捜索第53連隊

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
京都 昭和15年 第53師団 ビルマ

昭和15年7月、京都の騎兵第20連隊において編成。
昭和18年11月、ビルマに出動。
ビルマ出動時の編制は、本部、乗車1中隊、装甲車1中隊。
戦況の悪化したビルマ北部で活動。
昭和19年秋よりビルマ北部のバーモ付近で行動し、米軍装備の優勢なる重慶軍の進攻を受ける。
連隊長の奥仲寿蔵中佐は壮絶なる戦死を遂げ、斎藤隆信大尉が指揮して終戦を迎えた。


慰霊碑
『慰霊』の碑
騎兵第20聯隊
騎兵第120大隊
捜索第16聯隊
捜索第53聯隊

(京都市・京都霊山護国神社)

(平成16年4月2日)

碑文

是れ騎兵第20聯隊出身各部隊並に師團衛兵騎兵戦歿者慰靈の碑なり。
仰も騎兵第20聯隊は明治38年姫路に於いて編成され直に日露戰爭に参加し、以後京都深草に移設、深草桃山長池饗庭野青野ケ原各演習場にて訓練を重ね、シベリヤ出兵満州事變を經て昭和12年に支那事變起るや北支に出撃し、更に徐州南京武漢の作戦攻略に赫々たる戰果を収めたり。
同13年騎兵第120大隊(嵐)は中支に、同16年太平洋戰争に當り捜索第16聯隊(垣)はフィリッピン方面に進攻し、同18年捜索第53聯隊(安)はビルマ方面へと、各々幾多辛酸を嘗め、縦横兵馬の任を完うし、武勲枚舉に遑なし。
mその間尊き犠牲も亦少からず、實に九百有餘柱に及ぶ。
今生存する我等、相寄り相偲び、永く偉烈を讃へ、静に冥福を祈り 茲に此碑を建つるものなり。

昭和49年11月 慰靈碑建設有志一同



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