(現:奈良文化女子短期大学セミナーハウス)
奈良県奈良市高畑大道町
平成19年4月10日
志賀直哉と奈良
大正14年(1925)、志賀直哉は京都の山科から、奈良の幸町の借家に居を移した。
彼が奈良への引越しを決めたのは、かねてからのあこがれであった奈良の古い文化財や自然の中で、自らの仕事を深めて行きたいという希望からであった。
なお当時すでに奈良の高畑に住んでいた、作曲家の菅原明朗や、画家の九里四郎など、奈良にあこがれを持っていた多くの友人たちの強いすすめによるものであった。
やがて直哉は、昭和3年、自ら設計の筆をとった邸宅を高畑裏大道に造り、翌4年、ここに移り住むこととなった。
この高畑裏大道の一帯は、東は春日山の原始林、北には春日の社を透して飛火野の緑の芝生が展開するという、静かな奈良の町の中でも特に風光明媚な屋敷町で、新薬師寺や白毫寺にも近いという土地柄から、やがて多くの文化人がこの家に出入することになる。
また彼の新居とその周辺は、鎌倉時代頃から、春日大社の神官たちの住んでいた社家の跡である。
この古い屋敷跡の崩れかけた土塀や古い柿の木などが、春日の社に調和する独特の風情は多くの画家たちのこころひくところであったのか、画家や作家などの文化人が、彼と前後して高畑に移り住んで来た。
志賀邸はこうした人々のサロンのようになり文化活動の核となったことであった。
直哉は新居の建築に当って、彼の好みから数奇屋造りに巧みな京都の大工に依頼したが、数奇屋造りを基調にしながら、広い洋風のサンルームと娯楽室を付加している。
いかにも当時流行の白樺派の面影を伝えるものであるが、古い文化と美しい自然の中に、こうしたハイカラなサロンのあったことが、奈良に集まった当時の文化人たちの、心楽しいものであったにちがいない。
しかしこの屋敷へと彼等の足を向わせたのは、なんといっても志賀直哉の、高潔であり、人をわけへだてしない広い心と、高い理想を持った彼の芸術にひかれるものがあったからである。
こうして彼は、当時奈良の水門町に住んでいた武者小路実篤らとともに白樺派文化の中心を奈良高畑に開花させたが、ここを中心に、関西一円の古美術行脚もさかんに行っていた。
そして昭和13年に東京へ移転するまでの間、奈良、京都を中心とした有名な古文化財のほとんどを見て、それらを彼の心にとらえることが出来た。
その間創作した作品の代表的なものは、彼が尾道時代から手がけて来た大作『暗夜行路』の後編の完結であったが、そのほかに万歴赤絵、晩秋、山科の記憶、邦子、豊年虫、雪の遠足、リズムなどの発表がある。
やがて奈良の充実した生活も、直哉の心に反省をうながすときが来る。
奈良の古い文化や自然の中に埋没して、時代遅れになろうとしている自分を見、かつまた子供の教育を考え、東京へと居を移したのである。
今回奈良文化女子短期大学セミナーハウスとして更正し、建築細部まで旧に復して、白樺派の香り高い志賀邸の面影を永く保存することになった。
(リーフレットより)
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志賀直哉旧居 (奈良市高畑大道町) (平成19年4月10日) |
学校法人奈良学園は、昭和53年6月24日に厚生省社会保険庁所有のこの邸を買収した。
この邸は、厚生年金「飛火野荘」として使用されていたが、文豪志賀直哉が自ら設計し、京都から数奇屋大工を呼んで新築、昭和4年から昭和13年まで居住した。
由緒ある建物で老朽化が進み全面的改築計画が持ち上がるとともに保存を望む声が全國的に高まった。
奈良学園は、これに応え奈良文化女子短期大学セミナーハウスとして保存する一方、一般にも公開することにした。
このため志賀家から提供を受けた資料等によって志賀直哉が建築した当初の姿に修復しあわせて庭園の整備も行った。
奈良学園では、この邸を教育施設として活用し近代文学探求の拠点としたいと望んでいる。
資料等については、志賀直哉の遺言並びにご遺族の意思によって展示を見合わせた。
昭和53年11月14日
学校法人 奈良学園
理事長 伊瀬敏郎
(説明板より)
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書斎 (平成19年4月10日) |
書斎について
6畳の部屋で畳を入れず洋式にした。
この書斎で「暗夜行路」を完結し、その他の作品も書いた。
住居の北側に位置し日陰であるが、日差しの変化が少なく落ち着く。
窓から庭の樹木を通して御葢山、春日山、若草山等が眺望できる。
部屋の天井は数奇屋風で葦張り、すす竹、なぐりのはり等の調和がすばらしい。
書斎西隣の納戸(6畳)を書庫にした。
書斎へは関係者以外、子どもたち等も入ることを禁止した。
(説明板より)
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茶室 (平成19年4月10日) |
茶室について
白樺派の精神を生かしたと言われる6畳の茶室である。
古い伝統にこだわらないで造ったと言う。
にじり口は、障子3枚で大きい。
中央に炉が切ってある。
天井は数奇屋風で各区画の造りが異なりとても優美である。
建築を請け負った数奇屋大工 下島松之助が精魂込めて造った。
家族をはじめ来客等が此処でお茶を嗜んだことであった。
保存のために現在は使用をお断りしている。
(説明板より)
