曽根城 そねじょう

岐阜県大垣市曽根町1−772−1


曽根城跡 平成19年4月3日

本丸跡



曽根城本丸跡
(大垣市曽根町・華渓寺)





(平成19年4月3日)

曽根城跡

この地は天正のはじめ、春日局の父、斎藤利三としみつが、城主稲葉一鉄の重臣として住んだところである。
春日局は稲葉一鉄の姪、お安あんと斎藤利三との間に生まれた子であり、のちに一鉄の子、重通しげみちの養女となって稲葉正成まさなりに嫁した。
曽根城の創築年代は不明だが西美濃三人衆の一人として活躍した稲葉一鉄が永禄10年(1567)織田信長に仕え、5万石を領したという。
その後、この城は一鉄の子、貞通さだみちと孫の典通のりみちを経て、天正16年(1588)から西尾光教みつのりが在城した。
光教は関ヶ原合戦(1600)に西軍の守備する大垣城を攻略する等の戦功をたて戦後揖斐城に移り、曽根城は廃城になった。
一鉄の母の菩提寺である華渓寺も享保19年(1734)に本丸跡に移転した。
なお、華渓寺所蔵の曽根古城跡図の中央部に「斎藤内蔵佐」と利三の屋敷が記されているから春日局は、ここで生まれたのではないかといわれている。

(説明板より)

曽根古城図

本丸跡石垣



本丸跡石垣
(華渓寺裏手)





(平成19年4月3日)

曽根城本丸跡石垣

発掘調査(平成元年4月)の結果、本丸に伴うと思われる石垣と石敷いしじき遺構が発見されました。
石垣は、赤坂金生山から産する石灰岩の自然石を並べ、石敷遺構とあわせて郭くるわを形成しています。
さらにその内側にも主郭を囲んだ土塁と石垣が推測されています。
石垣の年代は、出土品などから稲葉一鉄時代(1525〜1579)と推定でき、岐阜・千畳敷織田信長居館きょかん跡に次ぐものとして注目される重要な城館じょうかん跡で、将来にわたり大切に保存するため埋め戻し、公園整備として地上復元を行いました。

(説明板より)

梁川星巌紅蘭像



梁川星巌梁川紅蘭の像

(大垣市・曽根城公園)





(平成19年4月3日)
春日局ゆかりの地



春日局ゆかりの地
(岐阜県大垣市曽根町・曽根城公園)





(平成19年4月3日)
曽根城公園




曽根城公園






(平成19年4月3日)
斎藤利三屋敷跡



曽根城家老 斎藤利三屋敷跡

(曽根城公園近く)





(平成19年4月3日)

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