志賀潔像 平成21年11月9日

志賀潔 しが・きよし

明治3年12月18日(1871年2月7日)〜昭和32年(1957年)1月25日

宮城県仙台市・匂当台公園でお会いしました。


明治〜昭和期の細菌学者。
東大卒。
伝染病研究所に入り、北里柴三郎から細菌学を学んだ。
明治30年(1897年)、27歳の若さで赤痢菌を発見して世界的な名声を得た。
明治34年(1901年)、フランクフルトの実験治療研究所のエールリッヒに師事し、明治37年(1904年)に『トリパノゾーマ病の化学療法』を発表した。
最初の化学療法剤として知られている。
昭和4年(1929年)京城帝国大学総長に就任。


志賀潔像



志賀潔像
(宮城県仙台市・匂当台公園)





(平成21年11月9日)

志賀潔先生顕彰碑

先生は1870年12月18日 仙台市に生れた
仙台市片平丁小学校を経て東京独乙語学校に進み第一高等中学校 次いで1896年東京帝国大学医科大学を卒業 直ちに伝染病研究所に入り北里柴三郎博士に師事し1897年志賀赤痢菌を発見す
時に歳二十七
1901年ドイツへ留学パウル・エールリヒ博士に師事し睡眠病トリパノゾーマの治療剤トリパンロートを発見して化学療法の魁をなす
1905年帰国翌年及び1909年と再度にわたりて極東熱帯病学会に出席し更に1912年ローマに於ける万国結核病学会に日本代表として列席した
1920年慶応義塾大学医学部教授となり同年秋請われて朝鮮総督府医院長兼京城医学専門学校長となる
更に1929年京城帝国大学総長に任ぜられた
先生の功績に対し1944年国家は文化勲章を授与し 1949年仙台市は郷党の誇として仙台市名誉市民の称号を贈った
1957年1月25日八十八歳の高齢を以ってその光輝ある生涯を閉じた
死に臨み正三位に叙し勲一等瑞宝章を授与された
茲に先生の生誕百年を記念して胸像を建立し永くその偉大なる学勲と不朽の功業を後世に伝える

1969年10月17日
志賀潔先生遺徳顕彰会

(副碑・碑文より)

志賀潔像



匂当台公園・「いこいのゾーン」

(宮城県仙台市青葉区本町3丁目)





(平成21年11月9日)



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