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子供達の寝室 (平成19年4月10日) |
子供達の寝室(10畳)
上から4人の子どもたちの寝室であった。(下2人は奥さんの部屋)
押入れの床を一段高くして湿気を防いだ。
この部屋の窓及び隣の部屋と2階の部屋の窓は外側をガラス障子、中間を板戸、内側を障子にした。
ガラス障子の桟をサッシのようにはめ込みにして風雨が入らないようにした。
板戸は雨戸でなく防寒用である。
子供たちは父の居間を通らず控の間から出入りした。
(説明板より)
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直哉の居間 (右奥の部屋・手前は子供の寝室) (平成19年4月10日) |
直哉の居間(6畳) 西側
中庭に面して明るいが日陰である。
南側の子供の部屋(勉強部屋)と控えの間との境界の壁の下部へ高さ50糎の窓を造った。
この窓から風を通すと共に親の優しい心を通わせた。
窓の柵は互いに往来せず子供たちの自主性を育てる為に設けた。
壁中央の柱の中間を削り壁を塗る。
下の板戸の桟の間隔を等しくしない このように美的に工夫した。
東側の庇は板を美しく張り、茶室に面した北側の庇は竹を張った。
竹は二つに割り互いに組み合わせ、雨が漏らないようにした。
(説明板より)
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子供の部屋 (平成19年4月10日) |
子供の部屋(8畳)
床にはコルクを敷き、机、椅子を入れてあった。
腰板を美的に工夫して張り、子供の活動を配慮した。
天井は格天井で美しい。
4人の子供たちはこの部屋で勉強した。
4畳半の二人部屋へは東側の板戸を開けて出入りした。
子供たちの天国
子供たちがこの部屋で勉強している時、来客がサンルームや食堂で大声で話し合っても妨げにならず静かである。
この部屋の廊下で子供たちが大騒ぎすることがあっても来客には迷惑にならない。
子供たちの自由と自主的行動を大切にしたが、父母の観察と指導を忘れなかった。
子供の天国を大切にした。
(説明板より)
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廊下 (平成19年4月10日) |
廊下について
夫人の居間から子供の部屋への廊下の境界は、当時は壁で遮断されていた。
子供が母へ依頼心を起こさぬよう、母が子供へ干渉し過ぎないよう考慮した。
廊下の幅を広くして雨の時に遊び場とした。
その床を一段低くして、幼時から庭へ出入りがし易いように工夫した。
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夫人の居間 |
夫人の居間
日当たり良く台所・客間と子供の部屋との中間に位置し、健康的であると共に能率的である。
女性向きの数奇屋風の部屋である。
床の間廊下側の半月形で優美である。
床板の下に竹を入れて優しい。
床柱は赤松で優しく美しい。
棚の天井は葦張りでしとやかである。
押入れ上下中間の横木は装飾と実用を兼ねている。
押入れ上段右側の小さい棚の上へ仏壇をまつった。
直哉は無宗教であったが信仰の自由を許した。
大正15年正月の日誌(奈良へ移った翌年)
直哉の生活信条の中に
「妻子を可愛がろう。溺れないで愛しよう・・・・。」
この邸の部屋の配置として、最も日当たりの良い南側へ、夫人の居間と子供たちの部屋を当てた。
夫人の部屋・子供部屋の構造、裏庭の遊び場、裏庭西方に造った水槽(プール)等々に直哉の進歩的な考え方が表れている。
(説明板より)
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サンルーム |
「高畑サロン」とは
志賀邸の近辺に住んだ画家・文人等々が常に訪れて、このサンルームや食堂、或は裏庭で芸術を語り人世を論じ、又麻雀、囲碁、トランプ等の娯楽に興じた。
このように文化活動の核となり、互いの人間的な交際の場となり、自ら人々は「高畑サロン」と呼んだことであった。
サンルームの見どころ
(説明板より)
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手洗 (平成19年4月10日) |
手洗
縁が御影石の井筒のようで珍しい。
手を洗うとともに眺めても美しい。
実用と装飾を兼ねる。
底にある中央の小さい穴から水が湧き出る。
水道の水でせんは戸棚の中にある。
排水は底の黒い小円形のせんを抜くと水が出る。
外へ出した水は南東隅の排水口から流れ出る。
(説明板より)
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食堂 (平成19年4月10日) |
食堂とサンルームについて
食堂は9.84坪(約20畳)。
サンルームは7.45坪(約15畳)。
常に直哉を慕い集る多くの客を持成したことであった。
来客と共に家庭も使ったのであり、食事はいつも家族と来客といっしょにした。
数奇屋風と西洋風と中国風を調和させた美しい部屋です。
食堂の見どころ
(説明板より)
庭から見たサンルーム
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