編成地 | 編成時期 | 終戦時の所在 | |
北京 | 昭和13年 | 南昌・南方地区(中国) |
慰霊碑 支那駐屯歩兵第3聯隊 (千葉県千葉市・千葉県護国神社) (平成16年8月28日) |
碑誌
この聯隊は 北清事変以来北支に駐留した支那駐屯軍の伝統を継ぎ 昭和13年3月中国北京において編成され その兵員は千葉県人を主体として東京埼玉山梨その他各府県出身者により構成されていた
その後聯隊は 北京保定附近の警備に任じ同年5月一部をもって徐州会戦に臨み 同年7月新たに編成された第27師団(極兵団)の基幹部隊として武漢攻略戦に参加し赫赫たる武勲を遺し 発祥の地北支に帰還し冀中及冀東地区の警備討伐に任じ 昭和18年戦力培養のため満州国錦県に移駐した
翌19年再び中国戦線に出動
京漢作戦湘桂作戦に参加し転じてて江西省在支米空軍基地を覆滅しさらに広東省に進出し三南作戦江西作戦を闘い北上中 南昌南方地区において終戦を迎えた
この間将兵は 炎熱に耐え酷寒を忍び峻嶮に挑み困苦欠乏を極めたなかに常に勇戦して聯隊の名誉を高めた
不幸戦歿した2千3百余柱の英霊は故国の平和と繁栄を知ることなく今なお中国大陸の山野に眠っている
この尊い犠牲こそ今日の日本の礎石であったことを銘肝し ここ郷土の地に碑を刻んで諸霊の冥福を祈る
昭和54年7月
支駐歩三会戦友一同
『愛馬慰霊』の碑 昭和63年10月30日建立 |
【第27師団】
昭和13年7月15日、天津において編成を終えた第27師団は7月下旬から逐次塘沽を出港し、南京に向かった。
編成完結時における第27師団は以下の通り。
(第27師団の実質的な編成完結は南京終結後である)
第27師団司令部 | 天津 | |
師団長 | 陸軍中将 | 本間雅晴(陸士19期) |
参謀長 | 歩兵大佐 | 原田義和(陸士28期) |
第27師団歩兵団司令部 | 天津 | |
歩兵団司令官 | 陸軍少将 | 永見俊徳(陸士21期) |
支那駐屯歩兵第1連隊 連隊長 | 歩兵大佐 | 長谷川 基(陸士24期) |
支那駐屯歩兵第2連隊 連隊長 | 歩兵大佐 | 岡崎誠三郎(陸士26期) |
支那駐屯歩兵第3連隊 連隊長 | 歩兵大佐 | 宮崎富雄(陸士23期) |
第27師団捜索隊 隊長 | 騎兵中佐 | 宮脇侃蔵(陸士27期) |
山砲兵第27連隊 連隊長 | 砲兵大佐 | 小林信夫(陸士22期) |
工兵第27連隊 連隊長 | 工兵中佐 | 小川三郎(陸士26期) |
輜重兵第27連隊 連隊長 | 輜重兵大佐 | 石川?郎(陸士23期) |
第27師団通信隊 第27師団衛生隊 第27師団第1〜第4野戦病院 |
宮崎富雄大佐は、昭和6年、村井混成旅団満洲派遣時の歩兵第40連隊第1大隊長。
(参考:『騎兵第百十大隊史』 刊行委員会 昭和60年3月発行 非売品)
(令和2年5月12日 追記)
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