篠原国幹 しのはら・くにもと

天保7年12月5日(1837年1月11日)〜明治10年(1877年)3月4日


鹿児島藩士の子。
藩校造士館に学ぶ。
文久2年(1862年)の寺田屋騒動に連座。
薩英戦争・戊辰戦争に従軍。
明治4年(1871年)御親兵に加わり陸軍大佐に任官。
明治6年の政変で西郷隆盛に従い下野。
鹿児島に帰る。
明治7年(1874年)、桐野利秋らと共に私学校を設立し教育に当たる。
明治10年(1877年)西南戦争が起こると西郷軍の一番大隊長として出征し、戦死した。


篠原国幹



篠原国幹の墓
(鹿児島市・南州墓地)





(平成19年3月30日)

篠原 国幹

知略あり、桐野と並び立つ猛将。
明治5年陸軍少将、近衛兵司令官。
明治6年辞職し、帰鹿。
私学校銃隊の監督。
西南の役では、薩軍一番大隊長。
明治10年3月4日吉次峠の激戦に陣頭指揮。
42歳で戦死。

(説明板より)

南州墓地


南州墓地
(鹿児島市・南州公園内)

1877年(明治10)の西南戦争で戦死した西郷隆盛をはじめ、2023名の将士が眠っています。



(平成19年3月30日)

西南の役  戊辰戦争



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