静岡県護国神社

静岡県静岡市葵区柚木366


静岡県護国神社 平成18年4月13日

静岡市柚木鎮座
静岡県護國神社


由緒
明治32年11月共祭招魂社として静岡市北番町に創祀され明治維新以来日清日露の両戦役満洲事変大東亜戦争と国事にたおれた静岡県出身並びに縁故ある戦没軍人軍属等の殉国の御霊を逐次合祀してある
昭和17年10月県民の総意により現在地に移転御造営がなり同月8日遷座し昭和40年8月御社殿を修築した

祭神
7万6千余柱

社殿
流造銅板葺

境内
3万2千余坪(10万6千余平方米)

(説明板より)

一の鳥居




静岡県護国神社・一の鳥居






(平成18年4月13日)

平和の道標みちしるべ

ここは平和の杜もりです。
このお社やしろは護国神社ごこくじんじゃといいます。
日本の平和と美しい山河やまかわや家族を護まもるために戦争で亡くなられた静岡県出身の約7万6千人の方々を、神様としてお祀まつりしてあります。
私達が豊かな生活ができるのは護国神社の神様のおかげです。
神様は仲良なかよしの子供こどもが大好きです。
「ありがとうございます」と感謝かんしゃの心をもってお参まいりしましょう。

平成11年3月吉日きちじつ
静岡県護国神社

(説明板より)

護国神社の森




護国神社の森






(平成18年4月13日)

護国神社の森
ふる里の自然学習コース


森を見よう。
この森は、枝や葉がこんもり茂ったたくさんの樹木からできています。
大木も小さな木もありますが、つやつやして硬かたい葉をもった木が大部分です。
これらの木は照葉樹しょうようじゅと呼ばれる静岡県下のふる里の木です。
昭和16年ここに護国神社が造られました。
その時、県下の各地からこうしたふる里の樹木が寄せられ人々の奉仕作業によって植えられました。
拝殿はいでんの前の平地には約6千本、裏山には約7千本もあります。
今では、こんなに多くの立派な樹木が茂る森(照葉樹林)となりました。
この森は、ふる里の森や樹木を観察するのにとても良いところです。
またふる里の森づくりのモデルでもあります。
こうしたことから昭和60年に県では、この森を「お宮の森・お寺の森百選」のひとつに選び自然学習コースとしました。

照葉樹林とは何でしょう。
表面がつやつやして、冬も緑色の硬い葉をつける樹木が茂る森のことです。
照葉樹林は、県下の暖かくて低い山や平地に多くふる里の自然を代表する森です。
私たちの先祖は、これらの照葉樹林の中で生活し、ドングリなども食用として使っていました。
この照葉樹は、騒音を防いだり、空気をきれいにする働きに優れています。

静岡県

(説明板より)

招魂斎場




招魂斎場





(平成18年4月13日)

招魂場しょうこんじょうについて

静岡縣護國神社の御祭神である戦歿者せんぼつしゃの御霊みたまは、御羽車おはくるまをこの招魂場に安置し、浄闇じょうあんの中で招魂祭を斎行して本殿へ奉遷ほうせんします。
昭和17年当神社が移転遷座せんざしてより毎年、招魂祭を斎行してきたところです。

静岡縣護國神社社務所

(説明板より)

鳥居について

この鳥居は駿府城跡の元静岡歩兵第34聯隊内に鎮座した岳南がくなん神社の鳥居です。
数万の聯隊兵士はこの神社で武運長久と戦勝を祈願して、出征しました。
特に兵士の素朴な願いと、心のよりどころの神社でありました。
昭和20年戦いが終わり駿府城跡内も一変し、新時代の姿に衣替えをすることになり、仲町及地元世話人有志により、此の処に終戦30周年を記念して移築されました。

奉納
元静岡歩兵第34聯隊戦友会(三四会)
元陸軍予備士官学校第8期生会
平成14年10月大祭建之

(説明板より)

献水碑




献水碑






(平成18年4月13日)

