渋川春海 しぶかわ・はるみ(しゅんかい)

寛永16年閏11月3日(1639年12月27日)〜正徳5年10月6日(1715年11月1日)


幕府碁師・安井算哲の子。
幼名は六蔵、のち助左衛門。
京都生まれ。
姓はのちに保井、元禄15年(1702年)に渋川と改めた。
14歳で父の跡を継いで碁所ごどこを勤め、二代算哲と称した。
貞享元年(1684年)、宣明暦改暦を建議、新暦(貞享暦)が採用され、翌年から施行された。
初代の幕府天文方に任ぜられ代々世襲となる。


渋川春海の墓



渋川春海の墓
(東京都品川区北品川4−11−8・東海寺大山墓地)





(平成20年5月18日)

品川区指定史跡
渋川春海墓

所在 北品川4丁目11番 東海寺大山墓地
指定 昭和53年11月22日(第6号)

渋川春海は、寛永16年(1639)に京都で生れ、14歳で父の跡をついで幕府の碁所ごどころとなり安井算哲やすい・さんてつ(二代)と称した。
囲碁の研鑽の一方で天文・数学・暦学を学び暦学者となった。
その頃、日本では中国の宣明暦せんみょうれきを使っていたが、2日の誤差があったので、春海はみずから計算して新しい暦を作った。
これが貞享元年(1684)に官暦となり翌年から用いられ、貞享暦じょうきょうれきとして後の太陰暦の基本となったのである。
貞享暦は日本人の手で作られた初めての和暦であり、春海はこの功によって、幕府最初の天文方に任ぜられ、本所ほんじょ(墨田区)に、宅地を拝領した。
春海は、屋敷内に司天台(天文台)を設けて天体の観測にあたった。
これが江戸で最初の天文台である。
春海は正徳しょうとく5年(1715)10月6日に77歳で亡くなり、この地に葬られた。

平成19年3月1日
品川区教育委員会

(説明板より)




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