(通称号:旭1175部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の所在地 | |
本部・自動車中隊=広島 輓馬中隊=熊本 |
昭和13年 | ルソン島 |
昭和13年4月、本部と自動車中隊を広島で編成、輓馬中隊を熊本で編成して渡満。
昭和13年末、ハイラル地区の防衛任務につく。
昭和14年5月、ノモンハン事変の際には、輓馬中隊は歩兵連隊に配属され全滅した。
自動車中隊は師団唯一の自動車中隊として活躍した。
その後、連隊は自動車中隊6個に改編となり、完全に自動車化した。
昭和19年11月、比島派遣を命ぜられ、急遽、輓馬中隊1個、自動車中隊2個の3個中隊に改編される。
フィリピン派遣途中の港での残置と海没により、比島に上陸できたのは連隊本部と輓馬小隊1個、自動車小隊3個のみ。
ルソン島上陸後は、バギオの第一線部隊へ軍需品を輸送するとともに、自動車1個小隊をマニラに派遣して軍需品輸送に当らせた。
カバルアン丘守備大隊に弾薬等の輸送に赴いた1個小隊は全滅。
その後、馬も自動車も無くなり、防疫部隊から配属を受けて1個中隊を編成し、臂力運搬。
バギオ陥落後はさらに奥地に転進。
プログ山東北麓に入り、終戦を迎えた。
銘板より
『部隊跡記念樹』の碑 (広島県広島市中区基町・広島城の堀沿い北西角) (平成22年5月1日) |
慰霊碑 (広島市・比治山陸軍墓地) 歩兵第71連隊 野砲兵第13連隊 輜重兵第23連隊 昭和52年5月建之 (平成22年5月1日) |
戦歿者慰霊碑建設趣意書
ノモンハン事件は昭和14年5月満洲国と外蒙古との国境ノモンハン附近に於て 越境問題に端を発し約5ヶ月に亘り炎熱不毛の草原で戦史に稀れな激戦を繰返し 惨烈悲壮な苦斗を重ね遂に国境防衛の重責を完うした
この間1万2千余柱の戦死者を出し広島県出身者も多数に及んだので 此度歩兵第71聯隊野砲兵第13聯隊輜重兵第23聯隊等関係諸部隊の戦友が遺族と共に英霊の武勲を永久に顕彰する為に縁深い広島の聖地に慰霊碑を建立したのである
昭和52年5月吉日
広島ノモンハン会
(碑文より)
比治山陸軍墓地 (広島県広島市南区・比治山公園) (平成22年5月1日) |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||