参拝者へお願い

さきの烈はげしい各戦場で
一滴の水を乞い求めながら
尊い身命いのちをお国に捧げられた
御英霊を永久にお慰めするための
献水碑けんすいひです

◎参拝おまいりの前にこの献水碑(赤球)に「お水」をかけてください
◎故郷ふるさとのお水ならばなお一層喜ばれます

平成5年1月吉日
静岡県護国神社

(説明板より)

拝殿




拝殿






(平成18年4月13日)
遺品館


遺品館
(社務所2階)


館内は撮影禁止でした。



(平成18年4月13日)

ご案内

この遺品館は苛烈をきわめた大東亜戦争の終戦30年を記念して、県内の戦没者7万6千余柱の貴重な遺品を保存し、殉国の誠を永く後世に伝えてこの豊かな平和が永遠に続くことを念願し、昭和53年9月遺族会、各戦友会、関係諸団体等のご芳志により建設されたものです。
従って日露戦争から大東亜戦争までの本県出身の戦没者の分身とも云うべき遺品が数多く展示されており、当時のことを偲び人々に深い感動と感銘を与えております。
遺品館は県民の森として人々に親しまれている静岡縣護國神社の境内地という絶好の場所にあり、四季を通じて小中学生を始め訪れる人も多く人々の恰好の憩いの場ともなっております。
昭和60年、終戦40周年記念事業として遺族会よりご芳志をいただき施設等の改修を行い、末永く皆様に愛される遺品館として整備いたしましたのでお気軽にご家族連れでお出かけ下さい。

(開館時間) 午前9時から午後4時30分まで
(拝観料) 無料

主な収蔵品
九一式戦闘機のプロペラ
九二式重機関銃(レイテ島遺品)
昭和49年7月、レイテ脊梁山脈中より収容したもので、泉5316部隊の遺品と思われる
ソ連製回転式軽機関銃
ソ連製水冷式重機関銃
重機関銃弾薬きょう(一連30発・九二式曳光実包・昭和14年9月製造)
「震洋」の模型
週番士官用たすき
火炎放射器
擲弾筒(昭和49年7月遺骨収集にてオルモック北方山中で発見)
11年式軽機関銃(昭和49年7月レイテ島タリヤサン奥の脊梁山脈中より収容)
鉄帽(レイテ島アルベラ山中)
手榴弾(オルモック北方山中のダアオ湖周辺)
薬品類(昭和48年11月収集サラクサク地区)

その他、ルソン島サラクサク峠地区、ルソン南部八州山、バレテ峠、モンタルバン、レイテ島(オルモック・アルベラ等)、ガダルカナル、ニューギニアなどから収集した遺品が展示されています。

殉国碑(泉第5316部隊之碑)
慰霊碑(歩兵第118連隊)
拓魂の碑
比島派遣独立歩兵第164大隊・元独立守備歩兵第32大隊『鎮魂』の碑

愛の灯 『愛の灯 殉職救護員慰霊碑』
(従軍看護婦慰霊碑)

碑文

昭和12年以降の戦時事変等に際し赤十字の旗のもとに日本赤十字社静岡県支部救護員として応召し国の内外において傷病者の救護に献身し博愛と奉仕の使命に殉ぜられた方々の遺徳を偲びその御霊のとこしえに安かれと祈ってこの碑を建立しました
平和のいしずえとして尊い命をささげられた私どもの同胞がこよなき誇りを抱きつつかかげた愛の灯の偉大さをしのびふたたびこのような悲惨なことがないようにと念願しこれを後世に永く伝えようとするものであります

昭和50年10月吉日建之
日本赤十字社静岡県支部長 山本敬三郎
日本赤十字社看護婦同方会静岡県支部長 小山シヅ

(碑文より)

歌碑



歌碑







(平成18年4月13日)

詩意

従軍看護婦は北方へ南方へと派遣され、大砲の弾幕の中で、傷ついた兵隊さんの救護にかいがいしくあたった。
しかしその中で万輪の花が散るように、お国の為に多くの看護婦がむなしく散っていった。
その気力はりりしく強く、寒風に芽を吹き美しく花を咲かせる白梅のようであった。

