志賀敏美像 平成20年10月5日

志賀敏美 しが・としみ

大正13年(1924年)7月14日〜昭和19年(1944年)11月6日

福島県南相馬市原町区・夜の森公園でお会いしました。


志賀敏美像



第4神風特別攻撃隊 零戦隊
海軍少尉 志賀敏美之像
(福島県南相馬市原町区・夜の森公園)




(平成20年10月5日)

略歴
志賀敏美

大正13年7月14日生
福島県原町市馬場出身

一.昭和16年12月27日福島県立相馬農蚕学校第21回卒業
一.昭和18年3月26日海軍飛行予科練習生三重海軍航空隊15期修了
一.昭和19年1月27日徳島海軍航空隊第31期戦闘機操縦専修科卒業
一.昭和19年同月同日第1機動艦隊第3艦隊中部太平洋海域戦線進行
一.昭和19年11月6日特攻隊ノ直掩隊トシテ マバラカット東基地ヲ発進シ敵艦ニ突入
    享年20歳

(銘板碑文より)

聯合艦隊告示 第九十三号
   布告

第四神風特別攻撃隊 零戦隊
    海軍一等飛行兵曹 志賀敏美

戦斗機第六五三航空隊付ハ昭和十九年十一月六日比島マバラカット東飛行基地ヲ午前七時発進鹿島隊艦上爆撃機ヲ掩護シ昼間跳梁スル敵戦斗機及ビ熾烈ナル防禦砲火ヲ突破シ比島東方洋上ニ行動中敵機動部隊ニ必死必殺ノ体当リヲ決行シ克ク其ノ精華ヲ発揚シテ悠久ノ大義ニ殉ス、忠烈萬世ニ燦タリ仍テ茲ニ其ノ殊勲ヲ認メ全軍ニ布告ス

任海軍少尉

聯合艦隊司令長官 豊田副武

(銘板碑文より)

夜の森公園



夜の森公園
(福島県南相馬市原町区三島町1−67)





(平成20年10月5日)

神風平和記念廟



神風東飛行場平和記念碑
(フィリピン・ルソン島マバラカット)





(平成16年5月7日訪問)
解説文の碑



神風東飛行場平和記念碑
(フィリピン・ルソン島マバラカット)





(平成16年5月7日訪問)
神風東飛行場平和記念碑
本場所は、第二次世界大戦中、日本最初の神風特別攻撃隊が飛び立ったマバラカット東飛行場の跡である。
1944年10月20日、神風特別攻撃隊は海軍中将大西瀧治郎により此処ルソン島パンパンガ州マバラカットに於いて創設された。
同攻撃隊の最初の志願隊員は、当時マバラカットに駐留していた日本帝国海軍第一航空艦隊・201航空隊に所属する玉井浅一中佐麾下の23名のパイロット達であり、敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊の4隊に分けられ、関行男大尉が全体の隊長に任命された。
1944年10月25日朝7時25分、関行男大尉は中野盤雄一飛曹、谷暢夫一飛曹、永峰肇飛長及び大黒繁男上飛の敷島隊を率いてこの東飛行場から飛び立った。
同日午前10時45分、レイテ島沖の米機動部隊に対し同敷島隊は攻撃を開始、関機が先ず最初に米空母セント・ローに体当たりした。
同艦は炎上、20分後に沈没した。
他の隊員も全員体当たりを果たし、米空母カリニン・ベイ、キトカン・ベイ、サンガモン、サンティー、スワニー及びホワイト・プレーを大破あるいは中破させ、米軍に多大な損害を与えた。
成功裡に終わったこの最初の神風特別攻撃は、当時敷島隊を空から掩護・誘導した西澤広義飛曹長ー103名の米軍撃墜死が確認されている、日本の撃墜王と言われた名パイロットによって目撃・報告されている。
戦後、多くの戦争歴史研究者が関行男大尉を世界最初の人間爆弾であったと公に認めている。
(注記)
マバラカット観光局(MTO)が神風平和記念廟の建立を推進した理由は、神風特別攻撃隊の栄光を称賛する為ではなく、その歴史的事実を通じて世界の民族に平和と友好の尊さを訴える為である。
神風平和記念廟が神風特別攻撃隊のような不幸な出来事を二度と繰り返さないと誓う場所となることを祈念する。
マバラカット観光局長
ガイ”インドラ”ヒルベロ
マバラカット東飛行場跡




