斯波兼頼 しば・かねより


斯波兼頼のレリーフ レリーフ

山形開祖 斯波兼頼公

羽州探題最上氏の祖兼頼公は武家の名門奥州管領斯波家兼の次男で、延文元年出羽國に入部し、翌年山形城を築いた。
当時出羽の國でも南北朝の動乱が長らく打続き、人民は塗炭の苦しみを被っていた。
公は強大な武力を持っていたが、武断的態度に出ることはあえてせず、努めて平和的手段で人心をつかんで安定をもたらし、民衆を飢渇の淵から救った。
兼頼公は神佛尊崇の念厚く、入部そうそう山寺立石寺根本中堂の再建を行うなど、寺社の復興に尽力した。
ことに他阿元愚の布教に感動し、其阿の法名をうけて時衆となり、城中に時宗道場をたて、多くの士庶とともに念佛三昧の余生を送り、光明寺を開山した。
兼頼公こそ現在の山形の礎を創建した人であり、公およびその子孫は山形殿とも呼称されていた。

(碑文より)

レリーフ



斯波兼頼のレリーフ

(山形県山形市・霞城公園=山形城跡内)




(平成17年6月18日)


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