納筒整備のため下士官2名を配乗
昭和16年12月8日午前0時42分から午前3時33分にかけて、真珠湾口にて発進。
岩佐艇・横山艇は港内で撃沈。
広尾艇・吉野艇のうち、1隻が港口で、1隻が港外で撃沈。
酒巻艇はジャイロ故障のため港内に入れず座礁沈没。
稲垣兵曹長は戦死、酒巻少尉は人事不省で捕虜となる。

オーストラリア・シドニー攻撃
指揮官:佐々木半九(大佐)
伊号第22潜水艦 艦長 揚田清猪(中佐)
特殊潜航艇 松尾敬宇(大尉)・都竹正男(二曹)
伊号第24潜水艦 艦長 花房博志(中佐)
特殊潜航艇 伴勝久(中尉)・芦辺守(一曹)
伊号第27潜水艦 艦長 吉村厳(中佐)
特殊潜航艇 中馬兼四(大尉)・大森猛(一曹)
昭和17年5月31日午後4時30分、シドニー港東方7海里付近から特殊潜航艇を発進させる。
戦果は魚雷1本が宿泊船「クッタバル」と岸壁の間で炸裂し、「クッタバル」を沈没させる。
他の2隻の戦果は不明。搭乗員は全員未帰還。

マダガスカル島・ディエゴスワレズ攻撃
指揮官:今泉喜次郎(大佐)
伊号第16潜水艦 艦長 山口薫(中佐)
特殊潜航艇 岩瀬勝輔(少尉)・高田高三(二曹)
伊号第18潜水艦 艦長 大谷清教(中佐)
特殊潜航艇 ※故障のため発進せず。
伊号第20潜水艦 艦長 山田隆(中佐)
特殊潜航艇 秋枝三郎(大尉)・竹本正巳(二曹)
昭和17年5月31日午前0時頃、港口から10海里(約18.5キロ)地点から特殊潜航艇を発進させる。
戦果は戦艦クイーン・エリザベスを大破させるが、搭乗員は全員未帰還。(上陸して戦闘後戦死)

回天特別攻撃 菊水隊
伊号第36潜水艦 襲撃目標:ウルシー環礁
昭和19年11月20日午前4時30分、回天1基発進
伊号第47潜水艦 襲撃目標:ウルシー環礁
昭和19年11月20日午前4時30分、回天4基発進
伊号第37潜水艦 襲撃目標:パラオ島コスソル水道
昭和19年11月8日、大津島を出発後途中で消息を断つ

回天特別攻撃隊 金剛隊
伊号第36潜水艦 襲撃目標:ウルシー環礁
回天全基(4基)発進したが戦果未確認。
伊号第48潜水艦 襲撃目標:ウルシー環礁
回天全基(4基)発進させたと思われるが、昭和20年1月23日米駆逐艦と交戦して撃沈される。
伊号第47潜水艦 襲撃目標:ホーランディア
昭和20年1月12日、回天全基(4基)発進
伊号第53潜水艦 襲撃目標:パラオ島コスソル水道
1基故障、隊長艇は事故により自爆・2基発進したが戦果不明。
伊号第56潜水艦 襲撃目標:アドミラルティ島
敵の哨戒が厳重な為、回天の発進ができず帰還。
伊号第58潜水艦 襲撃目標:グアム島
昭和20年1月12日、回天全基(4基)発進。改造空母1隻、大型油槽船1隻轟沈。

回天特別攻撃隊 千早隊
伊号第368潜水艦 襲撃目標:硫黄島
昭和20年2月26日、硫黄島南方で米駆逐艦に撃沈される。
伊号第370潜水艦 襲撃目標:硫黄島
昭和20年2月26日、硫黄島北西で米空母艦載機の攻撃を受け沈没。
伊号第44潜水艦 襲撃目標:硫黄島
米駆逐艦の爆雷攻撃を受けたため逃げ帰る。その後艦長は左遷。

回天特別攻撃隊 神武隊
伊号第36潜水艦 襲撃目標:硫黄島
昭和20年3月2日光基地を出港、豊後水道で作戦中止命令を受け帰還。
伊号第58潜水艦 襲撃目標:硫黄島
昭和20年3月1日光基地を出港、3月8日硫黄島突入寸前で作戦中止命令を受け帰還。

回天特別攻撃隊 多々良隊
伊号第44潜水艦 襲撃目標:沖縄
昭和20年4月3日出港。4月18日沖縄東方で米駆逐艦と交戦して撃沈される。
(艦長:増沢誠司少佐)
伊号第47潜水艦 襲撃目標:沖縄
昭和20年3月29日光基地を出港、途中で米航空機の攻撃を受け漏油のため呉に引き返す。
伊号第56潜水艦 襲撃目標:沖縄
昭和20年3月31日出港。4月5日沖縄西方で米駆逐艦と交戦して撃沈される。
(艦長:正田啓治少佐)
伊号第58潜水艦 襲撃目標:沖縄
昭和20年4月1日光基地出港。帰投命令により4月29日光基地に帰着。

(参考:橋本以行著『伊58潜帰投せり』  月刊丸別冊『日本兵器総集』)
(参考:近代戦史研究会編『情報戦の敗北』)
(参考:平塚柾緒著『パールハーバー・真珠湾攻撃』)
(参考:『歴史群像2007年10月号』)
(参考:『歴史群像2008年6月号』)
(参考:草鹿任一著『ラバウル戦線異状なし』)
(参考:『歴史群像2008年12月号』)
(参考:『歴史群像2009年2月号』)
(参考:『会報 特攻 第71号』)
(参考:生出寿著 『ニミッツと山本五十六』)
(参考:大内健二著 『戦う民間船』 光人社NF文庫 2006年発行)
(参考:田中知之著 『八重の潮路の果てに〜第一期海軍兵科予備学生の記録〜』 原書房 2008年発行
(参考:吉田一彦著 『米国側資料が明かす ラバウルの真実』 ビジネス社 2007年発行)
(参考:山本武利著 『特務機関の謀略』 吉川弘文館 1998年発行)
(参考:木俣滋郎 著 『幻の秘密兵器』 光人社NF文庫 1998年8月発行)
(参考: 木俣滋郎 著 『駆逐艦入門』 光人社NF文庫 1998年発行)
(参考:大内建二 著 『揚陸艦入門』 光人社NF文庫 2013年1月発行)

(平成19年1月14日追記)
(平成19年2月4日追記)

(平成19年7月29日追記)
(平成20年3月22日追記)

(平成21年1月19日追記)
(平成21年2月6日追記)
(平成21年2月9日追記)
(平成21年6月7日追記)
(平成23年5月28日追記)
(平成23年5月29日追記)
(平成23年6月25日追記)
(平成23年6月26日追記)
(平成28年3月8日追記)
(平成31年4月18日追記)
(令和元年11月4日 追記)
(令和2年4月2日 追記)




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