末森城 すえもりじょう

愛知県名古屋市千種区城山町


天文17年(1548年)、織田信秀(織田信長の父)が三河国松平氏や駿河国今川氏などの侵攻に備えて築城。
信秀は、城主に織田信勝(=信行、織田信長の実弟)をあてていたが、のちに自らが古渡城から末森城に移り、天文20年(1551年)に流行病で急死したといわれる。
弘治2年(1556年)、織田信勝は柴田勝家などと共に信長に反旗を翻すが、敗れて和睦。
しかし、翌年、再び謀反を企てたため、清州城で謀殺された。
末森城は城主不在のまま放置され、いつのまにか廃城となった。


 (平成21年4月6日)

末森城址碑

「末森城址」碑

(名古屋市千種区城山町・城山八幡宮境内)

(碑文)
天文十六年織田信秀始築之
其子信行継居此城後廃矣

昭和2年1月 名古屋市

(平成21年4月6日)
本丸跡 本丸跡
空堀跡





十山字錨

(城山八幡宮境内)





(平成21年4月6日)

十山字錨

此の錨は往時横須賀港において大型艦艇停泊時の繋留用ブイ繋止錨として使用されたものであります
重量は4、5トン明治年間の製造と推定されます
昭和55年東海海軍連合会が海上自衛隊より拂下げを受け城山三十日講の手によって設置されました
錨は平和のシンボルでもあり海洋にて戦没された軍人軍属の御霊代として建立したものであります

昭和61年10月識
東海海軍連合会

(説明石碑・碑文より)




靖国神社遙拝鳥居
殉国碑・忠魂碑

(城山八幡宮境内)





(平成21年4月6日)

殉国碑・忠魂碑

当地、旧田代村の田代小学校校庭に明治以来建っていたもので、昭和21年その維持管理と英霊(田代村出身の戦病死軍人)の慰霊顕彰を目的として当境内に移転されたものである。

靖國神社遙拝鳥居

当碑を通して靖國神社を遙拝する為の標として、昭和62年春、忠魂碑移設40年を記念し「城山三十日講」により造られたものである。

城山八幡宮

(説明板より)

城山八幡宮



城山八幡宮
(愛知県名古屋市千種区城山町2−88)





(平成21年4月6日)

沿革

当宮は往古、末森城の麓に鎮座し500年以上前から産土神うぶすなのかみ・勝運守護の神として崇敬を集めてきたと伝えられており、昭和11年に境内地であった現末森城址に遷座した。
末森城を築いた織田信秀(信長の父)信行(信長の弟)を始め尾張藩主等、戦国・江戸時代を通じ武将の篤い崇敬を集め、現在も名古屋の東の守り神として「厄除開運・交通安全・勝運守護」の御神徳が信仰されている社である。
二重堀を廻らした約10000坪の境内地はその殆どが史跡末森城址と重なり、室町時代末期における平山城ひらやまじろの城址として原形に近い姿を伝えている。

城山八幡宮社務所

(説明板より抜粋)

二の丸跡

城山八幡宮昭和塾堂(末森城二の丸跡)

昭和3年、愛知県により青年教育・社会教育を目的とし、「人づくりの殿堂」として建設されたものである。
4階建ての塔を中心に下部には2階建て鉄筋コンクリート造りの本館が三方に伸び、「人づくり」を表現するものとして、真上からも横からも「人」文字形に見える様に設計されている。
内部には300人収容の講堂・教室他、諸設備を整え、総合社会教育施設として活用されたものである。
現在は県より移管を受けた八幡宮の施設として管理保存されている。
又、ここは末森城二の丸跡でもある。

城山八幡宮社務所

(説明板より)



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