マバラカット東飛行場跡






(平成16年5月7日訪問)

第4神風特別攻撃隊(第2神風特別攻撃隊の後継・艦上爆撃機主体)

隊名 階級 氏名 出身県 出身 戦死場所 戦死日
鹿島隊
(九九式艦爆2機)
マバラカットから出撃

(直掩零戦1機)
マバラカット東から出撃
飛曹長 吉田正毅 香川 甲飛2期 カングラン基地
80度120浬
19年11月6日
上飛曹 石橋 光 福岡 甲飛10期
二飛曹 下平鶴三 広島 丙飛16期
上飛曹 蒲谷良平 神奈川 甲飛9期 スルアン島南20浬
二飛曹 志賀敏美 福島 丙飛15 マニラ70度70浬
神武隊
(九九式艦爆1機)
マバラカット東から出撃
上飛曹 肝付良志 鹿児島 甲飛10期 スルアン島南20浬 19年11月11日
二飛曹 吉村 正 高知 丙(特)飛14期 スルアン島南
神崎隊
(九九式艦爆1機)
マバラカット東から出撃
上飛曹 和久田道雄 熊本 乙飛16期 スルアン島南20浬
二飛曹 栗山 正 大分 丙飛15期
香取隊
(九九式艦爆2機)
マバラカット西から出撃
中尉 田辺 正 栃木 海兵72期 クラーク75度150浬 19年11月25日
少尉 工藤太郎 岩手 盛岡高工
一飛曹 山口善則 佐賀 甲飛11期
一飛曹 酒樹 正 樺太 甲飛11期

(参考:特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会編『特攻攻撃隊全史』)

資料によって若干の違いが見られますが、一応、併記しておきます。

11月6日、海軍特攻「鹿島隊」「香取隊」「神武隊」「零戦隊」の爆装及び直掩「零戦」5機がカングラン基地の80度120浬の地点に出撃し、戦果を見ることなく空しく散華していた。〜(略)〜
11月11日、海軍特攻「神崎隊」の「九九艦爆」1機、「鹿島隊」の「九九艦爆」2機がスルアン島南方20浬の地点、「神武隊」の「九九艦爆」1機がスルアン島南方洋上に出撃し、これらの隊も戦果を見ずに空しく散華していた。〜(略)〜
11月25日、海軍特攻「第3高徳隊」の爆装「零戦」5機がナガ岬の10度100浬の地点、「吉野隊」の爆装「零戦」6機、「彗星」2機、直掩「零戦」2機、「笠置隊」の爆装「零戦」5機がクラークの75度150浬の地点、「強風隊」の「銀河」2機がサマール島北方、「疾風隊」の「銀河」3機(この機数は不確実)がラモン湾東方に出撃し散華していた。
この日、正規空母「ハンコック」に特攻機の破片が命中、同「イントレピッド」に2機命中、同「エセックス」に1機命中、軽空母「キャボット」に1機命中、1機至近弾となっていた他、軽空母「インデペンデンス」が味方機の着艦失敗によって損傷を被っていた。
この特攻機の挙げていた戦果は、「吉野隊」の爆装「零戦」6機、「彗星」2機、直掩「零戦」2機に搭乗して出撃していた高武公美中尉、田辺正中尉、工藤太郎少尉、池田末広上飛曹、布田孝一上飛曹、長谷川達上飛曹、河内山精治上飛曹、村松文雄上飛曹、山口善則一飛曹のいずれかによるものである。

(森本忠夫著『特攻〜外道の統率と人間の条件』より)




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