愛の灯

この詩は、従軍看護婦として南北戦線へ派遣され傷病将士の救護にあたり、人道的任務に尽瘁し、不幸にして戦死或は戦病死していった人々をたたえた詩で、静岡県護国神社境内にある「愛の灯 殉職救護員慰霊碑」の除幕式並びに慰霊祭執行にあたり、詩吟朗詠錦城流流祖・山本錦城先生が大野恵造氏に作詞を依頼、流祖作曲の上、昭和50年11月23日碑前に於いて吟詠された

題字揮毫 日本赤十字社長 東 龍太郎
銅像制作 日展審査員 大村政夫
工事施工 谷川石材店

(碑文より)

ノモンハン事件慰霊碑




ノモンハン事件慰霊碑






(平成18年4月13日)

慰霊碑の由来

この碑はノモンハン事件に従事して散華した戦友の慰霊のために建立したものである。
ノモンハン事件は昭和14年5月中旬、旧満州国興安北省ハイラル南方ノモンハンにおけるソ蒙軍の越境に端を発し、紛争が拡大して平原の砂丘を血に染め日満・ソ蒙両軍が激しい砲火を交えた日本戦史に特筆される事件である。
直接戦闘に参加した部隊はハイラルに駐屯の第23師団隷下の将兵であった。
この戦闘は関東軍の作戦予測に反しソ蒙軍の近代兵器を投入駆使しての猛攻を受け、寡兵肉弾をもってこれに応戦し悪戦苦闘の連続であった。
特にノロ高地、バルシヤガル高地、フイ高地における悽惨苛烈な死闘は後日の戦訓となるほどであった。
同年9月16日停戦協定が成立したが、この間実に1万1千124名の犠牲者を出したことは痛恨未だ極りないものがある。
ここに幾度かの死線を乗り越えて来た静岡県の生存者を中心に、広く関係者の賛同を得て宿願を達成することが出来関係者一同の感激もまた大である。
願わくは一身を顧みず祖国防衛の大任を全うし殉国散華された将兵の崇高な精神と武勲を後世に伝え以って平和への祈念としたい。

幾久し悲願実りてこの聖地
今ここに建つノモンハンの碑

昭和54年9月16日建立
ノモンハン事件従軍生存者有志一同
献歌 中村双葉
揮毫 渡邊墨仙

(碑文より)

鎮の碑



『鎮』の碑
(満州第574部隊慰霊碑)





(平成18年4月13日)

大東亜戦争熾烈なる昭和19年2月19日元満州遼陽に駐屯せる我が満州第574部隊(静岡県出身者)は風雲急を告げる南方諸島の大宮島(グアム島)に転進しましたが、同年7月21日連隊長末永大佐以下最後の突撃を敢行遂に玉砕しました。
又、各地に転戦して護国の礎となられた幾多戦友の霊永しえに安かれと、ここに慰霊碑を建立しこの貴い武勲を永く後世に伝えるものであります。

昭和51年10月吉日
慰霊碑建設世話人会

(碑文より)

内匠部隊之碑




内匠部隊之碑






(平成18年4月13日)

昭和17年3月20日内匠部隊長以下738名中部第36部隊にて編成
3月20日宇品出港バターン半島に直行攻撃参加
4月21日ミンダナオ島に転進、8月よりコタバト州警備戡定作戦参加
12月20日第3部隊より充員更に18・19年現役兵入隊在留邦人現地入隊等最大兵力1800名となる
19年9月10日部隊は米機約70機によりコタバト地区で爆撃さる
数機をを撃墜し師団長より感状を受く
以後サルナヤン、ミラヤ地区に転進
20年4月17日、米8軍コタバト地区に上陸
部隊はこれを迎撃奮戦し壊滅す
英霊千数百名ここに祀る

(碑文より)

由来

終戦30年余を経た現在ミンダナオ島コタバト地区は、遺骨収集に対し厚生省の認可を得られず有志により再度の収集にて二十数体を収集したのみ
月日を経過するに従い地形の変化と風化により益々困難となる為、コタバト平和の塔の分骨をし茲に建立す

昭和51年3月21日
コタバト静岡県人会
同遺族会

(由来碑より)


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