滋賀県大津市唐崎2丁目
滋賀海軍航空隊跡碑 (滋賀県大津市・JR唐崎駅前) (平成20年4月13日) |
平和記念碑
第二次世界大戦中 この地にあった海軍航空隊では 約1万人もの若者が厳しい特別訓練を受け 全国各地の実戦基地に特攻隊要員として配属され 愛する祖国のために 多数のものが帰らぬ人となった。
この記念碑は 戦後50周年を期に若くして逝った人々への哀悼と戦争の空しさ 平和の尊さを後世に伝えんがため 生き残った隊員たちの手によって この思い出の地に建立されたものである。
1995.8.15
昭和19年 6月12日 (1944) |
甲飛13期予科練習生 約1,000名 三重海軍航空隊 奈良分遣隊より転入隊。 |
7月1日 | 三重海軍航空隊 滋賀分遣隊として開隊。 |
8月1日 | 甲飛14期予科練習生 約2,000名 同じく奈良分遣隊より転入隊。 |
8月15日 | 滋賀海軍航空隊となる。 |
9月3日 | 13期練習生の一部 第1次水中特攻隊に転隊。 |
9月30日 | 飛行専修15期予備学生 約400名入隊。 |
10月1日 | 甲飛15期予科練習生 約3,000名入隊。 |
10月3日 | 飛行専修2期予備生徒 約200名入隊。 |
昭和20年3月26日 (1945) |
13期練習生の一部 第2次水中特攻隊に転隊。 14期練習生の約200名 水中特攻隊に転隊。 |
4月1日 | 甲飛16期予科練習生 約1,000名入隊。 |
4月24日 | 14期練習生の約300名 水中特攻隊に転隊。 |
6月1日 | 15期予備学生 砲術学校館山分校に転出。 |
6月15日 | 13期練習生の一部 航空特攻伊吹部隊に転隊。 |
6月20日 | 2期予備生徒 砲術学校館山分校に転出。 |
6月?日 | 14期練習生の一部 三重空経由 野辺山秋水特攻部隊に転隊。 |
8月15日 | 敗戦 |
11月30日 | 滋賀海軍航空隊 解隊。 |
(銘板より)
JR唐崎駅(湖西線) (平成20年4月13日) |
『名勝 近江八景 唐崎の夜雨』の碑 (滋賀県唐津市唐崎・唐崎神社) 滋賀空甲飛16期会西暦二千年記念奉納 (平成20年4月13日) |
桜と『至純』の碑 (滋賀県唐津市唐崎・唐崎神社) 滋賀空甲飛16期会奉納 (平成20年4月13日) |
唐崎神社 (滋賀県大津市唐崎1丁目) (平成20年4月13日) |
滋賀県指定名勝
唐崎(唐崎神社境内)
所在地 大津市唐崎1丁目
指定年月日 平成10年6月19日
唐崎は古くから景勝の地として数々の古歌などに取り上げられ、また、日吉大社西本宮にかかわる信仰や祭礼の場としても知られてきました。
加えて「近江八景」の一つ「唐崎の夜雨」の老松との景観は、天下の名勝としてしばしば安藤広重らの浮世絵などにも取り上げられてきました。
現在、境内の中程に位置する松は三代目の松で大正10年に枯死した二代目の松にかわって、その実生木を近くの駒繋ぎ場から移植したもので、樹齢は150年から200年と推定されています。
また、二代目の松は、天正9(1581)年に大風で倒れた一代目にかわり、同19年に新庄駿河守らが良木を求めて植え替えたもので、幹周囲9メートルに及び、枝を多数の支柱に支えられた天下の名木として知られていました。
今も境内の各所に残る枝を支えた石組みや支柱の礎石が往時の雄大さを忍ばせています。
現在の唐崎は、史上に見える景観ではないものの、湖上に突き出た岬状の地形と老松が織りなす景観は今なお優れており、その歴史的由緒と、「近江八景」を具体的に体現できる数少ない場の一つとして貴重といえます。
なお、当地は平安時代からの大祓の場と考えられ大津市の史跡にも指定されています。
平成11年3月
滋賀県教育委員会
(説明板より)
大津市指定文化財
史跡名勝
唐崎からさき
(大津市唐崎1丁目)
韓崎、辛崎、可楽崎などの字をあてる場合もありますが、「万葉集」にもあらわれる大津京時代からの地名です。
古くは、湖上交通の湊みなとと考えられ、平安時代には、天皇の災厄さいやくをはらう「七瀬祓所ななせのはらいしょ」の一つとして重視されました。
「枕草子」に湖畔の名勝として紹介され、室町時代の終わりに「近江八景」が選定されると、その一つ「唐崎の夜雨やう」の舞台となりました。
この地に遺のこる松は、日吉大社西本宮の御鎮座とも深いかかわりがあり、唐崎の一本松と呼ばれ多くの人々に親しまれました。
現在、唐崎神社の境内地内に大切に保存されています。
昭和56(1981)年1月16日指定
大津市教育委員会
平成4(1992)年3月
(説明板より)
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