白井雨山 しらい・うざん

元治元年3月1日(1864年4月6日)〜昭和3年(1928年)3月


白井雨山記念碑



白井雨山・記念碑

(愛媛県西予市宇和町卯之町・宇和先哲記念館





(平成19年11月7日)

彫刻家 日本画家
白井雨山  元治元年〜昭和3年

本名は保次郎
当時鬼窪村であったこの地で佐平となみの四男として生まれ幼年期を過ごす
開明学校の開校と共に入学し暇ある時は絵を描きその才能を発揮していたと云う
明治18年上京し教員をする傍ら絵の修業を続け東京美術学校第一期生となり、入学の際には清水静十郎や牧野純蔵の推挙、また費用においても静十郎、末光三郎、本多好禮らの援助があった
専修科進級は彫刻科に入り、竹内久一に師事しヨーロッパに留学後は塑像を研究し我が国に新しい彫刻の世界を広げた
美術学校教授を退いた大正9年頃には文人画の復興に力を注ぎその作品を多く残しており県美術館で展示会も開催された
郷土の偉大なる芸術家を構成に傳える為、雨山公園の神武天皇像とともにこの碑を建立す

平成18年4月
白井雨山会会長 宮本友重

(碑文より)

神武天皇像



神武天皇
(愛媛県西予市宇和町卯之町・雨山公園)





(平成19年11月7日)
神武天皇像



神武天皇像
(愛媛県西予市宇和町卯之町・雨山公園)





(平成19年11月7日)

宇和の生んだ彫塑界の祖
白井雨山先生

白井雨山は、元治元年(1864)3月1日、雨山公園下に父佐平・母なみの四男として生まれ、保次郎と命名された。
明治22年地元有志方々の後援と推挙により、東京美術学校(現東京藝術大学)に入学。
彫刻を専修し、同校教授竹内久一先生の知遇を得る幸運に恵まれ、明治26年優秀な成績で卒業された。
雨山は常に日本の彫刻界が西洋に遅れていることを憂え、意見書を当時の校長岡倉天心を通じて文部省に建白し許可され、塑像科が新設された事は我が国彫刻界に一時期を画した偉業と言える。
その後、ドイツ・フランス等に2年間留学し、帰国後東京美術学校教授に任命され、母校の塑造を指導された。
在職中に建畠大夢・朝倉文夫・北村西望等彫刻界の第一人者となる弟子を育成された。
この神武天皇立像は大正6年に雨山が制作し、ほかに明治天皇騎馬像・東洋三聖人等の作品が先哲記念館に展示されている。
雨山は昭和3年3月に没し、ここ郷里白井家の墓地に眠る。

宇和郷土文化保存会
製作 宇和ライオンズクラブ
     結成40周年記念
平成12年4月23日

(説明板より)



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