島崎藤村 しまざき・とうそん

明治5年2月17日(1872年3月25日)〜昭和18年(1943年)8月22日


本名は春樹。
明治学院卒。
明治26年(1893年)北村透谷らと『文学界』を創刊。
浪漫主義文学運動の中にあって青春の彷徨を体験し、処女詩集『若菜集』など四詩集を刊行して浪漫詩人としての地位を確立した。
長野県小諸での教師生活を経て明治38年(1905年)に上京する。
自然主義文学の記念碑的作品『破戒』を自費出版して小説家として認められ、以後『春』『家』などの自伝的小説を発表。
昭和4年(1929年)に大作『夜明け前』を刊行。
昭和10年(1935年)、日本ペンクラブが創立され、初代会長に就任する。


碑



「島崎藤村 北村透谷 幼き日 ここに 学ぶ』の碑
(東京都中央区銀座5−1−13・泰明小学校)





(平成18年6月26日
記念碑



島崎藤村記念碑

(泰明小学校)





(平成18年6月26日)

北村透谷・島崎藤村記念碑

所在地 中央区銀座5丁目1番13号

泰明小学校は明治11年(1878)6月に開校され、北村透谷と島崎藤村はその初期の卒業生でした。
北村透谷(1868〜1894)は、現在の神奈川県小田原市に生まれ、明治14年に家族とともに京橋区弥左衛門町(現在の銀座4丁目)に転居し、翌年卒業するまで泰明小学校に通いました。
その後、自由民権運動に惹かれて政治運動を志しましたが、後に文筆活動に転じ文芸評論家・詩人として活躍しました。
明治26年雑誌『文学界』に参加した透谷は、文芸における自由主義を唱え、近代浪漫主義文学の開拓者といわれました。
島崎藤村(1872〜1943)は、中山道馬籠宿(現在の岐阜県中津川市)に生まれ、明治14年に上京し、京橋区鎗屋町(現在の銀座3・4丁目付近)の姉の嫁先から泰明小学校に通学しました。
その後、姉夫婦が帰郷したことにより同郷人の家に寄寓し、明治17年に卒業しました。
明治学院在学中に文学への関心を深めた藤村は、『文学界』の活動を通して透谷から深い影響を受けました。
著作に『若菜集』・『春』・『夜明け前』などがあり、中でも『破戒』は自然主義文学の先駆と言われています。

昭和51年2月
中央区教育委員会

(説明板より)

泰明小学校




東京都中央区立 泰明小学校






(平成18年6月26日)

昭和53年6月25日 泰明この日百年

泰明小学校は明治11年にこの地の公立小学として創立されここに一世紀を経ました。
この間国運の消長時代の変革社会の推移制度の変遷の中で常に地域の初等基礎教育を担いました。
特に関東大震災第二次世界大戦時には再度灰燼に帰しながらも復興し内実を深め校風を維持し絶えず誇り高く歩み続けいまや有為な人材1万人あまりを地元日本の銀座をはじめ広く世に送っています。
また幼稚園は昭和28年に開設され泰明の一貫教育に貢献しています。

(記念碑・碑文より)




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